「藍原タユが本当は音楽を好きじゃない理由」
どうも、アッパー系音楽ライフ、藍原タユです。
今日は過去に自分が言及されたYouTube動画について書いていこうと思います。
たしか、その動画のタイトルは「藍原タユが本当は音楽を好きじゃない理由」だったと思います。カオスフォレストというアーティスト集団の、古田更一さん(批評家でアーティストの方)が投稿した動画だったのですが、チャンネルが垢バンされてしまい、今は当該動画を見ることはできなくなってしまいました。
当時(2023年初頭だっただろうか)アップロードされたその動画を発見した時、大変複雑な気持ちになりました。
私は幼少期からクラシックピアノを習っており、練習をサボると親から「アンタ本当は音楽好きじゃないんでしょ!?」等と言われ無理矢理練習させられていました。
そして成人するまで親に屈して嫌だと言い出せないまま、音楽へ屈折した気持ちを抱いていました。本当はそこまでクラシックを愛していないのに音大まで行ってしまい、音楽しか表現手段がない為音楽との共依存関係に陥り、本当に精神を病んでいたのです。
その病んだ精神性を完全に言い当てられたように思い、私は実存を脅かされる恐怖とこれまでの臆病な生き方への羞恥心で、その動画をどうしても開くことができませんでした。そして、周りの甘い甘いメンヘラの友達に「こんなこと動画にされちゃったよ〜〜〜〜!」と、ぴえんぴえんと泣きつき慰められ溜飲を下げました。
しかし、その行為はとても自分に対し矛盾したものでした。私はその動画がアップロードされる前からカオスフォレストの視聴者でした。観ていた理由は、古田更一さんが動画内でメンヘラを批判する度に、メンヘラである自分を古田さんが叱って喝を入れてくれる自己啓発的な感覚を得られるからです。
それにもかかわらず、私は自分の名前を出されて批判されたら萎縮し、動画をクリックすることすらできなかったのです。これは結局、メンヘラを批判する動画を観ることができるメンヘラの自分に酔っていただけで、本当に自分が批判される勇気が無かったということですね。
この件は忘れたフリをしていても常に私の心の奥に引っ掛かっていました。
そして、今になってようやくこの動画のタイトルに納得できるようになったのです。最近、私はYouTubeに動画投稿をし始めました。
最初は音楽の動画を伸ばす為にショート動画を沢山上げよう!という軽い気持ちで始めたのですが、インプレッションが増えてコメント等付いてくるにつれてYouTube投稿への意欲が増し、伸びる動画や伸びる音楽とは?と考えて投稿するようになってきました。
その中で、音楽制作への向き合い方も変化しました。より早く多くの人に届くようにという意識に目覚め、これまでと違う効率的な作曲方法に変えて作曲スピードを前より重視するようになりました。
「藍原タユが本当は音楽を好きじゃない理由」
それはつまり、私は音楽への愛より自分の生の断片をインターネットの海で知ってもらうこと、脳内を全世界に拡散することに重きを置いており、ある意味音楽も文字も声もその道具として考えているということです。
まぁ、今でも音楽は愛聴しているし、自分に一番向いていて楽しいのが音楽であることは十分理解しているので、音楽に対し過剰に絶望したり冷笑したりはしていませんが……。
この一連の流れで、私はやっと音楽への自分のスタンスを真正面から理解することができました。
1人でコツコツゆっくり作曲し、満足できたものだけをインターネットに出し、毎日音楽のネタツイで盛り上がり、自分の好きなアーティストが死亡すると本気で涙するツイッターの音楽界隈の人たちに馴染めないのも、当たり前だと納得できました。
ですので、私はもう冷静に音楽との距離を取り、自分に合った方法で制作していくことに抵抗がありません。ここまで自己理解するのには、コンプレックスと対峙しなくてはならず本当に大変でした。
私が気づく前に私の本質的な部分に言及し、キーワードを残してくれた古田更一さんにはとても感謝しています。理解するのに数ヶ月かかりましたが。
今は毎日楽しく過ごしています。ただ、当該動画が見られなくなったことだけ悲しいです。
どうにかして見られないのかな〜〜。笑
2023.11.08