国境のモールス
このところ。このところ。
まちのあちこち。まちのあちこち。
このところ。このところ。
まちのあちらこちら。まちのあちらこちら。
このところ。このところ。
まちのほうぼう。まちのほうぼう。
ちょうど一年前、雪が解けて季節が鹿になったころ、わたしは国境フェンスを抜けてくる青白い風のなかに、どれだけ待っても本題に入ろうとしない、しかし気持ちのよいポエムのようなモールス信号を傍受した。向こう側からのメッセージがよくわからないものだから、まずはこちら側から自己紹介をすることがともだちになる一歩だと思った。
わたしは農家。わたしは農家。
みょうがづくりの。みょうがづくりの。
両親はりょうし。両親はりょうし。
さかなじゃなくて。さかなじゃなくて。
シカとかクマとか。シカとかクマとか。
そっち。そっち。
自己紹介のモールスに返信はなかった。もっとわたしという存在の内面にせまる言葉、日々感じている思いや夢や、暮らしの細部にいたる情報がともだちになるには必要なのだろう。
そんなふうに捉えたわたしの人恋しさが、やがてこの国を豆腐に変えてしまうとは、そのときはまだ猫の額ほども考えなかった。
二か月に一度。二か月に一度。
ひざの水を。ひざの水を。
抜いています。抜いています。
わたしはかつて。わたしはかつて。
力士でした。力士でした。
湧水という名の。湧水という名の。
桜が散り、季節がアライグマになっても返信はなかった。両親のことやわたしの身体情報は向こう側が欲しているコミュニケーションとはズレているのかもしれない。それでもわたしはともだちになるための発信を続けた。自宅の庭に穴を掘りひざの水をためていること。その水で育てたアボカドが花を咲かせたこと。実をつけたこと。ひどいにおいだけれど味は絶品だったこと。その実がじつはドリアンで、それまでわたしがアボカドだと信じて食べてきたものすべてがドリアンで、そんな自分に驚いたこと。あきれたこと。皮を剥いた手がくさくかぶれて涙したこと。それでも自分やドリアンを嫌いにはなれずにひとり夕暮れのキッチンで聴いた「Without You」。換気扇のぶーん。りょうしの両親が暁明神の森に互いの銃を残していなくなったこと。相撃ちを仄めかす手紙が見つかったこと。クマの痕跡。メタセコイアの血痕。事故として処理された午後の美しい虹と濡れた草花の踏みしだかれたにおい。半年後、猟友会の会長にわたしが推薦されたこと。一度は断り、引き受けたこと。銃をとり、犬を飼いはじめたこと。名前はコロンビアピッピ。意味は特にないこと。風貌と語感。自由になってゆく人生は果てしない草原だから陽が翳るとちょっぴりこわい風にふるえてしまうときがあるよね、といった感傷。花鳥風月、新陳代謝、わたしはわたしの心が日々感じているあれやこれやをいろんな角度から発信し続けた。密かな歓びや悲しみを伝えあうことが友情とされているこの星の、液体とフェンスのあいだに挟まれたこの国で。
わたしは関取にはなれなかった。四十歳のときに三段目から序二段に落ちて引退を決意した。所属していた相撲部屋では十年以上ちゃんこ番を務めた。夏はちゃんこに冷やっこ。冬はちゃんこに温やっこ。豆腐が相撲よりも好きで、みょうがが相撲の次に好きで、豆腐にみょうがをのせる日々を過ごすうちに、みょうがが相撲の上に立つようになったから、その旨を師匠に伝え、師匠とおかみさんがテレビを見ているその横で断髪をした。正式に引退した日の午後からみょうがをつくりはじめて、やがてそれは仕事になった。わたしはみょうがを育てるためにひざの水を使ったりはしない。公私混同はしたくないから。それは相撲部屋で過ごした日々に学んだこと。師匠とおかみさんは弟子の前ではけっしてキスをしなかった。
昼オープンの。昼オープンの。
豆腐屋です。豆腐屋です。
弱いから。弱いから。
朝が。朝が。
陽射しが。陽射しが。
季節がさわやかなヘソキリンから蒸し暑いコビトカバの盛りをむかえたころ、ついに向こう側から返信がきた。弱いのは朝だろうか。陽射しだろうか。それはまあいい。国境フェンスの向こう側にわたしの大好きな豆腐をつくるひとがいる。そのことがとてもうれしかった。
食べてみたい。食べてみたい。
あなたの豆腐を。あなたの豆腐を。
それが引き金になったのだろう。朝靄どきや夕暮れに涼風の吹くハシビロコウになると、にがりのような雨が降り続き、まちのあちらこちらに絹ごし豆腐が放置されるようになった。線路の上や塀の上、犬小屋や下駄箱やコインロッカーの中、やがて放置はエスカレートして、ちょっと目を離した財布の中やニベアの中、サーフボードで波に乗る豆腐や、病院に向かう救急車に家族のような顔で同乗する豆腐まで現れるようになった。それはもう放置ではなく侵略だった。国のほうぼうに投げこまれる生々しいおから。国境を越えて流れてくる豆乳。わたしたちはそれを鍋やコップで掬うしかない。卯の花やドーナツにするしかない。朝や晩やおやつにいただくしかなかった。
なまものだから。なまものだから。
わたしは国境フェンスの向こう側にある豆腐屋とともだちになれると信じていた。しかし現実はきびしい。ゆうべは浴槽にためてあったひざ水の中にたくさんの豆腐が沈んでいて追い焚きをすることができなかった。いつのまにか歯磨き粉には大豆の風味がついていて、テレビのリモコンや寝室の枕が豆腐に置き換わっていた。洗面台の石鹸が豆腐だなんて洗い終えてさっぱりとした今でも信じることができない。大好きななまものだから手荒な排除はできないし何よりもったいないと思う。それがわたしの弱さ。眼鏡のレンズが湯葉だなんておもしろいだけで何の意味もないはずだ。いったいわたしが何をしたというのか。あなたの豆腐を食べてみたいというその小さな発信がこんなことになるなんて。
生活の隅々にまで大豆の甘みたっぷりの豆腐や豆乳が入りこんでくる日常をわたしたちは止めることができず、おいしくいただくしかなかった。それはわんこそばのような強要とたのしみ。いつか必ず限界はやってくる。辺り一面に広がる白濁と黄ばみの豆腐世界はやがて苔むすようにこの国を緑化するだろう。敗北はいつだってそんな美しさのなかに薄れゆくもの。
思えば国境フェンスから吹きこむ青白い風には昔からずっと大豆のかおりが含まれていた。わたしは自分の意思でみょうがを育ててきたつもりだったけれど、それは風による刷りこみだったかもしれない。となりの家に暮らす山川瀬さんは長ねぎを育てている。そのとなりに暮らすミロードさんはかつおぶしをつくり、そのまたとなりの陳さんは醤油をつくっている。国境付近に暮らすわたしたちは日々あたりまえのように豆腐と寄り添って生きてきた。わたしたちはあの青白い風によって知らぬ間に導かれていたのだろうか。豆腐とのマリアージュ。すべてはその相性を利用した豆腐屋の企てだったのかもしれない。
わたしは朝いちばんに収穫したみょうがを刻み放置されたばかりの豆腐にのせて歩いた。山川瀬さんは長ねぎを。ミロードさんはかつぶしを。そして陳さんが醤油をかけてまわる。
なめたけ。なめたけ。
今日も国境フェンスの向こう側から不穏なモールスが青白い風のなかに聞こえる。季節はオカピからヒメアリクイ、インドハナガエルと変わり、昼オープンの豆腐屋が夜オープンに変わったことを知らされた。わたしたちは人類史上はじめて朝早くない時間につくられた豆腐を食べることになるのだろう。豆腐屋はもう早起きをしなくたっていい。午後につくったっていい。フェンスの向こう側にはきっとそんな世界が広がっている。
キャラメルソース。キャラメルソース。
耳を疑うようなモールスにわたしの信じる薬味世界が変わろうとしているのを感じる。それでもわたしはいつものようにみょうがを収穫し、それを刻み、新しく放置された絹ごし豆腐にのせておいしく食べた。いつものクリニックでひざの水を抜き、その水を庭の穴に注ぎ入れてから、自転車でおからやがんもや厚揚げが飛んでくるまちを走り、ペダルやサドルが豆腐に置き換わっていることを足裏やおしりに感じながら猟友会の会合へと向かう。参加するたびにメンバーが少しずつ豆腐に置き換わっているが、わたしにできることは何もなく、柔らかすぎるホワイトボードに今後の活動方針を書きだすことが精一杯だった。
会合が終わるころにはすべてのメンバーが豆腐に置き換わり、誰もいない雪まつり会場のような冷たい静寂が残った。窓の外には白濁と黄ばみに覆われた大豆の大地が広がっていて、もうすぐわたしも豆腐に置き換わるのだろう、そんな脱力をおぼえる。それは覚悟とも諦めともちがう筋肉のほぐれ。湯葉とお揚げでできた眼鏡を慎重にはずすと、白く柔らかい耳が瑞々しく床に崩れ落ちるのをおぼろげに見た。
わたしは豆腐に置き換わりはじめたまな板と包丁で最後のみょうがを刻み、そのモールスを青白い風のなかに放った。季節はまたあたたかい鹿に変わろうとしている。(了)
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