美しいものを見た時、その感動を誰かと共有したいという気持ち
どうやら私は、何か感動した時に、誰かとそれを共有したいと切望している生き物らしい。
切望すればするほど、なぜか満たされないというジレンマが起きてしまうのが、これまでの人生だった。
まんまとそれが炙り出されてしまったのが、今回の中秋の名月だった。
正確に言うと、無理やり満たそうとしてしまったというのがホントのところ。
でも、それって本物じゃない。
「ふと、何かに感動した時、ふと気がついたら一緒に感動してくれる人がいた」というのがホンモノ。
なので、それは、無理やり満たそうとすればするほど虚しくなるんだって事がわかった。
いわゆる、悪あがきってヤツです。
では、どうすればいいんだろう?
今日、また、本田健さんの「人間関係のマトリックスセミナー」を受けた。(説明が面倒なので、気になった人はググってください🙇♀️)
その時、私は、自分の中にある切望と絶望と傷跡に果敢に向き合った。
ホントによくやったと自分に言ってあげたい。途中、お腹を壊すほど向き合った。
(だいたい、こういう時はいつもお腹を壊すんだけど、それは浄化だと思っているので、むしろウェルカム)
その切望と絶望と傷跡に、ずっと蓋をし続けて来たけど、ずっと虚しさは消えなかった。
正直、まだ消えてはいない。
でも、それでいいんだと思えた。
そんな、寂しがり屋の自分も愛おしいと思えた時、きっと、傷跡は徐々に癒やされていくのだろう。
多分、今、その入り口には立っているんだと思う。
もう、悪あがきするのはやめようと思った。
そんな自分を受け入れ、認め、許し、愛してあげようと思った。
そしていつかきっと、本当に満たされる日が来るんだと思う。
そんな事を思えた時点で、その未来は存在する。
だから、執着を手放して、今あるものに感謝して、今を生きよう。
だけど、求めてしまう自分も許してあげよう。だって寂しがり屋さんだもんね、って感じで(笑)
おやすみなさい🌙
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