見出し画像

『イセカン《異世界帰還者管理局員サーディアの背信》』愛夢ラノベP|【#創作大賞2024 、#ファンタジー小説部門】

『イセカン』愛夢ラノベP



【あらすじ】

 サーディアはイセカン所属の機械である。メフィスの指示で、今日も能力者を水上都市に連れていく。浮遊要塞メフィス邸で能力者をメフィスに渡す。すると、メフィスは能力者を殺害し、サーディアにニンシンという病気に冒された少女を火山に捨てるように命じる。
 サーディアは火山に向かう。その途中で少女と仲良くなり、ブランクと呼ぶようになる。だが、ブランクが月面派の異世界帰還者に拉致される。また、サーディアは機体を損傷する。
 こうしてサーディアに任務に失敗するのだが、このままではメフィスに破壊されてしまう。そこで、サーディアはブランクの奪還を誓う。


第零部 令和時代のあるブログ

タイトル 『神々廻メフィス別天地事件まとめ』

画像1


【はじめに】

 ここに一枚の新聞の切り抜きがある。


   (画像データは破損して表示できない)


 これは二千年代初頭に書かれた毎朝新聞の記事だ。記事には世界の縮図が記載されている。
 ――神々廻(ししば)メフィス別天地事件。
 この令和九年に起きた事件を機に、世界の歴史は二分された。時代区分がメフィス再臨以前と以後に明確に峻別された。
 ただ、そもそも神々廻メフィス別天地事件とは何だったのか? まずは事件の全容を確認したい。


【事件の背景】

 二千年初頭に異世界転生ブームが起きた。分かりやすいテンプレートにストレスフリーなストーリーが読者に受けた。しかも、誰もが簡単に真似できるため、ネットには色んな作品が溢れた。
 そんな時代にある噂が流れた。年間何万人も消える行方不明者は何処に逝ったのか?
 そう、答えは簡単である。異世界転生または転移をしているわけだ。こんな噂が千里を駆け巡った。
 もちろん、良識ある大人はフンッと鼻で笑った。
 ただ、ある宗教団体だけは、この噂を信じた。その宗教団体は、青地に二つの球体とその球体を繋ぐ矢印を旗印にしていた。
 そして、サンタクロースのような白髭を生やした教祖は、異世界転生や転移をした人々を連れ戻す事が神童の務めだと主張し始めた。


【神々廻メフィス別天地事件】

 中二病に冒された身勝手な信者たちは、神童たる神々廻メフィスを人柱にして、異世界にいる人々を帰還させる計画を発表した。
 話は簡単だ――異世界転移をさせるために、神々廻メフィスに服毒自殺をさせ、彼女を祈祷で甦らせるだけである。もちろん、49日までに戻らなければ、お葬式をする算段だったらしい。
 令和9年1月1日、紫の長髪で真っ白な死装束姿の神々廻メフィスが動画投稿サイトをジャックした。当時九歳の少女が服毒自殺をするシーンが全世界に配信された。
 大量の薬を飲んだ彼女はベッドに横たわり、最初は寝息をたてていた。コメント欄はヤラセだのウソだのと荒らしが大量に発生した。
 投稿サイトの管理会社は、衝撃的で残虐な映像だと判断して、何度も動画を削除をした。しかし、宗教団体の関係者が別のアカウントで配信を続けた。
 翌日もメフィスは目覚めない。この頃からテレビで取り上げられ、生死に関する論争が起きる。
 ――2日後、この一連の騒動に『神々廻メフィス別天地事件』と名称が付けられるや否や、この儀式が瞬く間に世界に広まる。
 物事は名前によって、それが認識可能になるということが示された瞬間でもある。騒動に名前が付けられ、世界は事件を認知した。
 ――3日が経った頃、警察が捜査を開始した。何日も食事を採らないのは不自然だというのが理由である。そう思うなら初日に動けよ、いつも事件になるまで動かないなと世間は呆れた。
 ――そして、1週間が経ったある日、警察官がメフィスの寝床に入ってきた。宗教団体の人間と警官が取っ組み合いの喧嘩をする映像を最後に配信は打ち切られた。


【後日談】

 神々廻メフィスは死んでいたらしい。これで事件は終わった……そう、誰もが思った。
 しかし、むしろここからが本題であった事は容易に想像が付くだろう。
 録画された動画が毎日のように投稿されていった。警察は配信者を特定しては捕まえるが、模倣犯は後を断たない。結局、騒動が収まるまでに二週間を要した。
 やがて人々の記憶から、この事件が忘れられていく。まるで事件が無かったかのような日常が戻った頃、その記憶が呼び覚まされる事態が起こる。
 ――騒動から40日が経過した頃、死んだはずの神々廻メフィス本人が1本の動画を投稿した。
 薄暗い祭壇に9歳の少女が座していた。白装束に紫の長髪は顕在である。ただ、蝋燭の灯りでは表情までは分からない。
 映像は10秒足らずの短い内容だ。
「今宵より、私の能力によって異世界に誘われた人々を地球に帰還させましょう」
 えっマジで――世界はメフィスの言動に色んな意味で震え上がった。
 そして、メフィスの発表の通り、現代社会に異世界転生者や転移者が帰還するようになった。しかも、最悪な事に彼ら彼女らは、この世でも無双を始めた。
 この事態を治めるために、メフィスが結成した組織こそ、皆さんもご存じの異世界帰還者管理局――通称イセカンである。


【最後に】

 もしかしたら、あなたがブログを読む頃には私は死んでいるかもしれない。
 ただ、信じてほしい。今まさに触れた事件は、実際に起きた出来事のまとめだ。
 後世のために、私が知る限りの事実を、嘘偽りなく、その一部始終を記載した。
 だから、閲覧者は事実から目を背けるな。この事件はヤラセでも捏造でもない――これが正真正銘の現実なのだ!

ブログ管理者 リセマラ梟
最終更新日 122年前





第一部 カグヤヒメ作戦
第一章 サーディアは忙しい


 ――メフィス再臨から122年が経った。
 私の乗る水上バイクが紫の海を切り開く。毒々しい水飛沫を立てながら、私は荷物を本部に運ぶ。通りすぎた後には漣しか残らない。

画像2

「バタちゃん、あと何分で本部に着く?」

 私はバタフライ・トランシーバーに尋ねる。通称はバタちゃんである。
 髪飾りのように頭に付く七色に煌めく蝶を模した小型の送受信機――それすなわち、バタフライ・トランシーバー。
 イセカン所属のメフィス親衛隊は、このトランシーバーから指示を受ける。

「すまない、もう一度はっきりと言ってくれ!」

「なぜ一度で聞き取れないの! 本部まで何分よ?」

 バタちゃんは不思議だ。よく喋る。しかも、電子音ではなくて爺さんの声がする。そして、耳が遠い。
 メフィスに交換をお願いしたが、代替機がないと却下された。たぶん嘘である。

「サーディア……いつも言っておるが、冷酷な仏頂面は止めよ。笑顔で明るく話せば、お前も可愛い女の子に見えるぞい」

 カワイイ……この言葉の意味がよく分からない。私はカワイイのだろうか?
 紫の海面に映る私の横顔を眺める。色白の肌、アーモンド型の眼、高い鼻、プルんとした唇と顔のパーツは整っている。
 それにブルーベリーシャーベットを想起させる淡藤色のショートヘアーもちょっぴり自慢である。体型は細身で、胸は少しふくよかだ。
 まぁ、ピッチリしたアーマースーツと厳つい電磁槍のせいで、カワイイが半減しているかも。

「うるさい、カワイイなんて私には関係ないわ。とにかく質問に答えて」

 私は可愛げもなく淡々と質問をする。別にカワイイなど要らない。むしろ命懸けの戦闘では邪魔でさえある。

「あと数分だ。ほら、見えてきたぞ」

 紫の海の彼方に見慣れた壁が現れた。天まで伸びる真っ白な壁は全てを拒む――まるでメフィスの心のように。
 この辺りの海域は毒で汚染されている。帰還者とイセカンとの戦争の爪痕だ。それ故、色は紫に染まり、海洋生物はほぼ死滅している。それが名前の由来となり、ポイズンオーシャンやポイゾナ海なんて呼ばれている。
 その時、後部座席の積み荷が動いた。私は背負っていた電磁槍をスパンと抜く。荷物の首元に槍を突き立てる。

「動くな。殺されたいの?」

 私は電磁槍を少女に突きつける。今、1人の女子高校生をグルグル巻きにして、本部に連行している。
 異世界帰還者を捕らえてメフィスの元に届ける。この21文字の簡単な説明からは想像を絶するような職務――それがイセカン所属のメフィス親衛隊の仕事。
 ちなみに、妖艶に縛られたDカップの女子高生は口も縛られている。彼女は「ウンウン」と喘ぐ。しかし、諸般の事情で拘束は解けない。

「惨めな能力者ね。メフィスに会うまでの命よ。大人しく待ってなさい」

 芋虫みたいな制服姿を見ていると、やはりカワイイは要らないと再確認する。
 乱れた制服にも、涎を垂らす口元にも、時々みせる白い肌にも、のたうち回る細い足にもエロさを微塵も感じない。まぁ、私が人間ではないからかもしれないが……。


 ――ポイゾナ海を渡ること数分、船は本部がある埋立て地に到着する。

「すみません、身分証とお名前を!」

 ヒューマンベルトの大門で、警備員が私に声をかける。千人の選ばれた人間が住む地域――それすなわち、ヒューマンベルト。
 ヒューマンベルトは、太平洋の真ん中に作られた水上都市とカオスゾーンの緩衝地帯として存在している。
 水上都市とヒューマンベルト以外の地域――それすなわち、カオスゾーン。

「イセカン所属のサーディアです。異世界帰りの女子高校生を捕獲しました」

「おぉ、あなたが第3位のサーディア様ですか。お疲れ様です。ちなみに、そちらの女の子のお名前は?」

「おい、止めろ。死ぬぞ」と制止する私を無視して、警備員は女子高生の猿轡を外した。
 あっ、こいつは死んだな!
 私は警備員の寿命を悟りながら、自動開閉する耳の防音シャッターを下ろす。
 女子高生は、可愛い見た目に反して「八つ裂きになって死にやがれ!」みたいな暴言を吐いたと妄想する。
 本当にそう言ったかは定かではない。というのも、私は遮音していて彼女の声が聞こえない。
 でも、たぶん彼女はそんな事を言ったはずである。
 なぜそれが分かるのか?
 そんなのは簡単な考察だ。彼女が口を動かした直後、周囲五メートル以内の人たちがサイコロステーキのように血飛沫を上げて切り刻まれたからである。

「だから、止めろと言ったのよ。異世界帰還者に無能力者が手を出すべきではない」

 私は即座に女子高生に猿轡をつける。そして、耳のシャッターを開けながら、女子高生の耳元でこう囁く。

「次に《有言実行》の能力を使ったら、頭を銃で撃ち抜くわ」

 私は左手をピストルに変形させ、彼女の頭に突きつけた。
 しかし、彼女は動じない。私を睨み付け、ほくそ笑んでいる。私が発砲するよりも速く、死ねと叫ぶ自信があるようだ。

「門番がいないから検問ができないわね。まぁ、ヒューマンベルトを通るくらい問題ないか」

 私はヒューマンベルトに入る。選び抜かれた人間が私の姿を見てざわめく。ここの住人は、とある宗教団体の信者の末裔らしい。

画像4

「あれはサーディア。この百年で何万人もの首をはねたらしいわ」

「メフィスの犬め。命令とあらば、俺たちも殺すのだろう」

「ここに来るな」と幼女が私に石を投げ、母親が「止めなさい、殺されるわよ」と止める。

 別に殺しはしない。ヒューマンベルトの人間に無許可で手を出せない。メフィス教典に反すれば、私がメフィスに消されてしまう。
 それに、私は罵詈雑言や誹謗中傷も気にならない。傷つく心がないからだ。


 ――15分ほど歩いて、水上都市に入る。
 太平洋の6割を占める埋め立て地に築かれたメフィス親衛隊の本拠地――それすなわち水上都市。

画像4

「やっと着いたわ。少し休憩を……」と私が道を反れると、バタちゃんが鳴る。

「メフィス様がお呼びだ。女子高生を連れて、メフィス邸に急げ」

 メフィスは人使いが荒い。いや、厳密には私は人ではないが、激務が百年も続いている。
 ちなみに、私は百歳ではない。稼働期間は百年だが、見た目はエターナルエイティーンだ。
 マグネシウム超合金の骨格に、ヒドロゲル製の人工皮膚を装着しているから、ずっと若々しいままだ。

「ユグドラシルに乗って、メフィス邸にすぐ向かう」

 私は本音を隠して通信する。ダルい……あれ、何だ、今の体にのし掛かる重圧は?
 重い足取りのまま、水上都市の中央にあるユグドラシルに向かう。浮遊要塞メフィス邸と水上都市を結ぶ垂直のエレベーター――それすなわち、ユグドラシル。
 水上都市のネオンは星のように瞬き、一面にコンクリートジャングルが広がる。発展した繁華街を抜けると、見覚えのあるエレベーターに辿り着く。

画像5

「どちらまで?」とエレベーターガールが声をかけてくる。

「行き先は一つしかないわ。メフィス邸よ」

 この無意味なやり取りが鬱陶しい。ムカつく……うん、何だ今の刺々しいイライラは?
 胸に違和感を覚えながら、エレベーターで一気に成層圏付近にあるメフィスの自宅へと向かう。
 三百六十度ガラス張りのエレベーターからは変わり果てた地球が見下ろせる。
 黄土色の靄に包まれた地域。
 ぽっかりとくり貫かれた大地の臍。
 真っ赤に燃える焔に覆われた紅蓮の焼野。
 遥か彼方に見える未踏の山岳地帯。
 天空を貫く垂直のムーンロード。
 真紫に染められた毒々しいポイゾナ海。
 砂嵐が何本も渦巻く生物なき砂漠。
 荒れ狂う吹雪と乱立する氷柱の白銀世界。

画像6

「この百年で地球は、かつての面影を失った。天変地異が起きた後のようだ」

 すべて異世界帰還者と我々イセカンの親衛隊が行った戦闘の爪痕である。
 神々廻メフィス別天地事件以降、世界は混沌に包まれた。異世界帰還者は能力で世界を支配しようとし、それをメフィスが許さない構図ができた。
 多くの人間が死に絶えていく中で、メフィスは科学技術と能力を駆使して、異世界帰還者を支配しようとしている。
 そのまま視点を宇宙へと向ける。
 月が落下している。月には月面基地ムーンが多数あった。しかし、今や基地は異世界帰還者の手中に落ちた。その一派を月面派と呼んでいる。
 現在、月面派は月を地球に落として、メフィス抹殺を目論んでいるようだ。二年後には、ティアインパクトを起こして地球を消し去るらしい。
 イセカンはムーンロードを使って月面に兵士を送っているが、ムーン奪還には至っていない。

画像7

「浮遊要塞メフィス邸です」とエレベーターガールが頭を下げる。

 私はエレベーターガールを睨む。百年間も同じやり取りをしている。だから、一々説明せずとも分かるはずだろ。

「あら、サーディアじゃなーい」と耳障りな雑音を感知する。

 真っ赤な長髪の隊員が私の行く手を塞ぐ。ルビーのような瞳が私を見下している。

「トゥワイ、そこに立つとエレベーターから降りられないわ。退いて!」

 トゥワイ――メフィス親衛隊第二位、私の天敵、製造は五十年前、優越感が物凄い、気が強い、負けず嫌い、死ね。
 注がれる赤ワインのような長髪を靡かせ、官能的なおっぱいが自慢の女兵士だ。

「あら、細身のサーディアなら、この隙間を通れるでしょ。私は引っ掛かるけど……」

 トゥワイは豊満な豊胸を見せつけてくる。ウザイ……あれ何だ、このムカムカする感覚は?

「私たちにとって、胸なんて魅力でも何でもないわ。それは単なる人工皮膚の塊よ」

「あら、貧乳が強がっちゃって!」とトゥワイが嘲笑をみせる。

「トゥワイは戦果がないから、胸しか誇れないのでしょ」

「何ですって! 私は2番よ。2という数字は素晴らしいわ。偶数では唯一の素数、最小のソフィージェルマン素数……これほど美しい数字があるかしら」

「あらあら、2という数字は2番目の高度トーシェント数、2番目のベル数、2番目のカタラン数、2番目のレピュニット、2番目のハーシャッド数……2は永遠に1番にはなれないわね」

「そっそれは……私がエースに勝てないという意味かしら。3位ごときが私に喧嘩を売るのか?」

 トゥワイが大剣をシャキーンと鞘から抜く。それを私の喉元に突き立てる。

「いいの? メフィス教典に反した戦闘をすれば、トゥワイが廃棄されるけど……」

 メフィスとの決め事がまとめられた法律――それすなわち、メフィス教典。メフィス親衛隊は教典の絶対遵守を誓っている。
 私は出来る限り冷酷な眼差しで睨み付ける。トゥワイは嫌い……あれ何だ、この人を遠ざけるような感覚は?

「まぁいいわ。サーディアに心が芽生えたら、殺しに行くのは私の仕事よ。その時は存分に痛ぶってから殺るわ!」

 トゥワイは怒鳴りながら大剣を鞘に納め、私をエレベーターから放り出した。

「どちらに……」とエレベーターガールが声をかけると、トゥワイは「下よ」と怒髪天を衝く。

 エレベーターの扉が閉まると、乗り場は静寂に包まれる。トゥワイがいないと平和である。

「私に心などあるはずない。トゥワイめ、ふざけた事を抜かすわね」

 私は女子高校生の縄を握り締めて、メフィス邸に向かう。
 浮遊要塞の中央で、ライトアップされた西洋風の白い建物がメフィス邸である。

画像8

「お待ち堂さま。メフィス邸よ、ここで貴女の処分が決まるわ」

 暴れる女子高生に私は優しく教えて上げる。どんな罪人にも最期くらいは施しを与えなきゃね。
 大理石でできた玄関を抜けて、螺旋階段を上がる。最上階の五階に着く。
 穢れた血で染めたような深紅のカーペットを進んで、黄金で装飾された木製の扉を開ける。

「サーディア、お帰りなさい!」

 神々廻メフィスは満面の笑みを見せた。いつも通り、ベッドの上でゴロゴロしている。
 メフィスは、イセカンの創設者にして絶対的君主で、何よりも私のボスだ。
 齢は僅か9歳。私が作られてから百年が経つが、全く老いることがない。紫の長髪が白い着物にかかっている。

「ただいま戻りました」

 私は女子高校生を投げた。女子高生は、私とメフィスの中間地点にドスンと転がる。レースの白いパンツが露になった。

「サーディア、猿轡を外せ。声が聞きたい」

「彼女は言葉にした事を……」

「現実にする事ができる。その事を私が知らぬと思うのか? 私が有言実行に負けると思ったか!」

 メフィスは私の話す内容を先取りして、侮る私に激怒した。私に向けられた大声で突風が吹き荒れる。一瞬、吹き飛びそうになった。
 身震いがした。怖い……おや何だ、この体のビクビクは?

「いえ、メフィス様が負けるはずなどありません。私の失態であります」

 私は女子高校生に歩み寄ると、震える手で彼女の拘束を解く。メフィスは、その様子を満足気に眺めながら、両手を広げて女子高生に問うた。

「選べ! 制限ある自由か? 制限なき死没か?」

 イセカンの領地内でのみ能力を使うか、ここで死ぬかを訊いている。

「このクソ餓鬼が……死ね! ハッハッハッハッ、言ってやった。死ねと言葉にしたわ!」

 女子高校生が勝利を確信して高らかに笑う。豪邸に哀れな笑い声が反響する。無知が如何に愚かな事かを象徴していた。
 もちろん、メフィスは死なない!

「はわあぁあー、他に言うべき事はないかしら? よく考えてね、貴女の最期の言葉よ」とメフィスは退屈そうに欠伸をした。

「なっなぜ、生きているの? 私の有言実行で2人とも死ぬはずよ。ほら、死ぬ! 死ね! 死ね死ね死ね死ね」

 唾を吐き散らしながら喚く女子高校生が虚しい……何だ、このポッカリと胸に穴が空く感じは?
 彼女の姿を見ていると、優しく教えてあげたくなった。

「無駄よ、浮遊要塞では能力を使えないわ」

 どんな罪人にも最期くらいは施しを与えなきゃいけない。私は諭すように、女子高生に己の無力さを解らせた。

「サーディア、私は発言を認めていないわ」とメフィスに諌められ、私は「すみません」と頭を下げた。

 女子高生は目を見開いて、「そんな馬鹿な」と絶句した。

 浮遊要塞でメフィスを殺すことは不可能である。私の知る限り、メフィスには幾つかの加護がある。
 第一に、自身の手足となって戦うメフィス親衛隊。
 第二に、異能を封じ込めるアンチスキル。
 第三に、自身の死を人間に転嫁する移し身。
 第四に、テリトリー。これについては教えて貰えない。それゆえに知らない。ただ、メフィスの最後の切り札らしい。
 最もメフィスの様子を見るからに、他にも能力や加護は隠されている。メフィスは用心深く慎重な人間だ。そう簡単に殺られはしない。

「退屈ね。もっと楽しめると思ったのに……」

 メフィスが話を始めると、女子高生は逃げ出した。私には見向きもせず、入ってきた扉を出た。
 まぁ、追わなくても逃げられない。私はメフィスが指示を出さないので、突っ立ったまま待つだけだ。
 メフィスがパチンと指を鳴らす。すると、女子高校生は部屋の中央に戻された。

「呆気ない最後ね」とメフィスが空を両手で握り締める。

「なぜ戻った……うっ、ううっ苦し……離して!」

 女子高生は自分の首を触る。誰も触れていないのに、メフィスの動きに合わせて、そのまま10メートルほど宙に浮く。何者かに首を絞められているようだ。まぁ、遠くにいるメフィスが犯人である。
 女子高生は身悶える。死に抗おうと反発する。蜘蛛の巣に絡まった虫のように手足を無駄に動かしている。

「死にだぐなぃ。言うこと……聞ぐ。だずげで!」

 遅い遅すぎる。メフィスに逆らう事は死を意味している。メフィスは世界のルールだ。彼女は、その理をもっと早く知るべきであった。

「憐れな帰還者に制限なき死没を! 地獄で自由に生きなさい」

 メフィスは左手をスッと右から左にスライドさせた。
 すると、宙に浮く女子高生の体が落下した。胴体に首は付いてない。首は依然として浮いていた。
 首の切断面から真っ赤な血飛沫が床を赤く染める。カーペットが赤い理由は、これである。

「私に逆らうと命はないわ。輪廻転生しても忘れぬよう、その魂に痛みを刻み込んでおけ!」

 メフィスは、ピッチャーの投球ホームのように右手を振り下ろす。
 首が野球ボールのように私に飛んで来る。女子高生の瞳には、死神を見たときのような絶望の色しかなかった。
 咄嗟に私は首を左に傾ける。右耳の横をブンッと首が掠めて、顔に生温かい血液が付着する。頭部はコロコロと廊下を転がっていた。

「きゃー、怖かった。能力を封印していなければ、私は間違いなく死んでいたわ……グスン」

 メフィスは誰かの死には涙を流さない。ただ、怯えて涙を見せているだけだ。
 メフィスの強さの根源は紛れもなく恐怖である。
 何かに怯える力が生への執着を生む。生きるために危機察知能力が格段に高まる。危険に対する対策を講じる。それでも不安は拭えず、ひたすら準備と管理を進める。そして、全てを支配することで自身への反逆の芽を殲滅する。
 そう、メフィスは畏怖の念を抱くことで、あらゆる危害からも身を守っている。
 その一つが我々メフィス親衛隊でもある。自分は安全地帯で指示を出し、我々を手足として使って帰還者を選別している。

「メフィス様、ご安心ください。驚異は去りました」

「サーディア、ご苦労であった。しかし、驚異は未だに残っておる。帰りにゴミを処分しろ!」

 メフィスは黒いゴミ袋を投げた。ドスンと音がして袋から少女が顔だけを出す。14歳くらいだ。

「この子を焼却炉に捨てれば宜しいのですね?」

「さすが3位の子だ。察しがいいな。しかし、そやつは妊娠という病に冒されておる。危険だから火山の火口で焼き払い、焼失するところを撮影して来なさい」

 おいおい、帰って来た私にまた仕事を課すのか……別の子に任せなさいよ。
 そもそも、ニンシンってどんな病気よ。それに火山まで片道一週間はかかるじゃない。行きたくない、でも本音は漏らせない。

「あの……ニンシンという病気は私には感染しませんか?」

「サーディアは妊娠を知らぬのか。妊娠とは、人間の女性が子供を身籠ることよ。クローンの中に時たま発症する者がおる」

 私にはよく分からないが、ニンシンというのは人間特有の繁殖方法らしい。

「なるほど、空気感染はしないという事ですね。安心しました」

「この世では人間は試験管から生まれる。私が必要とした数しか生ませない。だから、妊娠など認めるわけにはいかないのよ」

 メフィスの考えは簡単だ。自分の知らないところで人が増えるのは怖い。そうだ、人数を管理しよう。ヒューマンベルトで産児制限を実施する。
 それなのに、クローンにニンシンという病気が発症した。これは計画の邪魔だ。邪魔なら消せば良い。これがメフィスの決めたルールらしい。

「メフィス様、お言葉ですが……火山まではかなりの距離があります。他の任務もあり、すぐには行けせん」

「そうか……なら、1週間だけ待とう。必ずや捨て去れ。それと妊娠は貴重な病だ。それを狙う命知らずもおるから、容赦なく殺せ」

 はぁ? 火山まで片道1週間もかかるのに、トータルで1週間だけ待つだと……お前が捨てにいけよ!

「どうした……はやく行け。それとも私に言いたい事でもあるのか?」

「メフィス様の仰せのままに」

 満面の笑みを見せて、ゴミ袋を持ち上げる。
 部屋を出て、木製の扉を締める。十分に距離を取ってから小声で愚痴を漏らす。

「なぜ私が火山に行かないといけないの? 焼却炉で燃えるでしょ。そこで他の死体も焼く。メフィスは人使いが荒いのよ」

 何だ、このマグマのようにフツフツと煮えたぎる胸中の熱源は?
 そのとき、私に投げつけられた頭部が見えた。普段は下品だからしないが、私は足を高く上げると、グシャッと頭部を踏み潰した。

「やれば良いのよね、ゴミを捨てるだけよ!」

 今回の任務はニンシンという病に冒された女の子の殺処分だ。

「ゴミ、これを飲みなさい」と私はカプセルを少女の口に押し込む。ゴミは「うっううっゴクン」とそれを飲み込んだ。
 今のは超小型位置情報発信装置である。これでゴミの位置はいつでも分かる。
 最後に、大事なので、もう一度だけ確認する。少女の焼却という5文字が私の仕事だ。ゴミ捨てなんて簡単な仕事、さっさと終わらせたいわ。



 ――数分後、浮遊要塞のエレベーターガールと再会する。

「どちらまで?」と聞くので、私は「下!」と怒鳴る。このやり取りは本当に無駄だ。
 右手に持った少女が重い。落ち着いて見てみると、黒い長髪が艶やかな和風美女だ。かぐや姫を何となく連想させる。

「1階です」と告げるエレベーターガールを睨む。

 知っているわよ。このエレベーターは、一階と最上階以外にどこに行くというのか?

「ヤッホー、サーディアじゃん」と明るい声がする。

 この声紋は親友のラニーニャだ。ブロンドのツインテールで、背が低いロリータである。何だ、このウキウキと弾む高揚は?

「ラニーニャ、久しぶりね」と私は右手の少女を持ち上げる。

「何よ、その和風美女は?」とラニーニャが訝しがる。

「いや、これは違うのよ。ゴミよ、ゴミ。メフィスに火山まで捨てて来いと言われたの。親友はラニーニャだけよ」

「フッフッ、私を親友と思っているのね。嬉しいわ。でも、火山に行くなら、また数日は会えないわね?」

 ラニーニャは、最後に取って置いたショートケーキの苺を食べられた時のように、しょんぼりした。

「ラニーニャ、何か不安なことでもあるの?」

「えぇ、最近ね、体調が優れないのよ。ボーとするというか、心がザワザワするというか」

「ラニーニャ……それって有心症の症状じゃないの?」

 メフィス親衛隊に所属するヒューマノイドが回路の不良などで心を有する病気――それすなわち有心症。

「うん、私ね、心が芽生えたかもしれないの」

「馬鹿を言わないで。キュンキュンハートが反応したら、あなたも廃棄処分よ」

 私たちの左胸に付けられたハート型のピンクの警告ランプ――それすなわちキュンキュンハート。

「ラニーニャ、私たちに心はないわ。あれよ、接触不良で電気回路がショートを起こしたんじゃないの?」

「そうだと良いんだけど、ドクターに診てもらおうかな」

「それがいいわ。私がゴミ捨てを終えたら、ゆっくり話しましょう。それまでに故障を直すのよ」

 私がラニーニャの肩を叩いたとき、ドカンと爆音が轟いた。空から数名の人が降ってくる。

「異世界帰還者だ!」と誰かが叫ぶ。

 私は即座に電磁槍アースアクシィスを起動させる。真っ白な持ち手に、先端がライトグリーンに光る近代武器である。

「メフィスシステムにアクセス。電磁槍使用の許可を申請。許可を確認。ガンマ線バースト!」

 槍の先端に高高度エネルギーを溜める。オレンジ色の球体が形成され、それを一気に放つ。
 橙のレーザーが敵を焼き払っていく。しかし、ただ一人、その攻撃を交わして私に近づいてくる。屈強な大男だ。

「さすがサーディア、なかなかの手練れだな!」

 彼は厳つい鎧を身に纏い、こちらの攻撃を意に介さずに接近してくる。そのまま私に剣を振り下ろした。それを槍で受けるも左腕で殴られる。
 私は痛みを感じない。敵は、そんな私を怪力で地面に押し付ける。身動きが取れない私を剣で滅多刺しにした。
 傷口からコンソメスープのようなオイルが垂れ流しになる。ただ、特に何も感じない。

「メフィスの犬め! ここで死ね」

「私は死なない。壊れるけど……」

 相手のミスを訂正しながら、私は両目の標準を合わせる。男が武器を振り上げた時、目から赤いレーザービームを照射した。
 その光線は男の額を貫き、彼は死出の旅を始めた。魂の抜けた体が私に倒れ込む。男の額からタラタラ流れる血液が私を赤く濡らす。

「サーディア、大丈夫?」

「えぇ、ラニーニャ。ちょうど私も壊れたから、ドクターの元に行きましょう」

 敵の温もりも気持ち悪さも感じずに、遺体を押し退ける。道端に転がる少女を拾って、修繕所に向かう。

「メフィスシステムにアクセス。緊急事態につきプラズマレーザーの使用を事後報告する」

 その直後だった。足が縺れた。そのまま地面に倒れ込む。体が動かない。意識が遠退く。

「サーディア、サーディア……電子回路が損傷しているじゃん」と泣き叫ぶラニーニャの声だけがぼんやりと聞こえた。




第一部 カグヤヒメ作戦
第二章 サーディアは手際が良い

・ドクターことリペリメル

 目が覚めると修繕所のベッドの上にいた。妖艶な美声が耳をザワザワさせる。

「あらあら、私の可愛いベイビーがお目覚めね」と私は頭を撫でられる。

 メフィス親衛隊は全員がヒューマノイドである。破壊されても何度でも直せる。チート級の異能者との戦いでは当然のシステムだ。
 その修繕の全権を担っているのが、ドクターことリペリメルである。黄色いセミロングの髪にセクシーな白衣をまとったアラサー女性だ。

「サーディア、今日も無茶をしたのね。ダメじゃなーい。ラニーニャが心配して運んできたのよ」

「あれ、ラニーニャは?」と辺りを見渡す。

「彼女はバタフライトランシーバーの指示で仕事に向かったわ。あなたに『無理は止めてね』と言付けを残していたわよ」

「ところでドクター、いい加減、頭を触るのを止めて。子離れをして」

「あらあら、ずっと撫でていても良いじゃなーい」

 私はリペリメルの手を払って、むっくりと起き上がる。そして、ゴミを探す。まさか道中に放置してはいないだろう。

「ゴミはどこ?」とリペリメルを睨む。

「ゴミって、黒い袋の中身よね? あそこで薬の仕分けをしてもらっているわ。あの子、頭がよくて重宝……えっ、サーディア、どこに行くの?」

 私はズカズカとゴミの元に行く。首根っこを掴んで、ベッドに連れ戻す。

「あなた、勝手に動かないで。ドクターも拘束を解くな」

「ちょっと、ドクターさんは悪くありません。すべて私がお願いしたことなのです。死ぬ前に歩きたいと願ったのです」

「ゴミの分際で願わないで。お前は今から火山に捨てられるのだから」

「分かっています。どうせ逃げても無駄なことも知っています。だから、最後に人間らしく在りたかっただけです。さぁ、火山に参りましょう」

 何だ、こいつは? 今から火炙りにされるのに、抵抗もしないのか?
 私が瞳を覗くと、そこには決意のような諦めのような色をした灰色の虹彩が煌めく。

「ドクター、ゴミ袋を用意して」

「サーディア、一つ提案があるのだけど、その子を歩かせたら?」

「何ですって! ドクター、正気なの?」

「えぇ、サーディアも片手に荷物を持っていては戦い難いでしょう。動きやすい方が良くなーい?」

 うっ、先程の記録が甦る。たしかに片手が塞がっていると動きにくい。ついでを言うと、バランスも取りづらくて戦闘に集中ができなかった。

「見たところ、ブランクは逃げる気もなーいわ。どうかしら、ブランクを歩かせたら?」

「ブランク?」と私は首を傾げる。

「あっ、私の呼び名です。生まれながらにして名前がなかったので、ネーム欄はブランクにされました」

「ドクター、ゴミに勝手に名前を付けないで。愛着が沸いたら捨てにくいでしょう」

「じゃ、サーディアはゴミと呼びなさいよ。それで、本当にブランクを亀甲縛りにするの?」とリペリメルは縄をパシンと引っ張る。

「そんなエロい捕縛はしない。それに動きやすい事に越したことはない。ドクターの提案を受けるわ」

 こうして私はブランクと名付けられた少女を連れて、修繕所を後にした。

「ゴミ、後に続いて」と私は水上都市を一心不乱に突き抜けた。

「はっはい!」とゴミも後ろをついてくる。

 高層ビルが建ち並ぶ街を全速力で抜ける。あちこちで機械たちの談笑が聞こえる。空を車が飛ぶ。メフィスにより築かれた近代国家は、今日も騒がしい。
 なぜ一時間ほど前に来た道を再び歩まねばならないのか。メフィスのわがままには困ったものだわ。
 ヒューマンベルトに着くと、またしても「人の血が通わぬ機械が」などと罵詈雑言が飛び交う。

「サーディアさん、皆さんが悪口を言っていますよ。黙っていて良いのですか?」

 私は後ろを振り向いて、ゴミの顔を鬼の形相で睨む。何だ、このお節介は?

「うるさい、言いたい奴には言わせればいい。私は心がないメフィスの犬、まったく気にもならないわ」

「そうですか……サーディアさんが傷つかないなら良いですが……」

「暴言で傷つくのは、心をもつ脆弱な人間だけよ。私には関係ない話なの」

 あーあ、人間は鬱陶しい……うん何だ、この邪魔だなとイライラする感覚は?
 ヒューマンベルトを抜けると、港でゴミが「きゃー!」と叫ぶ。足元には血溜まりに浮かぶ人肉が転がっていた。

「それは切り刻まれた兵士の肉片でしょ。リアクションが大袈裟なのよ」

「にっにっ肉片を見たら、悲鳴くらい上げますよ。サーディアさんも怖いでしょう?」

「怖い……の意味は分からないけど、肉片を見ても何も感じないわ。さぁ、船に乗って!」

 私は水上バイクに股がり、ゴミが腰に手を回す。背後から脇腹を触られてビクッとなる。

「あっ、ごめんなさい。掴まってはダメでしたか?」

「海に落ちたゴミを拾うよりはマシ」

 私は恥ずかしさから短く答える。何だ、このドギマギと脈打つ感じは?
 ハンドルを回して、エンジンを吹かす。そのまま陸を蹴ってポイゾナ海を渡る。

「バタちゃん、ナビをお願い」

「すまない、もう一度はっきりと言ってくれ!」

「なぜ聞き取れないのよ。何度も指示を出すのは手間なのよ」

「頭の蝶々は喋るのですか?」とゴミが指を差した。

「これはこれは若いお嬢さん、私はバタちゃんじゃ。以後、お見知りおきを」

「まぁまぁ、可愛らしい名前ですね。バタちゃんは……」

「バタちゃん、無駄話をするな。ナビを示さないと、壊すわよ」

 バタちゃんに命じると、火山に至るルートが瞳に表示された。南方約三千キロメートル……長い旅路の始まりだ。



・ポイゾナ海を超えて

 ――ポイゾナ海をバタちゃんの指定したルート通りに走行する。何も考える必要はないのだが、なぜか肩が凝る。

「ほぇー、塀の外は紫の海が広がっているのですね。あっサーディアさん、見てください。飛竜ですよ。飛竜が飛んでます。うわっ、あれ鮫ですかね。あっちには……」

 うるさい。何も感じない私ですら、後方で騒ぐゴミに気が散る。耳の遮音シャッターを降ろしてもいいが、周囲の状況が分からなくなる。
 一層のこと、海に落として毒殺するか? いや、ダメだわ。メフィスの指示にあった撮影ができないから思い止まる。

「ねぇ、死ぬのは怖くないの?」

 渋々、私はゴミに話しかけた。雑音を会話に変えたかった。

「怖いですよ。でも、逃げても追ってくるでしょ」

 ゴミは私が超小型位置情報発信装置を飲ませたことに気づいているのか?

「うっ……まぁ、逃がしたらメフィスに廃棄されるから、追うけれども……」

 そのとき、ゴミが私の左肩に顎を当てて、左耳に囁く。さっきよりもギュッと抱き締められる。

「逆に質問。サーディアさんはメフィスを尊敬していますか?」

 何だ、こいつ……抜け抜けと直球で質問を! 高校球児でも、これほどのストレートは投げないわよ。

「愚問ね。礼讚も敬慕も尊敬も愛慕もしているわ」

「本音は?」とゴミの吐息が耳にかかる。

「本音……今、言った通りよ」

「じゃ、質問を変えます。メフィスをどう思いますか?」と弁護士みたいにゴミが話題を変える。

「どう思う……そうね、メフィスは世界の理。地球上の食物連鎖における頂点にして、創造主。この世を統べる最高法規……そんな所ね」

「ふーん、高評価ですね。ちなみに、メフィスに睨まれて殺意を感じたとき、怖くはないですか?」

「こっ、怖くないわよ。そもそも、恐怖心もないわ。それに言うことを聞いていれば、廃棄はされないのだから」

「嘘、私と同じはず。怖いのよ。でも、違うところもあるわ。私は恐怖心を認めて、あなたは否定する。だから、私はあなたより強い」

 突然、話し方が変わった。声のトーンが低くなったのを感知する。何だ、こいつ……メフィスとは違う怖さがあるわね。

「ゴミのくせに生意気ね!」

「サーディアさんも怒るのですか? それは心があるからですか?」

「黙って、運転に集中できないわ。それと私には心はないから」

「話しかけたのはサーディアさんでしょ。ただ、これだけは覚えておいてください。サーディアさん、逃げないで」

「何から……」と反論したとき、紫の海面がバコーンと吹き上げた。高さは三十メートルくらいだ。

「何ですか……あの巨大魚は!」とゴミが鯨のような海洋生物をみて舌を巻く。

「驚きすぎ、あれはまだ小さい方よ。さっきの威勢の良さはどこに言ったのよ?」

「あれより巨大って想像できません……というか、そんな話よりも対策はあるのですか?」

「愚問ね。私が戦うわ」

「では、私が船の操縦をします。サーディアは戦って!」

「ゴミに運転ができるのかしら?」

「真っ直ぐ走らせるくらいはできますよ。だから、サーディアさんは行って下さい」

「チッ、私に指図をするな。命じて良いのはメフィスのみよ」

「それは分かりましたから、迎撃をしてください。魚が大口を開けて、こちらに雪崩れ込んでいますよ」

「絶対に逃げないでね。まぁ、逃走しても地の果てまで追うけど……」

 私は立ち上がってバイクを蹴る。上空二十メートルに達する跳躍をみせる。戦場から離れる小型船を横目で確認した。

「逃げませんよ。無駄なのは分かっていますから」

 まるで自分の死を受け入れているような返答だわ。
 そう思ったとき、海面に大きな影ができる。上空にはブラックホールのような口が私を飲み込もうとしていた。

「メフィスシステムにアクセス。重力操作を申請。許可を確認。水上歩行の使用を開始」

 私は紫の海面に浮く。重力を反発させると、海面に波紋ができては消える。
 電磁槍を起動させる。上空に向けて先端を掲げる。まだ間に合う。巨大魚だろうが何だろうが焼き払うまでよ。

「メフィスシステムにアクセス。電磁槍の使用を申請。許可を確認。ガンマ線バースト!」

 槍の先端からオレンジのレーザーが放たれる。私は槍で空間を十字に斬り裂く。
巨大魚は爆音を上げて見事に四等分される。降り注ぐ魚肉を交わす。

「あの巨体を一撃で粉砕するなんて……あの槍は最強ね」

「フン、メフィスの武器は強いに決まって……」

 そのとき、海面から無数の小魚が飛び上がる。
 両目をビデオスコープモードに変更する。海面をズームで確認すると、トビウオの群れが映る。
 熱画像直視装置を起動する。海中に潜む魚群を把握した。

「今の大魚はトビウオの集合体か。星の数ほどいる小魚は巨体より厄介ね」

 状況の分析を完了したとき、海中からトビウオが私を喰い千切らんとばかりに飛び出してくる。
 距離を取る。噛まれない高さにまで浮上をする。数には数で対応するしかない。

「メフィスシステムにアクセス。遠隔ブレードの使用を申請。許可を確認。ブレード展開!」

 私の背中から無数の巨大手裏剣が放たれる。縦横無尽に飛ぶ刃がトビウオを切り身にしていく。

「メフィスシステムにアクセス。多連装ロケット砲の使用を申請。許可を確認。ロケット発射!」

 私は左腕をロケットランチャーに変造して、ミサイルを乱れ打つ。水中に着弾した弾頭は、爆発して水が噴き上げる。
 私は急降下をして、打ち上げられた魚を電磁槍で次々に斬った。
「今日の夕飯は焼き魚にしようかしら?」と私は降ってくる切り身を集めた。腹部の格納庫に切り身を保存していく。

 ――数分で魚を倒したあと、私はバイクに戻る。

「サーディアさん、さすがは第三位ですね。めちゃくちゃカッコ良かったです」

「あんなの序の口よ」と私は無表情で答える。ゴミに抱きつかれるのが煩わしい。

 ただ、なぜだろう、誉められると気分が弾む。何だ、このピョンピョンと飛び跳ねるような胸中の躍動は?
 日が暮れる頃、火山が隆起する大陸に寄港する。

「バタちゃん、ここは火山まで何キロの地点?」

「すまない、もう一度はっきりと言ってくれ!」

「そうか、新しいバタフライトランシーバーに新調しよう。さっきの戦いで壊れた事にすればいい」

 私は槍を振り上げる。バタちゃんは「お命だけは」と叫ぶ。さらに、ゴミが割って入った。

「サーディアさん、落ち着いてください。バタちゃんとは長い付き合いなのですよね。別れは悲しいものですよ」

「悲しい……の意味は分からない。ただ、新しい方が任務は捗るわ」

「たぶんバタちゃんだって悪気はありませんよ。それに気心が知れている方が仕事の効率も上がります」

「そうじゃ、火山までは二千五百キロメートルじゃ。近くで休める場所もある」

「ほら、バタちゃんも仕事をしました。サーディアさんも考え直して下さいね」

 何か丸め込まれた気はするが、たしかに新たなパートナーと連携を取るのも面倒だ。考えを改めて、槍を背負う。
 バタちゃんのナビに従い、海岸線を歩くと開けた草原に出た。すると、ゴミが騒いだ。

「サーディアさん、お腹が空きました。一緒に御飯を食べましょうよ」

「私に食事は不要だ。仮に食べるとしても、一人で食べたいのだが……」

「食事は大事です。それに二人で食べると美味しいんですよ」

 美味しいの意味が分からない。食事とは、舌のセンサーが成分に反応するだけだろ。
 それに死ぬ奴が食事をする必要はあるのか? 餓死した方が火山に捨てるのも楽かも。

「ちょっと何をしている?」と私はゴミの奇行に驚く。

 ゴミは海岸付近の森から枝や葉っぱを拾ってきた。まさか食べるのかと疑ったが、ゴミは手際よく火を起こすと、串刺しにした切り身を炙り始めた。

「何を……って調理ですよ。生で食べるよりも焼いた方が香ばしさや旨味が出ます」

「火なら、私の火炎放射機を使えば良かったのに」と私は両手を変形してボーと焔を噴かす。

「フフッ、その火力だと魚が炭になっちゃいますよ」

 ゴミの笑い声が夜の闇に吸い込まれていく。辺りに夜の帳が落ちると、焚き火の揺らめきだけが世界を照らす。

「暗闇って怖いですね。幽霊とかオバケとか、怨霊の類いも出るかもしれません」

「私の暗視モードにもサーモグラフィーにも生命の存在は確認できないわ」

 ゴミは私の顔をマジマジと見詰めて「不思議なことを言いますね」と笑顔を見せた。

「何が不思議なのよ?」

「だって、幽霊の存在を科学的に見ちゃうんですもの。霊的な存在は感じるものですよ」

「私には心も感情もないの」と断言すると、ゴミは「嘘が下手ですね」と訳の分からぬ返しをしてきた。
 ゴミはいい塩梅に焼けた切り身を手に取る。それを私に差し出してきた。

「はい、どうぞ!」

「要らないわ。私は生の切り身で十分よ」と調理前の魚に食らいつく。

「ふーん、じゃ私が焼き魚をいただきます。あーん、モグモグ……うーん、脂が丁度よく落ちて旨味が際立ちますね。生よりも身がホロホロと解れてますよ」

 ゴミは私の前に新たな焼き魚を差し出す。湯気をあげる魚から香ばしい匂いを感知する。

「サーディアさんも早く食べないと、私が全部食べちゃいますよ。モグモグ……あー美味しい」

 ゴミが焼き上がった魚を笑顔で食べるので、釣られて私も一本だけ取る。一口くらい食べてもいいだろう、と温かな魚を頬張る。

「どうですか?」とゴミが興味津々で訊くので、私は「機械に味覚はないわ」と答えた。
 でも、火を通すだけで食材は別の表情も見せるのだと知った。思ったわけではなく、知識として記録されたわけだ。
 この記録を後で検証するため、こっそりと焼き魚を一本だか保管庫に詰める。

「あら、サーディアさんも食いしん坊ですね」とゴミが私を見て笑った。

「やっぱり要らないわ」と串を捨てようとすると、ゴミは「勿体ないですよ」と私の保管庫に魚を山のように入れた。

「ちょっと、こんなに食べられないわ。私は機械なのよ」

「だったら、誰かに配ればいいですよ。幸せは分け与えるモノなのです」とゴミは微笑んだ。

「孤独な機械に魚を配る機会はないわ」と冷たく突き放すと、ゴミは「機械だけに?」と訳の解らぬ質問をしてきた。
 ――食事を終えると、私たちは雑魚寝をした。
 仰向けになると、スワロフスキービーズを散りばめたような満点の星空が広がっていた。データを照合すると、六十二年前の夜空と一致する。
 隣から雑音が入る。それが演算を台無しにする。そう、ゴミが文句を垂れている。

「寒いです。テントはないのですか?」

 寒いという意味が分からない。何度から寒くて、何度から暑いのか? サーモグラフィーに表示はない。
 というか、凍死してくれた方が火山まで運ぶのも楽そうだ。

「今の気温は十四度だから、別に極寒にいるわけではない。昔、私が行った雪山に比べたら、まだ暖かい方だわ」

「サーディアさんはロボットだから、温度を感知しないんですよ。でもね、私は生身の人間なんです」

 ゴミが私に抱きついてきた。右腕を枕にされ、右半身を拘束される。
ウザい……何だ、この鬱陶しいモヤモヤは?

「ちょっと止めて、離れなさい!」と私は抗う。

「あぁ暖かい。サーディアさんは機械が生み出す熱で温かいですね」

 最悪だ。なぜ殺される奴が安眠を求めるのか?
 電磁槍で頭を砕いて、死体を火山に捨てる映像だけ撮るのもありかも。

「サーディアさんは眠気を感じるのですか?」

「突然、何よ? 充電が切れて眠ることはあるわね」と答えると、ゴミが鼻で笑った。

「今日の戦闘を見て、サーディアさんをもっと知りたくなりました。何を思い、何を考え、何を生き甲斐にしているのか教えて下さい」

 寝返りを打つと、ゴミも同じように動く。ピッタリ引っ付いて離れない。心は解離しているから、二心同体だ。

「あのね、何度も言うけど、私には心がない。だから、何も考えないし、何も感じないし、生き甲斐もない」

「今、私に引っ付かれて煩わしいと思っていますよね」

「煩わしい……の意味が分からないけど、そんな事は感じていない」

 そのとき、サッと音がする。ゴミが私の目を除き込む。心を……いや心はないのだが、ログを見られている感じだ。

「私がベタベタする度に、鬱陶しいモヤモヤを感じませんか?」

「うっ……鬱陶しいの意味も知らない。心当たりもない」と思わず目を逸らす。

「なるほど、心には当たってみるのですね……フフフッ」とゴミはまた寝そべった。

「違う。言葉の綾だ。身に覚えもないという意味だ」

 私はムキになった。おいおい何よ、この小さなイライラは?

「はいはい、分かりました」

「何よ、その言い方は?」

「もしかして、今の喋り方にイライラしてませんか?」

「してないわ」と私が怒……冷たく言うと、ゴミは「そうですか」と疑いの視線を送ってくる。
 それから暫く静かな時間が流れる。星空に彗星も流れる。そして、ゴミが静寂を破った。

「あっ、そうだ。そろそろ、ゴミではなくてブランクと呼んでくださいよ」

「嫌よ、ゴミ。寝なさい、ゴミ!」

「ふーん、ブランクと呼ばないなら、こっちも反撃をしますよ」

 ゴミが私に抱きつく、まとわり付く、引っ付いてくる。虫のように蠢く指が私の横腹を刺激する。

「ちょっと止めて、こら離れて、ハハハッ……もうギブアップ。分かった! ブランク、放して!」

「分かれば宜しい。でも、サーディアも笑うのね」

「今のは違うわよ。人工皮膚のセンサーが刺激を感知しただけなの」と言い訳をした。
 それからブランクは静かになった。急に静まると気になってしまう。横を向くと、ブランクと目が合う。彼女が「うん?」と可愛く言ってくる。

「ブランクはどこで生まれたの?」と私は気まずくて質問をしてしまう。

「メフィスクローン研究所と聞きました」という彼女は瞬きを繰り返している。

「やはりクローンなの?」

「えぇ、水上都市にいる人はクローンですよ。ヒューマンベルトでメフィスの身代わりになる選ばれた人間です。まぁ、私は病気で捨てられるのだけれども……」

 そう言うブランクは、先程と様子が違った。何だろう……意味は分からないが、寂しげに見える。いや、もしかしたら目が泳いでいたのかもしれない。

「死ぬことは怖くないの?」

「怖いわよ。でも、逃げても捕まるだけ。私はね、こんな世の中から早く消えたいの」

「いさぎが良いわね。生に執着がないのは、私と似ているわ」

「ねぇ、私も質問をしていい?」とブランクに問われ、私は戸惑いながら「あぁ」と応える。

「サーディアさんは星空を見て何を思うの?」

「何も思わない。ただ、六十二年前と同じだな……とデータを照合していた」

「それ本当なの。星をみて、過去の星空と比較するなんて……ハハッ、さすが機械ね」とブランクは腹を抱えて笑っている。

「そんなに笑い事はないでしょ。少しも変ではないもの」

「だいぶ変わっているわよ。ちなみに、綺麗な海を……あっ、ポイゾナ海は汚いわね。うーん、水上都市のきらびやかなネオンを見て何か感じる?」

「何も感じない」

「怒りや悲しみ、恐怖や喜びも感じないの?」

「私たちメフィス親衛隊はヒューマノイドよ。心なんて持たないわ」

「本当に? 機械でも何十年も稼働したら、過去の経験から何かを感じるのではないですか?」

「知らない。そういう例もあるけど、私には兆候すらない」

「ふーん、理不尽な任務に苛立ったり、誰かの死を哀れんだり、ボスの言動で身震いをしたり、友と会って嬉々としたり、誰かに誉められて飛び跳ねたりすることもないのね?」

「ない」とはっきり告げるが、心当たりがあった。いや、私に心はないのだけれども……。

「本当に?」とブランクが私の瞳を覗き込む。

 彼女が私の瞳から心の深淵を覗くとき、私もまた彼女の心の奥底を見返していた。まぁ、私に心はないのだけれども……。

「もっもし心を抱けば、このキュンキュンハートがピンクに光るわ」

「キュンキュンハート……ダサっ!」とブランクが笑う。

「笑うな。まぁ、私もこれだけはネーミングセンスがないとは思う」

「ふーん、思うんだ……そう、思うのね?」

「客観的に見て、キュンキュンハートはダサい」と私は訂正する。主観など入れてはいない。

「いつも持っている槍の名前は?」

「電磁槍アースアクシィス。アースアクシィスは地軸という意味で、惑星をも貫く一本の直線というのが名前の由来よ」

「槍の名前はカッコいいね。水上都市でみせた目のビームは何?」

「プラズマ兵器、体内のエネルギーを目から照射するのよ」

「魚を切り刻んだ刃は?」

「遠隔操作式武器操作システム」

「他にも色々あるの?」

「四肢の形を変形できるわ。これが半自動ブルバップ方式狙撃銃、これが多連装ロケット砲で……」

 私は左腕をガシャンガシャーンと言わせて、自慢気に武器を見せつける。

「凄いわね。必殺技なんかもあるの?」

「指向性ビーム、宇宙に打ち上げられたメフィス衛生から放たれる超エネルギー砲よ。照準を合わせるのに時間がかかるのが難点ね」

「胸のハート型は?」

「キュンキュンハート」

「やっぱりダサい」とブランクは笑った。

「だから、笑うな!」

 どうやらブランクはキュンキュンハートをいじるために、私に武器を確認させたらしい。自慢した私が馬鹿だった。
 ただ、何だろう……この和む一時は?
 そして、気づく。いつの間にか、私は彼女をブランクと呼び、ブランクは私に敬語を止めていた。
 その関係性のせいで、うっかり昔から気になっていた質問をしてします。

「愛って知っている?」

「えっ、あっうん……いや、口で説明するのは難しいけど、サーディアは愛が気になるの?」

「いや、今のは失言よ。忘れてちょうだい」

 愛とは何なのだろうか?
 胸を切り裂けば見れるのだろうか?
 キュンキュンハートと同じで、ハートの形をしているのだろうか?

「何となく感じていたけど、やっぱりサーディアは他の機械とは違うわね」

「私はメフィス親衛隊の一台よ。何も違わない。他と同じ殺戮マシーンなの」

 その時、ブランクが私を抱き締める。痛覚を設定されているので、彼女の柔らかな肉質や圧力も感じられる。

「これが愛です!」

 先程の反撃とは違って、優しさというか、愛情というか、温かな想いが感じられた。といっても、私には心はないから判然とはしないけど……。

「なるほど、愛とは抱き締めることなのか!」

 私もブランクを抱き寄せる。できる限り強く、逃げられないくらい全力で締め上げた。

「ウヴッぐるじい」

 ブランクは呻き声を上げる。私はハッとして、拘束を解く。
 なぜだろう、抱き締めたのに愛が感じられない。これでは拷問と同じである。

「サーディア、強く抱き締めすぎよ。あのね、愛とは思いやりなの。相手との距離感も大切なのよ」

「そんな難しいことを言われても、機械の私には分からないわ」

「いつか分かるわよ。サーディアは優しいもの。でも、経験が足りないだけなのよ」

「やけに愛に詳しいのね」

「えぇ、私は母の愛情が欲しかった。でも、もう貰えないの。愛に飢えているからこそ愛を知っているのかもしれないわね」

 ブランクの目に涙が溜まっていた。数え切れない言葉が内蔵された人工知能でも、悲しげな顔を見せられると、かける言葉を発見できない。
 何だろう、このシクシクとした沈むような感覚は?
 そのとき、ブランクが死の覚悟をしている理由を推察できた。彼女は愛を実感できない世界に未練がないのだろう。
 しかし、 私は機械である。目に見えぬものを求められても、与えることは不可能だ。だから、ブランクを優しく抱き締めることもせずに、静かに目を瞑った。




・夢詠みのミア

 目が覚めると、雪山にいた。以前も来たことがある銀世界が広がる。

「あれ、私は海岸付近で寝たはず……」と戸惑う。

 吹雪く粉雪に、刺すような寒風、吐く息は白煙のように真っ白で、山の斜面には私の足跡だけが刻まれる。

「ブランク……あれ、どこにもいないわ?」

「うっうう」と私に背負われた六歳の女の子が呻く。

 その姿を見て、記憶が喚起される。これは過去の出来事だ――私の初任務。
 雪山にいた異世界帰還者に止めを刺して、メフィス邸に帰還する時だった。
 殺した女には子供がいた。子供には罪がない。それに子供を殺すには、メフィスの意向を確認しなければならない。だから、私は子供を背負っていた。

「大丈夫?」

「寒い」と子供が震える。人間は脆弱な生き物だ。

「もう少しで吹雪も止むわ。本部に着けば、食事もある」

 私は一生懸命に山を降りた。おんぶされた女の子は頻りに囁いた。

「お母さん、一人にしないで。寂しい。私を愛してよ」

 愛とは何なのだろうか? 言葉から離れないことを意味するらしい。
 では、背負っている私にも少女への愛があるのかと自問自答をする。もちろん、愛はない。幼女を助けている理由は、メフィス教典とメフィスの命令があるからだ。
 ――数時間後、麓の街に辿り着く。背中の幼女は眠ったように静かである。

「もう安心よ。休みましょう」と近くの山小屋に入る。
 子供を降ろすと、彼女は凍死していた。死後硬直が始まり、氷細工のようにカチコチに凍っていた。

「嘘、私が迅速に下山していれば……」

 私の目から透明な液体が流れた。何だろう、この水は?
 凍結したパイプが壊れて、水が漏れたのだろうか。はたまた霜が溶けて水滴が流れたのだろうか。

「あなたが殺したのよ」

 そのとき、紫に変色した子供が空に浮く。山小屋が吹き飛び、再び吹雪が始まる。山のあちこちで雪崩が起こる。

「違う。私は任務を適切にこなした。機械ではないから、子供は死んだ。あの子が弱かったのよ」

「いいえ、あなたが罪もない私を殺したのよ」

 子供が氷柱を生み出す。それを私に放ってきた。鋭い氷刃を交わす。
 そこで、私は気がつく。これは現実ではない。事実とは違う。では、何か? 誰かに攻撃をされているのだ!

「メフィスシステムにアクセス。電磁槍の使用を申請。許可を確認。ガンマ線バースト!」

 槍から迸るオレンジのレーザーで、子供を断ち切る。そのまま雪山も雪原も大空も、世界のすべてを焼き払う。
 ――パリンと音がして、粉砕されたガラスが飛び散るように、世界は砕けて割れた。




 ――目蓋を開くと、少女の声がした。

「あら、お目覚めかしら? 私のナイトメアを数分で切り抜けるなんて、さすがメフィス親衛隊第三位のサーディアね」

 声の主は、パジャマ姿の十歳の幼女だ。身長は約百三十センチで、バクの抱き枕とブランクを抱っこしている。

「あなた、異世界帰還者ね。ブランクを返しなさい!」

「嫌よ。この子はカグヤヒメよ。私たちの作戦には欠かせない重要人物らしいわ」

「かぐや姫……竹取物語のヒロインね。でも、ブランクとは何も関係ないはず。返しなさい!」

 いや、待てよ。メフィスはブランクが特別だから、誰かが狙うかもと言っていたわね。私が知らない秘密があるのかも。

「ダメよ。カグヤヒメを持ち帰らないと、私は派閥から追い出されるもの。それにサブリーダーのお仕置きも怖いし」

「指示に従わないなら、ここで死になさい。サブリーダーよりも私の方が恐ろしいわよ」と電磁槍を構える。

「死ぬのは貴様よ。あっかんべー」と幼女は舌を出した。

 気を付けなければならない。ナイトメアとは悪夢のことだ。つまり、こいつの能力は夢に関するものだ。

「あなた、名前はなんて言うの?」

「聞かれて名乗るバカはいないわ」

「異世界帰還者には、名前を忘れるバカもいるわ。能力だけ凄くて、知能が追い付いていないのよ。幼い君も名前を忘れたのでしょ?」

「バカにするな。私は月面派に所属する夢詠みのミアよ」

 異世界帰還者には幾つかの派閥がある。メフィスへの関係性によって強硬派、温厚派、隠密派、月面派に分けられる。
 メフィス抹殺を企てる反乱軍の中でも月を占拠して戦う派閥――それすなわち、月面派である。

「ミアたんは強いのね。月面派に入るには厳しい戦闘試験があるもの。それを突破するなんて、偉いね」

「子供だと思って馬鹿にすんなよ、これを見て」

 ミアは紐に括られた五円玉を垂らす。そして、それを揺らす。
 ミアは私を眠らせるつもりである。しかし、私は既に内部回路を変更して、スリープモードにならないように設定してある。

「あら、目蓋が重くなって……」

 と寝たフリをする。また、秘かに左腕を半永続的連射式マシンガンに変造していく。

「眠ったら、こちらのものよ。私のバクで夢ごと意識を喰らってやるわ」

 足音が聞こえる。ドシンドシンと地鳴りがする。十分に引き付けて、マシンガンを連射した。
 ズドドドドドンと流星のように際限なく放たれた弾丸が幼女ではなく、巨大なバクのぬいぐるみを撃ち抜く。

「チッ、あの抱き枕は動かせるのか?」

「あっあぁっ、私の……私の大切な抱き枕があぁー」とミアは頭を抱えた。

 ズタボロになったぬいぐるみを横目に、左腕を元に戻す。

「言っておくけど、もう私は寝ないわ。諦めて投降しなさい」

 どんな罪人にも最期くらいは施しを与えなきゃいけない。メフィスの支配下に入るチャンスをあげる。

「夢を見なくなったくらいで私を見下すな。まだ手はある」

「たしかに、ミアたんには右手も左手も残っているわね……フフフッ」と煽る。

「この手じゃないわ。まだ作戦はあるの?」

「だったら、お口を動かさずに攻撃してよ。まぁ、私の勝ちは揺るがないけど……」

「イセカンなんかに私たちは負けない。異世界で何度も苦難を乗り越えて、英雄と呼ばれたのよ。そんな私が現世で負けるものか!」

「メフィスの支配する惑星で、彼女の許可なく異世界帰還者は生きられないわ。その権利がないのよ」

「黙れ、勝手に現世に呼び戻しておいて、従わないと殺すというのは理不尽よ!」

「こちらに戻れたのだから、感謝してほしいと常日頃メフィスは命じているわ」

「お節介よ。私たちは現世に未練がなかった。異世界で人生をやり直していたのに、介入してくるんじゃねぇよ!」

 ミアの感情が昂ると、なぜか世界が歪んだ。大地が隆起して、木々が伸びていく。

「何よ、これ? 世界の形が歪になっていくわ」

「サーディア、あなたの負けよ。私が干渉できるのは、夢だけじゃないのよ」

「嘘ね。夢を操るのが夢詠みのミアの力でしょ」と私は敢えて決めつけて言う。

「最初は夢想世界を行き来するだけの能力だった。でも、それでは強敵に勝てなかった。だから、私は夢と現実を混同させる訓練をしたのよ」

 土地が盛り上がって鋭い岩石が私を襲う。それをギリギリで交わすと、樹木の枝が鞭のようにしなった。

「クソッ、足が根っこに絡み取られた」

 地中から出てきた根によって、私の動きが封じられる。ガードしかできない私を枝が滅多打ちにする。ただ、機械には痛みはない。

「フハハハハハ、大口を叩いてリンチされるの。サーディアは弱すぎね。分かったかしら、これが正夢。私の秘技よ」

「正夢……夢の世界の出来事を現実に引き起こしているのね?」

「理解が早いわね。そうよ、夢の世界であなたをいたぶれば、現実のあなたもダメージを負うわ。それ!」

 ミアが振る腕に合わせて、私は縛られた根に弄ばれる。バシンドシンと地面に叩きつけられた。

「お分かりかしら。あなたが夢を見ないなら、現実を夢と混合させるだけよ。これで十分に戦えるわ」

 夢詠みのミアは、かなりの実力者だ。異世界で何度も修羅場を乗り越えたはずだ。歳のわりに戦い慣れている。
 しかも、私は夢に影響力がない。夢で攻撃されれば、回避が不可能なわけね。

「凄いわね。では、こんな攻撃はどうかしら?」

 私は電磁槍で根と枝を切断する。そのままステルス装甲に切り替える。

「ちょっと……カメレオンみたいに景色に同化していくわ。何が起きているの?」とミアは目を擦る。

「さぁ、こちらの攻撃を教える必要なんてないわ。ところで、夢を見る理由を知っているかしら?」

「しっ知っているわ。起きている時に見た映像を、脳が寝ている間に整理する。その過程で作られるストーリーが夢よ」

「正解、ミアたんは偉いわね。じゃ、現実世界で私の位置が把握できないと何が起こるかな?」

 私は足音を立てずに、ミアの背後を取る。槍を高く振り上げて、相手の脛椎を狙って振り下ろす。

「ハッ、私が現実を把握しないと夢に反映でき……」と気付いたミアにズドンと一撃を入れる。

「呆気ない最期ね。自分の首が折られたことも知らないまま死ぬなんて」

 もう何も語らないミアを見下しながら、意識のないブランクを拾う。そのまま先に進もうとした時だった。

「今、死んだと思ったわよね?」

 ミアの声が響いた。
 脛椎を折られて喋れるはずがない。振り向くと、ミアの遺体が煙のように消えた。

「チッ、どこにいるの?」と声をかけたとき、取り戻したブランクも霧散する。

「その遺体は私の作り出した幻よ。サーディアと戦うのに、本体が出るわけないじゃない」

「正直、驚いたわ。ミア、相当やるわね。異世界でも数々の難敵を倒したみたいね」

「今さら認めても遅いわ。既に準備も整った。フフッ、見て見て。これが私の究極奥義、悪夢障害よ!」

 ミアの声と共に、複数のミアが出現した。全員が実体のように感じられる。

「これはマズイわね。あなたの能力は夢の世界に干渉する力ではない。そこから派生して、現実を変化させる力なのね」

「さぁ、自分の能力をペラペラ語るのはバカよ。ただ、これだけ分身がいれば、あなたも本体を見分けられないでしょ」

「凄いわね。さすが月面派。私の負けよ。冥土の土産に、カグヤヒメについて情報をちょうだい」

 私は電磁槍を捨てた。槍では勝てない。降参を示すため、両手を上げた。これが本当の意味でのお手上げだ。

「バカじゃないの? 武器を捨てて投降しても、カグヤヒメ作戦については秘密よ」

「実は、ミアの脳波を読めるのよ」と私はハッタリを言う。

「嘘よ!」とすべてのミアがリアクションをする。

「本当よ。カグヤヒメ作戦はブランクを月面に連れていく作戦なのね」と私は鎌をかけた。

「クソッ、本当に脳波が感知できるのね。でも、残念ね。私も月面にカグヤヒメを届ける事しか知らないわ」

「ミア、謝るわ。私は二つの嘘をついた」

「二つの嘘……もしかして、脳波を見れないの?」

「えぇ、ミアたんのおかげで、カグヤヒメ作戦について知ることができたわ。ありがとう」

「ちょっと待って、いや……その前にもう一つの嘘は?」

「実はね、投降してないのよ」

 そのとき、天から光の柱がミアの右半身を撃ち抜いた。本物のミアは、森の奥にある巨大な木の裏にいた。

「グギャアァーヒャアァー、何これ!」

 ミアの断末魔が森に響き渡る。
 私は急かさずミアに駆け寄る。捕まったブランクを回収するためだ。木々を避けて、サッとミアからブランクを取り返した。

「それはメフィス衛星から放たれた指向性ビームよ」

 私は宇宙を指差す。会話をしながら、ずっとメフィス衛星の位置を変更していた。ミアをピンポイントで狙うためだ。

「これはチートじゃない。宇宙空間から私を狙撃したの?」

「うん、位置を伝達するのに時間がかかったけど……」

「グハッ、ちょっと待って。どうやって私の位置を……」

 言葉の途中でミアは光に呑まれて蒸発した。おそらく彼女の疑問は、どうやって位置を把握したのかというモノだ。
 簡単な話よ。私はサーモグラフィーで本体と分身の区別がついていたわ。夢に体温はないもの。

「メフィスシステムにアクセス。メフィス衛星及び指向性ビームの使用を事後報告する」

「うっうう……お母さん、私を離さないで」

「ブランク、大丈夫?」

「はっ、あれ……お母さんは?」とブランクは一筋の涙を流す。

「残念だけど、それは夢よ。異世界帰還者に攻撃を受けたのよ」

 ブランクは目の涙を拭きながら、「そう」と落ち込んだ。どうやら母親との幸せな日常を夢見たようだ。

「ブランク、あなたは何者なのよ。月面派がカグヤヒメと読んでいたけど、何か心当たりは……」

 ブランクに訪ねたとき、ズドーンと後方で爆音がした。
 私は油断した。夢詠みのミアを倒して、驚異が去ったと思ったからだ。

「サーディア、ポイゾナ海から何か飛んできます」

 振り向いた時には、既に飛翔体は私の数メートル前にいた。目を凝らす。黄金の鎧を着た男が猛烈な勢いで近づいていた。
 右腕を前に突き出し、紅蓮の焔で全身が包まれている。噴出する火焔を動力に、木々を焼き払いながら私に直進してくる。

「クソッ、間に合わない。プロテクトシールドを起動」

 両腕を前に突き出して、エメラルド色の障壁を緊急展開する。しかし、音速で飛んでくる男は止まらない。障壁を紙のように破っていく。
 やがて敵の拳が私の両腕とぶつかる。ズドンと轟音が轟く。痛みは感じない。機械だからだ。ただ、体に衝撃が走る。

「緊急事態、エマージェンシー。両腕消失。胴体損傷。可動するためのエネルギーが低下」

 頭に付いたバタちゃんが警告を知らせる。遅い、敵襲を教えろよ!
 視界には腕を伸ばした大男が立っていた。そして、視線を落とすと……私の胴体が剛腕で貫かれていた。

「抜かったな、サーディア。ミアは囮だ。貴様の能力を把握するための餌だよ」

「誰?」と短く訊く。ダメだ、損傷箇所が大きすぎる。

「名前は忘れちまったな。ただ、月面派のサブリーダー、カグヤヒメ作戦の最高責任者だ」

 最悪だ。連戦では勝ち目がない。ブランクを奪われる。奪われたら、どうなる?
 メフィスは激昂するだろう。そうなれば……私は廃棄処分だ。

「ミア……囮にする……ヒドイ」と電子音がバグる。上手く音声処理ができない。

「おいおい、勘違いをするなよ。ミアを殺したのは貴様だ。それに俺は勝つと信じてたぜ」

「ウソ…………ブランク……マモル」

「それは無理だな」

 男が私の体から豪腕を引き抜く。
 胴体からコーンスープみたいな黄色いオイルが噴き出す。男の手には、水色のエネルギーコアが握られていた。

「コア…………返して」

 私は懸命に手を伸ばす。しかし、前のめりに地面に倒れてしまう。うまく体を制御できない。

「サーディア、お前はミアに投降のチャンスをくれたな。それに免じて、コアの破壊だけで見逃してやるよ」

 どんな罪人にも最期くらいは施しを与えなきゃいけない。私も異世界帰還者を殺した大罪人だ。彼は、そんな私にチャンスをくれるようだ。

「止め……コア……壊さないで」

 私の意向に反して、男は怪力でパリンとエネルギーコアを砕いた。水色の破片が水飛沫のように飛び散った。
 私の機能が停止する。意識が……いや、意識などない。視野が徐々に狭まっていく。ぼやける視界に最後に映るのは、拘束されたブランクの姿だ。

「カグヤヒメは貰っていく。サーディア、日頃の行いがよければ、命は助かるだろう」

 私は命じられた事を粛々とこなす機械だ。命も魂も心もない。
 クソッ、子供の焼却……この五文字の簡単な仕事が私に任せられた。それなのに、その子供を奪われるのか。
 あぁ、メフィスに何て報告をしよう。その前に、私は再起動できるのか? もう前途多難である。
 ――そんな事を考えていたら、いつの間にか全機能が停止した。




(タグまとめ)
#創作大賞2024
#ファンタジー小説部門
#小説
#ショートショート
#ライトノベル
#ファンタジー
#SF
#愛夢ラノベP
#短編小説
#読み切り短編
#異世界転生亜種
#異世界転生もの


いいなと思ったら応援しよう!