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第2話 合意文書作成の機微

(2017年12月4日、第14話として公開。2021年12月9日、note に再掲。)

 今回は、筆者の思い出話にお付き合いいただきます。1998年9月、世界貿易機関(WTO)非特恵原産地規則調和作業の世界税関機構(WCO)における技術的検討が佳境に入っていた頃、調和規則の全体的な構造の枠組みを決定すべく、カナダが、2回目となる非公式会合を5日間にわたってホストした時の話です。場所は、オタワ郊外のミーチレーク。会議場というより、資産家の別荘のコテージのような建物は、公園として維持されている広大な森の中にありました。

 非公式会合と言っても、筆者の経験した限りの知識で申しますと二種類あり、「オープン」非公式会合と、「クローズド」非公式会合とに分けられそうです。前者は、公式会合等の場で非公式会合の開催を公表し、参加者を制限しない場合で、後者は、会いたい者とだけ秘密裡に(例えば、自国代表部の会議室とか市中のレストランで)又は公然と(例えば、会議場の控室・喫茶室のコーナーで)行う場合を指します。カナダでの非公式会合は前者に該当し、公式会合でお馴染みの主要国はすべて顔をそろえていました。WTO原産地規則技術委員会(TCRO)の事務局として議論の流れをフォローしておく必要があったため、WCO事務総局からは、総則条文のドラフティングを担当していた筆者と原産地プロジェクト・ヘッドのジリンスキー氏(ジ氏)の2名が参加しました。

 非公式会合は、通例、主催国が議長となります。「クローズド」非公式会合では参加国が合意内容を共有する議事録も報告書も残さないことが常ですが、「オープン」会合では報告書の形を採った合意文書を作成することがあります。その場合、主催国が起案し、最終版の配布も行うことが多いように思います。非公式会合の結果は本会合を拘束しませんが、主催国は、議長として、通したい案件を上手く議事進行し、提案趣旨に明確に反対する旨の発言がなければ「非公式会合において合意があった」として報告したいからです。もちろん、あまりにも主催国に都合よく書かれた報告書は、非公式会合でのレポート・リーディング又は本会合での非公式会合の結果報告の場で、事実と異なるとしてダメ出しされてしまうことは言うまでもありません。
ミーチレーク非公式会合においては、議事進行の都合上、前日の議論の速報版を翌日の朝、議場配布し、そこから更に議論を発展させるという方法が採られました。速報版を含む報告書の作成は当然カナダが行うものと思い込んでおりましたが、世の中は甘くないものです。主催者側と会合の進め方を相談していた時に、「この会合はTCROの非公式会合であるので、報告書はTCROの事務局で作成せよ」との申し渡しがあり、WCO事務総局から公費で出張している以上、断る理由がありません。今とは違って、ノートパソコンを一人一台持ち運ぶ時代ではなかったので、毎夕、会合終了と同時に議場から遠く離れたカナダ歳入庁国際課事務室まで出向き、デスクトップ・コンピュータを借りて、その日に討議された内容の速報版を作成しなければなりませんでした。

 会議場がオタワの中心部から離れていたことに加え、会合終了後に作業を行う歳入庁国際課と宿泊先のホテルとの移動にも時間を取られ、翌朝の配布に間に合うように速報版を作成するのも、結構、綱渡りでした。それでも、会合が軌道に乗り、議論がかみ合い出したときには、「これはイケるかもしれない」との直感が働くものです。そこで、本来は出席者の発言を悉皆的にノートし、発言者全員の発言要旨を公平・中立的に報告することが事務局の仕事なのかもしれませんが、的を外している発言、説得力はあるけれど将来的に火種となるような発言は意図的に無視し、あるべき規則の構想にはめ込むべく、「調整」しながら書きました。

 最終日のレポート・リーディングでは、これまで漠然としていた調和規則の構造について、その骨格を合意内容として提示することになりました。果たして受け入れられるものか緊張の連続でしたが、一箇所、米国代表から「これは行き過ぎだ」とのコメントが出された部分を除き、概ね報告書は受け容れられました。会合を終えて議場を出ようとした時に、関税分類と原産地規則の大御所として一目置かれていた米国国際貿易委員会(ITC: International Trade Commission)関税・貿易協定課長であったローゼンガーデン(Eugene Rosengarden)氏から声をかけられました。

 「君のレポートはよかった。これで総則規定の議論が進むだろう。分かっているだろうけど、レポート案には事務局は意に沿わない文言を絶対に載せてはいけないよ。そして、少しでも本筋に触れる発言があれば、必ずそれを掴んで載せるんだよ。」

 国際機関の事務局の役割とは、コンセンサス形成が容易ではない多国間協議の節目において、タイミングを外さずに合意の方向性を示すことであることを悟った瞬間でした。

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