アルゼンチン日記「氷枕をプチ流行させた話」
暦の上では、アルゼンチンはまだ春なのに、もう夏がちらちらと姿を見せ始めている。なんだか年々、春の日数が短くなっているようだ。
僕の住むネウケン州は乾燥しているから、夏はカラッとした暑さだ。日本のようにジメジメとした不快な暑さではない。
それでもアルゼンチン人の妻は夏が嫌いなようだ。まだ夏が始まってもいないのに「暑い、暑い」とうなだれている。
不幸なことに、つい先日エアコンも壊れてしまった。このままでは、夏が到来する頃には、彼女は死んでしまうのではないだろうか。
どうにか愛する妻の助けになりたい。
*
3~4年ほど前、7月に一時帰国した。妻にとって初めての日本の夏だ。
初めはジメジメとした暑さにやられ、次第に「どうしてこんなに暑いのよ!」や「見て!何もしていないのに汗をかいてるわ!」と言った具合に怒り、そしてへばった。
少しでも体温を冷やそうと、犬のようにフローリングの上にぐたりと横たわっている姿は、今でもはっきりと覚えている。
暑さにやられたのは妻だけではなかった。
息子が発熱した。
旅の疲れや季節の急激な変化が原因だろう。
僕は冷えピタを息子のおでこに貼ることにした。
「それなに?」
「体温を冷ますやつだよ。日本では熱が出ると、これをおでこに貼ると決まってるんだ」
「へー、面白いわね」
「君も試してみなよ」
僕はハンカチで、彼女の額の汗をふき、冷えピタを貼ってあげた。初めは冷たさを感じていなかったようだが、次第に彼女の目は大きく開かれた。
「冷たい!なにこれ!?冷たいわ!」と彼女はひとり興奮して笑い始めた。
「6時間から8時間くらいは冷たさが続くよ」
「嘘でしょ!?信じられないわ!クールジャパンね!!」と珍しくおやじギャグも言ってた。
振り返ってみると、アルゼンチンには冷えピタのようなものはない。発熱したら、少し冷たいシャワーを浴びて、熱を抑えるのが基本だ。
「冷蔵庫に入れたら、もっと冷たくて気持ちいいけんね。冷やしとってやるけん、寝る前に貼り」と僕の母が言い、妻は目を輝かせた。
息子が眠っている間、僕と妻はスーパーに買出しに行くことにした。
「冷えピタ貼っていくと?」、玄関先で母が僕に尋ねた。
「そうするみたい。よっぽど気に入っとるけんね」
夕時、僕はおでこに冷えピタを貼った妻とスーパーへ向かった。
通り過ぎる人々が振り返ったのは、彼女が外国人だからなのか。
それとも、冷えピタを貼って上機嫌に出歩いているからだろうか。
それともその両方だからなのか。
*
僕は冷えピタのことを思い出した。
ここには冷えピタはないが、湯たんぽならある。
湯たんぽの容器に水を入れ、冷凍庫で凍らせた。容器にカバーをかけて渡すと、妻は大喜びした。
「ああ、冷たい!気持ちいいわ。ありがとう」
ソファに横たわっている妻は、長い髪をかき上げ、首の後ろに氷枕を置いた。
ちなみに、妻は冬の日本で湯たんぽを初めて経験し、その温かさにひどく感動した。
今年の冬、地元のスーパーに湯たんぽに似た製品を見つけて購入したのである。
よほど氷枕が気に入ったのか、今では寝る前と昼間に水を入れた湯たんぽを、冷凍庫にセットするのが彼女の日課だ。
妻のほかに、氷枕を愛用しているのが愛犬ボビー。暑い日は、氷枕に身体をのせて、気持ちよさそうに妻と眠っている。
*
先日、行きつけのスーパーに行った時のこと。
店員のおばさんが駆け足で僕の方に向かってきた。
「あなたのおかげで売り切れだわ」と興奮した様子でおばさんは言う。
「なにがですか?」
「あれよ!容器にお湯を入れるやつ。ペンギン柄の!」
話のあらすじは次の通り。
妻が友人のローサに氷枕のことを話し、ローサは愛犬のためにスーパーで湯たんぽを購入。
ローサは他の友人や親戚にも伝えて、いつまでもスーパーに置かれていた湯たんぽが売り切れたそうだ。
湯たんぽが売り切れていることに気づいたローサが、「シュンのおかげね」と店員に言ったことで、僕の手柄となった。
売り切れといっても、その数は10個ほど。それでも夏が迫っているときに、湯たんぽが売り切れたのはすごい。
おばさんはお礼にと、袋いっぱいの菓子パンを僕に渡してくれた。
*
家路につく途中、僕は一時帰国の旅に悩まされるお土産選びについて考えていた。
力士のプリント付きの手ぬぐいや日本酒などを買っても、人々の反応は微妙。
5年以上住んで分かったが、ここの人々は実用的なものを好む。
それならば、ほっかいろや冷えピタ、ホットアイマスク、可愛いデザインの靴下(妻が大好きだ)、袋止めクリップ(みんな僕のを欲しがる)などが良いのかもしれない。