「日本ワイン」との青春の25年 第一章
今年春、NHKプロフェッショナル仕事の流儀で山梨のキスヴィンワイナリーさんが特集されたり、
私事ではあるが雑誌のクロワッサン(2021.11.10 No.1056)で取材して頂いたりと、ようやく日本ワインが一般に認知されてきた昨今。
我々IMADEYAとしてはまさに青春の25年。
当然ながらメディアの題材になるような立派な話ではないので、自ら綴って感慨にふけようかと思う。しばしお付き合いを。
・日本のどこでもブドウは育ちワインは出来る
日本人の知恵と工夫と得意な試行錯誤を持ってすれば
宮崎の都農ワイナリーを初めて訪問した時、工場長の小畑さんが仰った言葉が日本ワインに対する我々の考えをガラッと変えてくれた。
「えっ!?なんで雨の多いところでワイン造りをしてるかって?やりたいから。それとワイン用ブドウの木の根は地中深く根を張るって、こんな雨の多い日本で深く張るわけないじゃん。横に這うよ!そうしたワイン教本に出てこない独自のやり方をするのが日本のワイン造りだよ!」
今なら当たり前の事と理解できるが、当時ヨーロッパを中心としたワインの勉強をしていた私は、金づちで頭を叩かれたような衝撃を受けた。
そして、おもしろい!と、
まさに座学から解き放たれ、ワインに自由に向き合えるようになった瞬間であった。
そもそも型にはまったお勉強が苦手で、暗記などは致命的。
死に物狂いで勉強し、1991年に合格したワインアドバイザーの資格。(今のソムリエ)
このように日本ワインの未来が開けて行くとはなかなか想像しづらかった時代。
あれから30年、
日本全国の造り手は新しい日本ワイン文化の歴史のスタートラインを築いてくれた。IMADEYAはその生産者と共に、売る人、伝える人として、伴走し続けている。
・全く売れなかった1990年代 「味がうすい!?」
しかし1990年代、日本ワインは全く売れず(我々の力不足だが)、造り手に追加発注が出来ないという、売り手としては情けない状況下にいた。
んー、味がないなー うすい感じ…
何度言われたことか…
当時はちょうどカリフォルニアワインがブームで、果実味豊かでフルーツをたくさん感じる、味わいの骨格がはっきりしたワインが流行っていた。
まぁ、そうしたワインの後に飲んでしまったら本来の味を感じられなくなる。(飲む順番はとても大事。)
私としても、和食店など日本のワインが合うと思われる飲食店へご紹介をしたつもりだったが、どうせワインを飲むならボルドー五大シャトーかブルゴーニュ、もしくは有名なカリフォルニアかイタリアトスカーナでしょと…
何でこのような繊細な和食にこうした濃いワインを一緒に飲んでしまうのだろうと、疑問を感じたことも度々あった。
そう、ワインを飲んでいること自体のステータス。お食事との相性はさておき銘醸ワインを口にする喜び。ワインにはそうした魅力がある事も否めない。楽しみ方は人それぞれ。
フランス料理などはマリアージュと言う言葉で食と合わせる文化があったが、日本には日本酒という優秀な酒があり、日本食はこちらで大方事足りるというか、大満足だ。
ところがあれから30年たった今、ペアリングという言葉が当たり前になり、様々な食に様々な酒を合わせている。ノンアルコールペアリングでさえ完成度が高い。
日本人の味覚とお客様を楽しませるサービス精神は凄い!
余談だかIMADEYAの飲食店のお客様は素晴らしいペアリングを体験させてくれる店が実に多い。そんな中で、今や日本のワインも主役になれる存在とまで成長して行ったのだ。
・発展途上を見守っているような尊さ アイドルを応援するような!?
正直一言で言うと、愛おしくて仕方がない。
先日飲食店様向けの日本ワイン試飲会を久し振りに開催し、たくさんのプロのサービスマンに味わっていただいた。
以前「IMADEYAさんが甘やかすから~」と、日本ワインを好まれてなかったソムリエの方から、
「びっくりした!本当に美味しくなった!!」
と初受注を頂いた。
心の底から嬉しかった。
造り手の方々の毎年のご苦労、そしてサービスマンや伝え手の試行錯誤が、またこうして新しい日本の飲食の文化を彩って行く。
なんて尊いのだろうか。
成長して行くアイドルを涙を浮かべながら見守り喜びを感じるファンの気持ち、こんな感じなのかなと、ちょっと思いつつ、世代のギャップを埋めようとしている今日この頃。
(我が娘は無類のアイドル好き…)
日本ワインは今が創世記。
是非とも一緒に楽しもうではありませんか!
IMADEYAの目利き、白土暁子のこちらの日本ワインを記したnoteも是非ご覧ください。
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