原因は自分にある。のマルチバース・アドベンチャーの考察をしたら無限の可能性を見つけた
原因は自分にある。のマルチバース・アドベンチャーがあまりにもげんじぶの今である気がした。
そもそもこの曲が収録されているEPの題名すら5年目の彼らすぎる。
仮定法のあなたへ。それぞれ6曲に収録されている物語のあなたに対して。
つまり、色んな世界がありそこで出会うあなたとの物語。
ここでげんじぶのデビューから今までと、4年間を終え5年目に突入し未来へと向かっていく彼らの分岐点の話からしたい。
げんじぶと言えば、2次元と3次元の狭間というコンセプト。コロナの最中ということと、10代の彼らの儚さと危うさがいい具合に絡み合いげんじぶんらしいが確立された。
不安定な世の中でどこか機械っぽい彼らの姿は不思議で掴みどころのないように感じた。
この時点では原因は自分にある。の原因は明らかに彼ら自身であったのだ。げんじぶは彼らが原因となっているからこそグループとして成り立っていた。
しかし、世の中はコロナ明けとなっていきライブを資本とする彼らにも変化が見える。
これまではげんじぶ空間:case.1~4と題してのライブ。
そしてパシフィコ横浜でげんじぶ空間:case.5 End of infinity が行われた。
ここでは終わりの終わりは始まりとされげんじぶにおいての第2章が始まったと捉えられる。
ここから5年目、そして未来へと向かっていくわけだが、ライブ自体も声出しが解禁され観測者と彼らの距離が一気に近くなる。
そして、去年の夏ツアーG=∅が行われ過去最大規模である因果律の逆転が行われた。
この因果律の逆転というのが、結果が先で原因が後になるという解釈らしいのだが、私自身ゴリゴリの文系のため超個人的解釈をすると
この時点から原因は自分にある。の原因が観測者であり、これからげんじぶを好きになる人へと転換したのではないかと考える。
そして、今回のコンセプトEP仮定法のあなたへが発表されることとなる。このEPの表題曲であろうマルチバース・アドベンチャーがげんじぶの 今 そして、未来の在り方のような気がした。
久下さんの楽曲ということで良すぎることは確定していたにもかかわらず、私の心持が足りなかっ
たのか想像よりも良すぎた。本当に、良すぎた。
マルチバースという考え自体げんじぶであるような気がする。
マルチバースというのは複数の宇宙が存在しているという考えだ。これも物理学的な考え方である。この世界はひとつではないという解釈だろうと、、これがげんじぶがよく使う多世界解釈につながるところがある。
仮定法といっている時点で多世界解釈な気もする。文系でありながら物理学的な話が本当に好きなのでこの辺も深く掘り下げたいのだが、割愛する。
曲に戻ると、イントロからげんじぶを噛みしめる。どことなく、原因は自分にある。や、原因は君にもある。のイントロを重ねてしまうのはファンの性であろうか。
吉澤要人、桜木雅哉、代和人と歌い繋がれて行く中でげんじぶの入りとしては少しの珍しさを感じつつ年少組の安定してきた歌声とどこか少年が残る歌声に物語の始まりを感じる。
正しさだけが唯一つではない、完成だけがすべてではないと不完全であることの肯定。
今、完璧でいないといけないと苦しんでいる人に対しての言葉のようにも思えるし、げんじぶに対してのメッセージにも思える。
げんじぶのコンセプト的に人間味のない完璧な姿というのは理想でありそれでいなくてはいけないという空気もあったのかなと。
そうじゃなくて、だんだんと大人になっていく彼らに不完全でいることの素晴らしさを提示しているようにも思える。
個人的にはあなたという言葉に注目したい。基本的にげんじぶの曲では君が使われることが多かった。そして、その君はどこか手の届かない存在であることが多いような気がする。
例えば、ダイアモンドリリー、シェイクスピアに学ぶ恋愛定理、幽かな夜の夢など
しかし、今回はあなたが使用されている。どこか距離が近く感じる。
君のような輪郭がぼやけている対象ではなくはっきりと近くに存在している対象がある。これからのげんじぶの旅に観測者も横並びでついていくような感覚になる。
サビの小泉光咲の歌声。この歌声があることで一気にげんじぶ感が増す。透き通った無機質な彼の歌声は聞き心地は抜群にいいのに耳に残るインパクトも大きい。
この世界は彼らがそして私たちが生きている世界で、出会えた今であってほしいと思う。サビの歌詞に関しては捉え方が沢山ある。
その中で一つだけ言うなれば、これは私たちとげんじぶが出逢った瞬間のことでもあり、彼らがメンバーと出逢った瞬間でもあるということだ。
この曲において時間軸は人によって変わってくると思う。この曲を聞いた瞬間、げんじぶと出逢った瞬間、げんじぶがげんじぶになった瞬間など、色んな刹那に想いを馳せて旅をすることができる。
武藤潤で締める圧倒的な安心感。光咲とは違う人間味のある歌声は曲に強さが加わる。
コンパスのように確かな道しるべはないにしろ、げんじぶなら絶対に大丈夫だろうという安心感。
観測者目線でげんじぶと出会えた喜び嬉しさ幸せが詰まっているように思えて本当に大好きな歌詞。
二番からはこれから出逢うあなたに贈っていると思われる。まだげんじぶとあなたが出逢っていない世界、げんじぶと私たちが見たことのない世界のこと。
ここで、一つ頭に浮かんだのがシュレーディンガーの猫という実験だ。
簡単に言うと箱の中に猫がいて、トリガーが発動されたことで生きているかどうか、実験の結果は観測者が見てみないとわからない、生きているかどうかは同じ確率で存在するということなのだがまさに見えるまで幻ということなのだ。
げんじぶの未来も私たちが見てみないとわからない、今まさに物語のページを丁寧にめくっているように思われる。
この後の同色で並ぶ宇宙というのがどうも引っかかる。人間それぞれ世界を持っているから、げんじぶメンバーそれぞれの世界が同じような色で成っているということのなのか、、。
パッと浮かぶのが藍色関光のイメージ。空なんて好きな色に変えてという歌詞。
このときの世界に背を向けて君との不確定な未来を探し出す、哀愁のある暗さからその暗ささえ包み込むようになったげんじぶの成長を感じる。
2サビ前の壮大な音楽に長野遼大の歌声、しなやかで艶のある彼の歌声に来るぞという期待感が最高潮に達する。
ジグソームーブという単語。調べたけどどうも造語のよう。ご存じの方、教えてください。
この単語に関しては本当にわからないので解釈になるが、そもそもjigsawという単語が複雑なとか入り組んだというような意味を持つ。
そこに沿って前後の歌詞も取ると、夢とか理想とかに向かっていくその過程でおこなうすべての行為のことでいいんじゃないのかなと。
あとから思えば遠回りだったり無駄だったかもしれないけれどそれさえもすべて自分のものにする。そういう捉え方。
大倉空人の跳ねるような歌い方からのきれいな裏声に、何個表現を持っているのかと感動する。
長野遼大に続き、ほかの6人が後から追いかけていき、長野凌大の歌声で締める歌割り。
未来に向かう彼らの姿が、眩しいくらいの輝きを放つ彼らが目に浮かぶ。げんじぶの軸でセンターの強さというか迷いのなさが歌声に宿っていて圧倒される。
そのままエンディングに流れていくが、これも心地の良い流れで、冒険のわくわく感を残しながら続きが気になるエンディングである。
ここでこの曲は終わる。
原因は自分にある。の物語、一緒にページをめくっていきたいと改めて思う。