やさしい光
あまり書くべきことではないのかもしれない。
けれど書きたいと思う。
三浦春馬さんが亡くなって思ったこと。
7月18日(土)の午後、ニュース速報をスマホ画面で目にしたとき、一瞬何が起きたのかわからなかった。文字を読み返したとき、驚きのあまり声を上げてしまった。
三浦さんの出演作のことはほとんど知らない。テレビで活躍しはじめた時期がちょうど私がテレビを見なくなった時期に重なっているから、普段は邦画を観ないから、というのが主な理由だと思う。けれど昨年の歌番組でのパフォーマンスをネットで目にして、何て才能のある人なのだろうと感動したことは覚えている。彼が描く深く美しい世界観、そしてその世界観が歌とダンスで完璧に表現されていたことに驚いた。こういった方を見かけることは少ない。とても失礼かもしれないが、他の方々に対しては、どうしてもあれが足りない、これが足りないとか、なんとなく気になってしまうことの方が多い。
そんなわけで訃報を聞いた直後は、あんな才能が失われてもったいない、日本文化の発展に大損失だ、といけないと思いながらも、何度も思ってしまっていた。けれど、そんな気持ちはすぐに薄れた。
生前の彼の生き様をメディアやSNSの情報から読み取る限り、三浦さんは、誰よりも真剣に生きることに向き合い、自身の思いを懸命に実践していた。その生の密度の濃さを知ると、やはり平均的な生き方(平均なんてないとは思うが)に比べると、彼はもう平均寿命以上に生きていると思った。そして、周りの人々、そしてこの世界に対して、彼が心身を使って、命がけで光を与えていた。彼のこの世界に対するコミットメントを思うと、大損失だ、なんて厚かましいことを言う気にはなれなくなった。三浦さん、本当にありがとう。こんな私にもたくさんの気づきと優しさを与えてくれてありがとう、という気持ちで心が満たされる。そのやさしい光は永遠なるものと自ずと信じられる。本当にやさしい。