波は波のままでいてくれないか
午前一時。
そういえば、昔小学生のときに、秘密基地を作っていた山があった。近くには駄菓子屋とさびれたバイク屋。
いつも自転車で向かっていたところに、車に乗って行ったんだ。そして、目の前の現実にまた、言い訳を始めたんだ___
とりとめのないもの、という言葉がある。
わざわざ言わなくても、ものはすべてとりとめがないのに。
でも、事実忘れていた。
まっさらだった。
ブランコを作った木、見張り台として上った木、寝転ぶためにちょうどよかった木。土すらない。あんなにひんやりとして、湿っていて、それでいて温かくて、認識するには少しグロテスクな量・形の命があったのに。
灰色のコンクリートか、鈍く青黒いアスファルト。まっすぐに、灰色の正方形が、4つ。真新しい家が建つんだろう。
別に悪いことじゃないのはわかってる。
でも、悪くないということは、悲しくないと必ずしも一致しないこともわかった。
発展というのが大義名分になっているのは、僕らが金を使うことが答えだ。金を使うのは人間だけだ。
その前にはすべてを価値としてとらえ、値札が付かないものは後回しに考えるのが今は得意な動物だ。
なぁ、地球に値札はつけられるのかい。土地という経済概念ではなく、地球という惑星にだ。
つけられないだろう。なぜだ?
扱えないからだろう。
価値がないわけがない。すべての前提に地球があるのなら、すべての価値は地球に集約されていいはずなのに。
なぜ、ここまで地球は傷つくのだろう。
車に乗って、日本を下道で周ったことがある。
道がつながっていた。東京から、どこまでも。どこにでも、人がいた。気持ちが悪いくらいに。わかっているさ。別に悪いことじゃないんだろう。僕も確かにそれがないと困るだろう。知ってしまえばもう戻れないだろう。
下道だと県境は決まって山で、その道の隣にはだいたい川が生きていた。フランケンシュタインみたいなね。
わかっているさ。人工物というすべてのものが自然から取られたものだという事実も。言い換えればこれも自然だと。悪いことじゃない。でも、悲しくないのとは一致しない。
雨は酸っぱく、木は枯れ、山が剥げ、川は濁り、海は死にかけている。
とりとめのないものというのはどこにもないのはあなたたちを見て確信した。そのままでいてくれはしなかった。
いや、そのままでいさせなかった。
そうやって昔の記憶がなくなって、喪失感にさいなまれて死を意識するくらいなら、僕の最期まで、変わらない景色を記憶したい。写真とは違う、本当に変わらない何かがないだろうか。
僕が死んだずっとあと、地球も終わるだろう。死んだら終わるのかもしれないが。
どこか、今、僕に地球の最期を見してくれるようなものはないだろうか。
波か。
君はこのままでいてくれないか。
ご機嫌なのか、泣いているのかわからないリズムを口ずさみながら、僕を揺らし続けてくれよ。
頼むよ。
頼むよ
____
車に戻った。僕はエンジンをつける気にも、アクセルを踏む気にもなれなかった。でも踏むだろう。
加速するだろう。
楽しいさ。
だから、もう止まれないともわかっている。ブレーキなんてまたアクセルを踏むための動機作りに過ぎない。
いっそ夜中まで、破滅するまで踏み倒してやったって、変わんないだろう。
踏んで、離して、踏んで、離して、僕は車がむせび泣くかのように進んでいくしかないんだろうな。
イラスト:ノーコピーライトガール、さん