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エンタメに対する心理的距離

先日あるnote記事を読み、とても共感する一節を目にしました。

どの雑誌やドラマ、天気のコーナーを見ても映るのはほとんどが都市(特に東京23区)の姿ばかりだ。メディア上では大都会の画だけが一人歩きし、あたかもそれが日本全国の均質な姿だと思いこまされている。特に都市部でしか生きていない人はそう信じ込む。

実際に私も都市部に住んでいるので徒歩圏内に最寄駅とスーパーが2店とコンビニが3店ある。居酒屋や料理屋もある。クルマがなくとも通勤も買い物もできる。クルマは贅沢品だと考える人もいるだろう。そんな環境ではなかなか地方のイメージは掴みにくい。


だが、日本の多くは電車が張り巡らされていない車社会なのだ。雑誌やテレビに映る東京や大阪の都市の姿は日本のほんの一部分に過ぎない。

メディア上で大都会の画だけが一人歩きして、マイノリティでありながらも標準化された"常識"が形成される、という考えには非常に共感できます。

僕は常々、日本のエンタメに対してこのような考えを抱いていました。


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日本のエンタメ作品の多くは、先程の引用記事と同様に都市部ベースの描かれ方がなされています。

TVドラマ、小説、マンガ、歌詞などの舞台は殆どが都市部です。そのためどれほど素晴らしい作品であっても、地方民の僕は作品に没入しきることができないのです。作品のどこかに少しばかりの心理的距離を感じてしまうのです。

例えば医療ドラマの舞台は大抵東京・横浜辺りの病院が舞台です。つまり僕にとって登場人物たち(彼らは往々にして首都圏出身)は所謂"the勝ち組"的存在で、彼らが繰り広げるストーリーを冷めた目でしか見ることができないのです。

小説やマンガでも登場人物たちは、しばしば朝の電車で物思いに耽り深夜のタクシーで涙していますよね。車移動で全てが完結する世界線で生活している僕にとっては、全く縁のない描写です。そこで主人公がどれほど悩み苦しんでいようとも、「こんなスタイルの生活って羨ましいなぁ。」という感情が頭の片隅に居座っているんですよね。

J-POPの歌詞にも同じことがいえます。歌の主人公たちは環状線に揺られたり、高層ビルの谷間を駆け抜けたりしていますよね。この世に溢れる日常系の曲は、殆どが都市部生活を前提にしているのではないでしょうか。特にそんな曲が自分の好きなアーティストのものであれば、歌詞の描写を完全に理解することができないもどかしさに駆られてしまいます。


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とまあ僕だけかもしれませんが、日本のエンタメのあらゆる場面に心理的距離を感じてしまうわけです。

ですが、それらが都市部ベースの要素に満ちているのも無理はありません。

才能のある人間が都市部に集まって文化を牽引する、もしくは都市部に集まった人間が才能を開花させて文化を牽引するためにそうなるのでしょう。


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こんな風に考えれば考えるほどエンタメが都市部の人間向けの高尚なものに映り、「地方民は黙ってローカル番組でも観てろ。」的な圧を感じずにはいられないのです。

もしかすると僕が洋画好き(特に'50〜'60年代)な理由はそこにあるのかもしれませんね。バックグラウンドとなる文化や時代が異なるエンタメ作品に純粋な享楽を感じるのでしょう。


ということで、今回もやや捻くれた記事になってしまいました笑。

こちらの記事も併せてどうぞ。

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