血のつながりなんて科学的なものより、愛したか、愛されたかの方が重要だ。
一昨日祖父が他界した。人の死に密にかかわることは初めてだった。生前に駆け付け話をした。車いすにのっけて外へ出た。介護らしい介護を少しだけした。
しかし、自分が祖父に薄情だったのか、祖父が自分に対して薄情だったのか、とにかく互いに薄情だった。
私が祖父へ幾度か会いに行ったとき「あぁ、お前か」
私も祖父の訃報を聞いたとき、「あぁ、そうか」
祖父との会話の記憶は、祖父が怒って私に話しかけたときしかなかった。でも別に殴りもしない。イラついた原因を止めるだけ。ただ、それだけだった。
大学に行ってからは手のひらを返したように、笑顔で私の手を握ってきたが、死ぬ前には結局、「あぁ、お前か」だ。何か得るものもあるかと思ったが、なかった。
なかなか難しいが、家族には序列がある。
苗字が一緒の方が優先といったものだ。
祖父と、私は、苗字が同じだ。しかし、祖父に可愛がられた、苗字の違う従姉妹が2人いる。
その2人は、祖父の死の前で泣いた。私は、あまり悲しく感じなかった。それもそうだろう。介護のときに、祖父の部屋に行った。写真が棚にいっぱい飾ってあった。
従姉妹2人の、写真ばかりだった。
申し訳ないなと、思った。
祖父が愛した人に、祖父の死がもたらす実利が行かぬということに対してだ。
祖父が、それらの写真に囲まれて生きた部屋・家、祖父が従妹に上げようかな、と言っていた車、金。
ほぼ、父にわたり、形は変わるか変わらないか、だがゆくゆく私の手に来るだろう。
そんなもの、持たされるこちらとしても苦しい。どうせまたこのことを思い出す。
知っている。私のことが好きじゃないことを。
知っている。従姉妹には贈り物などをしていたことを。
知っている。あなたは私にものを与えることを拒んでいたことを。
知っているよ。
あなたは自身の子は好きだった。孫はきちんと好き嫌いを分けていた。孫もそれぞれ愛された分あなたを愛した。ただそれだけ。人には好き嫌いがある。ただそれだけだ。
だから、私はあなたの顔から一番遠い足元でベッドを見渡していた。私以外はみんな寄り添い泣いていた。
あなたは僕以外はしっかり愛していたのか。
愛してもらえてよかったな、みんなも、祖父も。
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