鎖を断ち切り、負の循環を逆回転させる入り口に立つ決意
仙台では毎年、七夕祭りの前夜祭として、8月5日の夜に花火大会が催される。それはそれは綺麗で感動的だ。
昨年は、お気に入りの散歩コースの遊歩道に椅子やシート持参で人がたくさん来て思い思いに楽しんでいて、そこからとても綺麗に見え、泊まりに来ていた母も大喜びだったが、もっと間近、何なら真下とかで見たい派の私や母としては「来年は桟敷席をとってもっと近くで見よう」と言っていた。
そこで、先日、思い出して調べ、電話で母に確認した。桟敷席はすでにほぼ満席で、唯一残っている場所は値段が1席4000円だった。それを伝えると、母は「そんなに高いなら取らなくてもいい」と言い出した。確かに、雨が降ったり曇っていたりしたら、桟敷席からもほとんど見えないと口コミにも書いてあったので、2人で8000円出して予約しても、残念な結果になるかもしれない。
もちろん遊歩道からでも綺麗に見えるのだが、例えばビアガーデンなどから見たらもっと楽しいのではないかと思い、調べてみたら、三越屋上にビアガーデンがあることがわかり、ワクワクスイッチがオンになった。しかし、そこから花火って見えるの?とよくよく調べてみると、どうやら花火は見えないらしい。
しかし、母もビアガーデンが好きな事は知っていたし、そちらも誘ってみると乗り気だった。そこで、さらに口コミを見ていくと、どうやら花火大会の日はビアガーデンも混むらしい。予約を取れば入れるが、予約を取るには5000円のビュッフェの申し込みが必要で、2人ともそこまでの量を食べたり飲んだりはできないので「予約はいらない」と母がまた言い出した。(昔から他人の前では「良い人」家族には「わがまま全開」いわゆる極端な内弁慶)
それでは、と頭をひねって、花火大会の前日(普通の日)にビアガーデンへ行き、翌日花火を観る「うちに2泊プラン」を提案した。(もはや、わがままな客に満足してもらうために一生懸命秘策を練る、ツアープランナーの気分・・)
すると母が意外な事に「えー・・二泊はしたくない」と言いだした。
私「ん?それ、どういう事?だってお母さんこの前までH子(妹)と2か月ずっと一緒にいたよね?(妹はアメリカから帰省して母のアパートに滞在し、先日またアメリカに帰国した)H子とはずっと一緒にいたのに、私とは2泊もしたくないってどういう事??」
母「あのね、H子には気をつかわんのんよ。あんたとおるとすごく気をつかうんよね」
私「なんで?」
母「だって、あんた私にいろいろ言ってくるけぇ、こんなこと言ったらまたあんたを傷つけるんじゃないかとか、またあんたに怒られるんじゃないかとか考えよったら、疲れるんよ。」
私「それはお母さんがネガティブな事を言ってきたり、意地悪な事を言ってきたりするから、私は『傷つくから言わないで』って言ってるだけだよ。」
母「でも、聞き流してくれりゃあええじゃん。H子は聞き流してくれるから楽なんよ。」
私「H子にはそんなこと言わんじゃろ?」(もはや広島弁(笑))
母「言うよ。でも『はい、わかった』って聞き流してくれるもん。」
私「じゃあ、H子は傷つかないんだろうね。H子はいつも自信満々だもんね。私は自信ないから傷つくんよ。でもそれで良いと思ってる。その繊細さはアーティストにとっては強みになるからね。」
母「ほいじゃけぇ、あんたとおると、これ言ったら傷つけるかね、思って考えにゃいけんけぇ、疲れるんよ。」
私「なら、来るのやめる?」
母「いや、一泊なら大丈夫。」
私「そんな嫌な思いしてまで無理に来なくてもいいよ。」
母「ほいじゃあ、行かんわ。ごめんよ。またあんたを傷つけたかもしれんけど。」
私「いや、私は今生きたいように生きてるから、そんなことでは傷つかんよ。でもさ、そんなにH子と一緒におるほうが楽しいのなら、なんでアメリカじゃなくて福島に来たん?」
母「そんな事言われると、私は広島に帰らんといけんくなるわ。アメリカなんか、言葉も通じんとこに住みとうないし。」
私「いや、誰も『広島帰れ』とは言ってないよ。なんでかな、ってただ疑問に思っただけだから。」
母「もう、こういう会話がめんどくさいんよ。」
私「だろうね。じゃ、もうなんも言わんね。」
母「うん。しばらくそっとしといてほしい。」
私「わかった。それも良いかもね。もしなんかあったらいつでも行くから言って。」
ここで電話は終わった。実を言うと少しホッとした。私も母の私に対する「心配じゃけ言うんよ」と正当化してくるネガティブ発言や意地悪発言はしばらく聞きたくなかった。私が言ったことにネガティブに反応して怒り出すのも、正直嫌だった。
例えば「アメリカじゃなくて福島なんだね」に対して「広島に帰れってことじゃね。」というような、「え?なんでそうなる?」の反応などなど。
しかし、これで終わらないのが母の強烈なところで、、
電話を切った後まずラインが来た。(え?しばらく距離置くんじゃなかったっけ?笑)
「さっきはごめんなさい。言い過ぎました。私はA子(私のこと)に甘えているのかも。胸のつかえが巨石になって苦しいです。又A子を苦しめる事を言ってしまったと。本当にごめんなさい。」
いやいや。確かに、こうもはっきり言われるとさすがに「傷つかない」と言ったらウソになるけど、うすうす気付いてましたよ。なんなら子供の時からネ。それに、その「巨石」はあなたのもので、私のものではないので、それを「どかす」のはあなた自身ですよ。残念ながら。
でも、ここで喧嘩しても仕方ないし下手に刺激してエネルギー消耗したくないので、精一杯の愛と思いやりをもって、無難に返した。
「全然大丈夫。今私は自分の生きたいように生きているので、ほとんど傷つきません。私は自分の道を見つけたし、その道を歩き始めたので、もう大丈夫ですよ。ありがとうね。しばらく距離を置くのも良いと思いました。お母さんも、日々を楽しんでください。生存確認ラインは続けさせてね。何かあったら飛んでいくので。緊急事態になってもKちゃん(夫)がなんとかしてくれるので安心しています。」
正直「傷つきません」は嘘です。なんなら、子どものころからずっと傷ついてきました。ただ、それを表に出すとあなたは何か月も、下手すると何年も拗ねて口をきかなくなるじゃないですか?そっちのほうがもっと傷つくので言わなかっただけです。でも、私はやっと自立して生きていくと決めました。これからは自分の好きなように生きていく。誰の言葉も誰の目も気にせずに。だから、万が一、あなたや夫が私を無視しても、もう傷つかないんです。やっとここまで来れたんです。55年もかかって・・・。
母からは「感謝」と「ありがとうございます」のスタンプ。
そして、私は、自分を癒すために川を散歩して、話したい人と話し、読みたい本を読み、疲れたら眠り、楽しいライブツアーの計画を立て、自分で自分を癒し、自分の機嫌を自分で取ります。
それもこれも受け止めてくれる人、私をありのままに認めてくれる人、親身になってサポートしてくれる人がいてくれるから、なのだけど。そんな今に感謝です。つらい気持ちがいっぱい出てくるのも、今はウェルカムなのです。
そうこうしているうちに、母や夫にも感謝の気持ちが湧いてきた。
「今まで必死で私を守ろうとしてくれたんだよね。私がひもじい思いをしないように。私が困らないように。でも、それ、もう必要ないよ。なぜなら、私の中にはちゃんと自分を守れる力があるからね。」そんなことを考えた。そして「申し訳ない」を、手放した。
するとまた、今日。母からラインが、、、(え?また何?)
母「暑いけど元気にしていますか。ずっとA子の事を思っています。何かに手助けすることがあったら言って欲しいです。」
私「元気もりもりです。『心配ご無用』ですよ。ありがとうね。お母さんは少し私を忘れるくらいでちょうど良いです。」
母「それができればね。」
私「それをするのはお母さんの仕事で、私の仕事ではないので、遠くから見守る事しかできません。ごめんね。」
はぁ~~~~。。。もうこれが限界。私に自分の荷物を背負わせないで欲しい。私は今、自分の事で精一杯なんだよね。あなたの心はあなたが救うしかないんだよね。なんとも言えない嫌な気分・・・。
そして気が付いた。
父は(何なら私も)家族の中でずっと「ポジティブ依存」の立場を取ることで、母や妹(時に私も)の感情の「うんこ(負の感情)」を受け止める役割をしていたんだな、と。
そして、父亡き今、私にその役割を押し付けようとしてきているのだと。「心配」を理由に。または「正しい」とか「普通」を隠れ蓑に。
でも、もう「うんこ」は要りません。それはあなたの「うんこ」です。私のものではありません。なんなら私にもたくさんの「うんこ」がまだまだこびりついてて(連発してすみません💦)今それをどんどん外に出して、浄化していってる最中なんです。邪魔しないでください。
きっと、自分がもっと整ったら、もっと良い方法で関わることが出来るかもしれないのだけど・・・。今、まだ途中だから。
私は「うんこ投げられ係」を手放したいのです。なぜならそれは、家族関係のみならず、私の周りの人間関係において、何度も何度も何度も何度も、本当にもう、嫌になるくらい繰り返されてきたからです。
そして今私は本当に自分がやりたかった事、魂の使命ともいえる事に取り組み始めています。これからの人生は、軽やかにワクワクしながら、その道を進んでいきたいのです。そうでないと、きっと死んでも死にきれない。
まずは私が自分の本当の輝きを取り戻すことで、きっと周りも照らすから、待ってて欲しい。引き戻さないで欲しい。たとえそれがしばしの別れとなったとしても・・・。