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ある莫迦の憧れに憧れた今まで やり直し 5

今日はまだ夜も明けぬうちに目が覚め、夕方に帰ってきて、あれやこれやしていたら酷く眠くなってしまい、今起きたのだけれど、なんだか象徴的な夢を見たから、そのことを書こうと思う。
僕は母に連れられ、妹、次男、三男と共に、クロス張りの床の建物に来ていた。そこに叔母、叔父、従兄弟。母方の祖母もいた。服装はかっちりし過ぎないけれど、フォーマルなスーツ。その上に七色にきらきら光るベストのような、襷のようなものを着けていた。ここは、病院のような造りをしているけれども病院ではない。各フロアに幾つかづつ、ホールがある。正面玄関は二階か三階にあり、建物全体が複雑に折れ曲がっている。ここは、王国会館の集合体であった。ご存知だろうか。エホバの証人達が集会を行う建物を王国会館という。そこに知らぬうちに連れてこられ、知らぬうちに参加させられていた。僕は、何故なのかと母と叔母へ詰め寄った。母と叔母は現実でもエホバの証人の信者であり、従兄弟と僕らは二世である。怒鳴ることはなかったが、何故、僕らをいつまでも巻き込むのかというようなことを、懇々と問い質した。返事はなかった。ように思う。僕と母、叔母以外の家族達は、いつの間にかどこかへ消えていた。夜も更け、照明は常夜灯のような小さなものが点くばかりになった建物の廊下で、僕はまだ訴え続けていた。明け方前に、叔父と従兄、妹が僕らの元へやってきた。僕に叔父が言った。帰ろう。僕は彼らと共に宿泊ができるような部屋へと向かった。途中、僕は悔し涙を流しながら、何故こうなってしまったんだと言い続けていた。幾つかの角を曲がり、フロアを移動し、ベッドのある部屋へ向かっていた。はずだった。いつの間にか、ホールへ入ってしまっていた。隣には母と叔母が座っていた。他の信者達も集まり始めていた。そこで僕は初めて怒鳴り声を上げた。巫山戯るな、と。いつまでも囲い込もうとするな、と。僕らは母と叔母を残し、そのホールから駆け出した。入り組んだ建物の中をあっちへ曲がり、こっちへ上り走った。途中、知らない信者達がこちらを見つめたり、話しかけてきたり、手を伸ばしてきたりした。それらを振り切り、振り切り、僕らは走り続けた。祖母が外で、立っていた。おかえり。そう僕らへ声をかけて、建物を出たところで、目が覚めた。

令和五年四月四日、火曜日。

今日はエホバの証人の中で、キリストが処刑されたとされる記念式の日だ。

とうに亡くなっている祖母が、僕の好きだった祖母が迎えてくれたのが救いだった。


記念式への招待が先日、母からありました。エホバの証人の中では、キリストの復活祭を祝うことはなく、処刑され罪が贖われた日を記念しています。昨今、宗教二世や脱会した人達のニュースが多く話題に上がるようになりました。きっと、そういう色々な環境が見せた夢だと思います。これからも、このエホバの証人の話題は取り上げられることがあると思いますが、僕の生きてきた中で、また、どう考えるようになっているかという点で、かなり大きく占めるものなので、申し訳ありませんが、吐き出させてください。

今日はこんな文章で終わります。

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