アイデンティティなんてない。ただの自己愛で、それは宇宙。
午前一時。
人から特別な力を感じたことがあるだろう。この人は、すごいってなぜか思う人がいただろう。なんなんだろう。あの不思議な力。僕にはない。能力という機能なのか?そうじゃない気がする。そうしてまた、僕は、自分に宿りはしないかと願いながら、言い訳を始めるんだ___
この世は、人間という商品の陳列棚だ。それぞれが動いて、それぞれが手に取る。
手に取ったその商品しか自分は知らないから、それが特別だと思うんだ。
自分自身を手にとってもそうだろう。
特別だと思うんだ。思えることこそが大事だとわかっているさ。
でも、長いこと棚を見渡していたら、なぜか僕は共通項でくくってしまう。
悪い癖だよな。括った先に自分がとらわれ、なんかどうでもよくなるんだ。
そんなことはわかっているさ。
僕が見た陳列棚があまり多くない頃、僕は特別だった。
周りもすべて、特別だった。周りのそれぞれも、それぞれ自身が特別で、それぞれの周りは特別だったろう。
楽しかったな。
でも、多くを見ると、やっぱり駄目なんだ。似ている商品があるもんでさ。
これとこれは似ているな、どっちにしようかな、こっち。
そうやって、特別は凡庸になり、凡庸から得するほうを選び出すんだ。
そうされた。そうしてきた。
ひときわ目立つ特別が陳列されると、こぞってそれを取ろうとする。
そして、似たようなものがいると、別にそれじゃなくてもいいんだ。
そういうもんだ。アイデンティティなんて存在しない。
もし世界中の人のことを見てみろ、誰かが誰かに似ている。
ならたちまち凡庸だ。
それに気づいて、新しい括り方を頑張ろうったって、結局その括りで凡庸になる。
ないんだよ。そんなもの。
でもさ、別になくていいんだ。
結局、自分は特別だって、自分が思えれば、それでいいんだよ。
理由を探さなくていいんだよ。
特別な自分が見た、特別な世界で、生きるんだ。
だから、僕はそれでいいんだ。
___でも、やっぱり、比べてしまう。比べないと僕が僕かすらわからない。もう、無理じゃないのか。苦しいな、この頭は。苦しむためについているわけじゃないだろうに。
明日は、なんの疑いもなく僕を僕と決めつけて、決めつけを愛して、僕の宇宙ができてほしいと願いながら、祈るように目を瞑った。
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