パパへ
背景
手紙の前に、少し。私は、父と2人暮らし。大学3年の夏から一緒に暮らし始めた。その1年前の5月、父にステージ4のガンが見つかって余命半年を宣告された。
それから4年経って予定より長く元気でいられたけれど、徐々に弱っていった父が今日ホスピス(最期を穏やかに過ごすための緩和ケアを専門に行う病院)に入院する。
その父に宛てた手紙。
パパへ
今日で一緒に暮らすのは最後の日になるね。
割と人からは素直と言われるななだけど、やっぱりちょっと直接言うのは恥ずかしいので手紙で伝えようと思います。
いままで渡してきた手紙に重複する内容もあるかもしれないけど、今思ってることなので改めて。
まず、一緒に暮らす最終日、一緒に夕飯をゆっくり食べられたらよかったんだけれど、コロナに罹ったせいでそれが叶わなかったこと、残念に思っています。後悔先に立たず、だね。でも、パパが罹らなくて本当によかった。
2ヶ月くらい前のことだよね。パパが「いつ死ぬかわからないんだよ」って怒ったこと、あったでしょ?あれ、実はすごく嫌だったんだよね。パパがいつ死ぬかわからないこと、そんなことは分かっているつもりだったし、それを引き合いに出して優しくしてよ、と強制されている感じ。パパだって病気で大変なのに、そんな人のこと気遣ってる余裕ないよね。
それで腹を立てて、その日から態度を大きく変えて、必要最低限の会話しかしなくなっちゃったこと、多分これから先後悔するんだろうな、と思ってます。今はまだそんなに後悔してないからまだまだ子供。笑
それからしばらくして、「ななが作ってくれるごはんは味がモダンでパパの口には合わなくなってきたから」と介護食を食べるようになったよね。
料理の負担が減ったことは楽になったけど、パパのためにできることがなくなっていった感じがして、悲しかったなあ。仕方ないことなんだけどね。
言い訳みたくなるけど、言い訳なんだと思うけど、ななはまだ結婚もしたことがないし、まして子供もいないじゃない?親の心子知らずとはよくいったもので、きっと結婚した時や子供ができた時、自分の身体なのに自由が利かなくなった時、パパの気持ちが肚から分かるんだと思うんだよね。
親の介護や死と向き合うには、まだ子供過ぎたみたい。なんてったて23歳だもん。ななにとっては当たり前の環境だったけど、考えてみれば、ママも両親が亡くなるって経験はしていないわけだもんね。至らないことばっかりでごめんね。
これからは家に帰っても、「おかえり」を言ってくれる人はいないし、「ななおはよう」「いってらっしゃい」「おやすみ」「ありがとう」もない静かな家で暮らすんだね。いつもちょっと鬱陶しいなあと思っていたけど、ふとそのことに気づいて寂しくなったり。
なながママと折り合いが悪くて、家を出ると言った時、一緒に暮らしたいと伝えた時、受け入れて来れてありがとう。
ママに似て厄介な性格で、今日までパパにたくさん悪いことをしてきたけど、それでもちゃんとななと暮らしてくれてありがとう。私1人じゃこんな生活できないことは分かっているけど認めたくなくて、なんか自分でできる気がしたかったんだよね。
ななってまだまだ子供だね。外ではしっかりしてるね、って言われるんだけどなあ。笑
パパと暮らした3年間。
嫌なこともたくさんあったけど、一緒に暮らせてよかったなって思ってるよ。
もともと仕事が忙しくてほとんど一緒に暮らしてなかったし、中学生の頃にパパが家を離れてから会うことがほとんどなくなって、家族だけど距離のある存在でした。初めてこんなにパパと一緒に暮らす時間があって、パパと3年間ふたりっきりで暮らして、人の考え方の違いみたいなものを知れたことが大きかったかな。人間らしさみたいなものを知れた気がした。
これから歳を重ねていくごとに、ことあるタイミングで思い出すんじゃないかな、後悔や感謝やいろんなことをね。
病院に会いに行きます。
ひとまず、ありがとう。ゆっくり過ごしてください。
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