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ダンプの運転手になるまで

こんばんは、imacocoです。

昨年の春から私は、たった半年間だけ大型ダンプの運転手の仕事をしていました。

「何でまたその年でダンプの運転手?ちょっと無茶では^^;」と思われますよね?そりゃそうですよねぇ……誰だって不思議に思うのが当然かなと(笑)

まぁこれからゆっくりと、何日かにかけて書いてみようかなと思います。その前に、ちょこっとだけ実家の仕事の話からから入っていきますので、好きなお菓子と飲み物など用意して、気楽な気持ちでのんびりとお読み下さると嬉しいです(^-^)




ダンプと建機が大好きだった子供時代


元々私の実家は『建材屋』でした。もう小さい頃からうちには大型ダンプ数台と、ユンボ(パワーショベル)やブルトーザー等の建機がありました。

よく父の膝の上にちょこんと乗り、ブルトーザーの迫力ある音と動きにワクワクしたのを思い出します。ダンプに乗せてもらって現場に行く事も何度もありました。とにかくダンプや建機が大好きな子供だったのです。きっと私のダンプを見る目はハート型をしていたと思います(笑)

実家の仕事が建材屋から土建屋へ

あれは私がいくつの時だったか……はっきりとは覚えていないのですがまだ小学生くらいだったかと思います。

父はダンプの運転や建機の操作の他に腕に技術が必要だと考え、土建屋に職替えしたのです。数年後、父は『土木施工管理技士1級』と『建設機械施工管理技士』の資格を取得して、その道のプロとなるのです。

いつのまにか実家の置き場には、大型ダンプではなくて、2tダンプと建機が置かれ、工事用の資材や道具が色々と置かれています。ダンプが無いのは寂しい事でしたがそこはやはり子供ですよね……自然とそれも時間と共に忘れていきました。

そしてあれは18歳の夏休みの事です。たまさか家から現場が近かったため、父にアルバイトするかと言われ、興味本位で行ってみると、駐車場の車止め付けやライン引きの作業を経験させてもらったのです。

その時に初めて私は、土建屋の仕事は「面白い!」と思うようになります(笑)現場の中で黙々と作業する事、そして自分で作業したものが何年もそこに残るのだという事にすごく達成感がありました。

そんな私も20歳で就職して月日はどんどん流れ、同じ会社にいた夫さんと25歳で結婚しました。もうダンプとは殆どと言って良いくらい縁遠くなり、たまにアルバイトで父の仕事を手伝うくらいでした。

強くなりたくて土建屋の世界に飛び込み
土方女誕生

暫くの間は、普通の主婦として生活していた私でしたが30代の頃に、夫さんの海外出張(殆ど単身赴任)が十何年も続く事になります。結局私達夫婦は子宝にも恵まれませんでした。

夫さんの出張はいつ終わるのかもわからない。その間に何だか心がどんどんと空っぽになっていくのを感じました。

今思えばあの頃は、私けっこう性格悪かったかもなぁ……当然ですが周りには意地悪な事はしませんでしたよっ^^;(笑)

行き場を無くしたような気持ちになった私は、何となく自分で鬱病になりかけているような気がしていました。

実は以前なった事があるので、もう二度と同じ思いはするまいと一大決心します。善は急げと作業服屋に飛び込み、あの作業服で有名な『寅壱』の作業服一式揃え(ニッカ上下セット・ドカジャン・地下足袋全部揃えてやった(笑))

大反対する両親を説得して実家の土建屋の世界に飛び込みました。

そしてドボジョ誕生です!(女性の土方をドボジョというらしい……この
呼び方何とかならんもんかね^^;💦(笑))

そこから10年以上もの間、肉体労働で自分を鍛える日々を送る事になります。土建屋での話は面白く、そして長くなりますので、また改めて詳しく書く事にしますね。

代表取締役になった途端に……


話はかなり飛びまして7年位経ちますでしょうか……
その当時、父も70代を過ぎていたので社名を変えて新規に会社を立ち上げる事になりました。そういう事になったいきさつはまた改めて(笑)

その新規に立ち上げた会社の代表取締役がこの私なんですわ💦
世代交代ってやつですね。本来ならば父が会長になれば良いのですけれどまだまだ本人は現役で仕事する気満々!^^;なので、父はうちの従業員になりました。

当然父がいてくれなきゃ困ります💦土木の世界は、まだまだ女には厳しい世界です。「女なんて」と思う頭の古いお方は未だにいらっしゃいますのでね……って勝手に思わせておけばいいのでどうでもいいです^^;(笑)

そして社名も新たにこれからいよいよ活動!……という矢先に、いきなり私達家族に不安な事が起こります。

母に『認知症』の症状が徐々に出始めていたのでした。

つづく

ちょっとまとめ

ダンプの運転手の話を最初から書こうと思っていたところ、実家の仕事からの内容になり、しかもちょっと暗くなってしまいまして失礼しました💦

詳しく書きますとかなり長くなってしまいますので『土方日記』の方はまた改めて書くとしても、やはり運転手になろうとしたのは実家の仕事もきっかけとなっていますので必要かなと思いました。

かなり昔の事を思い出しつつ書いております。なのでつまらない文章になったかと思います……でも明日も頑張って書きますので、お読み頂ければ大変うれしく思います。

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