子育てはキャリアか問題

そう、会社や企業は子育てのキャリアなんて求めてない。それは事実。社会とは、成熟した大人が活躍する場所だからだ。ではなぜコドモみたいな大人の言動がインターネットでは目立つんだろうか。

「それはインターネットだからです」では話が終わってしまうので、もう少し風呂敷を広げたい。

まず前提として、育児歴が書かれた履歴書を読んで個人的にどう思おうが、その企業でどう評価するのかは、その個人や法人の自由である。だから、「ああこの人はいらないな」って判断するのであれば、不採用にすればいい。

それを個人が特定できない範囲でツイートするというのも、また自由の範疇にあると思う。私は運良くフックにかかってしまったが、陰キャ独身働きアリの巣であるツイッターではああいうのウケるに決まってる。元ツイの引用などを見てそう感じた。

でも、職歴に育児歴を書いてしまうような、コミュニケーションが取れない人間は会社に不要であり、不採用にする自由があるとするならば、職歴に育児歴を書く自由だってあるんじゃないだろうか。

確かにこの文脈において、職業経歴に「子育て」と書くことは適切ではなかった。じゃあその空白期間は一体なんて説明するのが適切なんだろう。その期間が一般的には「無」になるからアレコレ理由つけて出産先延ばし女性が爆誕し先細りの国になっているし、育休産休が充実してる高年収大企業の席をいまだに高望みをやめない女が占領することになり、結婚のハードルが爆上がりしてるんじゃなかったっけ?

フェミが「社会的に作られた性役割はあります!」って言い続けてたらなんとなくあるっぽい感じに世界中がなってるみたいに、育児もなんらかの社会への貢献として評価されるところを目標にするならば、何と言われようが職歴に育児って書いていく図太いメンタルが必要になってくる。なぜって今は働いてる人が働いてない人よりも偉いので。大半の人は言われなくてもそうしている。だから子供も少なくなって、大人にならなくても生きていけるようになっている。

社会と家庭、細かく言うと結局比べることにはなるんだから、便宜上同列に扱っておくくらいのことは意識的にしてもいいと思う。するべきことだと思う。もちろん、家のためにお金を稼いでくることと育児を同列にみなすことも同様に意識する必要があると思う。

分業の効率性がわかってそうな労働男性アカウントでも家事育児は職歴じゃないになっちゃうのは面白かった。まあ文脈が文脈なのでそこに突っ込むのはナンセンスかもしらんが。

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