マインド・マップ

先日、川田喜久治展をみてきた。
1965年刊行の「地図」は、自分からするとどうも未分化なもの、ラカンの精神分析論にも出てくるような、言語化、記号化されるもの以前のもの、あるいはその途上にあるものを写しているように見える。この度展示されている作品は、ピグメントプリントでのニュープリントであるという。支持体は和紙とのことで、プリント自体もぼやっとして見える。それでも、いざプリントされてしまうと、フィジカルな存在となり、未分化なものではいられなくなるものだ。物質化し、否応なしに、生まれ落ちた赤ん坊のように手が掛かると同時に、かたちをともない、環境に影響を与える存在となる。それがやはり、精神分析と美術鑑賞との違いではないかとも考える。

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