メイドさんが持ってきてくれたなら
◆椿屋珈琲へ
上野駅で友人と別れ、一人になった。時刻は20時半。まだ帰らなくてもいいような気がしたので、どうするか色々と思案して、近くの椿屋珈琲に入ろうと決めた。
椿屋珈琲というのは首都圏で展開している喫茶店チェーンである。渋谷でも、新宿でも、池袋でも、見かけたことは何度もあるが、利用したことはなかった。なんか高そうな雰囲気があるからだ。
いや、「高そうだからやめておこう」と思っていたのは最初の頃だけだったかもしれない。そうやって椿屋珈琲を避け続けるうちにだんだんと、「今まで避けてきたから」避けるようになってしまっていたのではないか。「椿屋珈琲を避ける」という選択の積み重ねが、「椿屋珈琲に行く」という選択のハードルをさらに上げてしまったのだ。意固地になっていたというのは大袈裟だが、「今さらABCマートのポイントカードなんか作ってもなあ」くらいの心理的抵抗が無意識のうちに働いていたのだと思う。
結果として僕はマックやスタバを選び続け、決まったサービスから決まった効用を得てきた。習慣に身を委ねるという、心地よい退屈を選んできたのだ。
しかしこの日はどういうわけか、たまには行ったことのない場所に行ってみるのも悪くないという気分になった。夜の風が身体を、月の光が心を軽くしてくれたのかもしれない。僕は椿屋珈琲まで来て、ステンドグラスの施された美しい扉を開けた。
薄橙色の四角いタイルが敷かれた玄関には、まず受付の発券機があり、待合の長椅子があり、レジがあり、その向かいにケーキのショーケースがあった(ケーキはほとんど売り切れていた)。
待っている人は誰もいなかったが、僕はとりあえず発券を済ませ、長椅子に座って呼ばれるのを待った。そこからは客席の様子をある程度見ることができた。ダークブラウンの木目調の床がツヤツヤと輝いていた。暖色の蛍光灯や諸々の凝った装飾もあいまって、高級で上品な雰囲気だ。
ところで、と僕は思った。
このままで本当に店員さんが来てくれるのだろうか。店員さんは僕の来店に気づいていないかもしれない。自分から主張しないとだめなんじゃないか。そもそも発券機というのは、待ち人数が0人の場合も使った方がいいのだろうか。呼ばれるのを待たずに行ってもいいのだろうか。でも店側の都合もあるだろうし、やっぱり勝手に行ったら迷惑なんじゃないか。
などと全く生産性の無い思索にふけってグズグズしていたら、すぐに奥から女性の店員さんが来てくれた。
驚いたことに、その店員さんはメイド服を着ていた。メイド喫茶のような派手な衣装ではなく、シンプルな黒いブラウスとスカートの上に、控えめなフリルのついた白いエプロンとカチューシャという優雅なスタイルである。よく見れば、他の店員さんにも同じ格好をしている人がいるではないか。
「一名様ですか」
「はい」
「お席にご案内いたします」
僕は静かにうなずいた。そして心の中で、なるほど、と呟いた。
◆コーヒーを注文する
僕は入り口近くの席についた。座り心地の良いソファだった。トートバッグを肩から降ろして、おもむろにX(旧Twitter)を開きながら、お冷を一口飲んだ。さすが、メイドさんの持ってきたお冷はうまいなと思った。メイドさんが持ってくるお冷というのは、うまいのである。
さてコーヒーはどうしよう。と、メニュー表をめくったそのタイミングで、ちょうどお冷に盛られていた毒が効き始めたのではないかと疑うくらい、ドキッと心臓が引き締まり、目がクワッと開いた。
1150円!?
いやいやまさか、と思った。コーヒーが一杯で1150円もするはずがない。これは何かの誤解だろう。たぶんケーキセットの値段と見間違えたんだ。俺の目は節穴だなあ。まいったよ。
しかし残念ながら僕の目は節穴ではなかった。1150円とは間違いなくコーヒー単品の価格だったのだ。VUCAともポストトゥルースとも言われ、何もかもが不確かで疑わしいこの時代に、椿屋珈琲のコーヒーが1150円であることだけは確かな事実だった。
はあー、と薄く息を吐いて、もう一度水を飲んだ。1150円。高いだろうと思ってはいたが、まさか1000円を超えて来るなんて。
もちろん椿屋珈琲側にも色々な事情があるのだろう。人件費だのブランド戦略だの、色々あるのだ。それはわかる。僕は「原価400円だろ? 400円で売れよ!」と喚き散らすほど愚かな人間ではない。しかし帝国ホテルでもない街の喫茶店で1杯1150円のコーヒーに遭遇すると狼狽えてしまうくらいには器の小さな人間なのだ。それはわかってほしい。
それでもまあたまにはこういう贅沢もアリか、と気を取り直して、僕はその1150円のコーヒー(椿屋スペシャルティブレンド)を注文した。
メイドさんが帰っていくのを見届けて、僕は小説を読み始めた。しかし内容があまり頭に入ってこなかった。1150円のコーヒーが気になって、少し頭が緊張しているのかもしれない。いったいどんなコーヒーが来るのか。本当に美味しいのか。1150円の内の何パーセントくらいがメイドの衣装分なのか。雑念を振り払いながら、僕は小説を読み続けた。
しばらくしてメイドさんがコーヒーを持ってきてくれた。それまでに3ページ半しか読み進められなかったが、機械から注がれるマックのコーヒーとは違って本格的な方法で淹れているのだろうなと感じられるくらいには、ほどよい時間が経過していた。
「椿屋スペシャルティブレンドです」
メイドさんにそう言われると、なるほど確かにスペシャルティだなという気がした。中身は見たところいたって普通のコーヒーなのだが、明らかに高そうなカップ(ロイヤルコペンハーゲンだった)に注がれていたので、ただものではないように感じられた。量はやや少なめだったが、それが逆にありがたみを増しているような気がした。
僕は恐る恐るカップの穴に人差し指を通し、ゆっくりと持ち上げた。鼻に近づけて軽く香りを嗅いでみると、やはり椿屋スペシャルティブレンドなだけあって、心なしか通常よりワンランク上の香りがするように感じた。なかなかやるじゃないか、と心の中で一人芝居を打った。そして満を持してズズッと一口飲んだ。
美味しい。
◆コーヒーが美味しい
予め断っておくが、僕はコーヒーの味の良し悪しを舌で感じ取れるほど高性能な人間ではない。僕は「違いがわからない男」だ。GACKTではない。いくら豆にこだわろうと、いくら淹れ方にこだわろうと、そんなことは僕の舌には通用しない。あまり僕を舐めないでほしい(舌だけに)。
それでもしかし、だ。そのコーヒーは確かに美味しいような気がした。少なくとも家で飲むインスタントコーヒーより確実に美味しいような気がした。1150円相当に美味しいのかどうかは分からなかったが、何にせよ美味しいような気がした。
なぜだろうか。
おそらくだが、実際にコーヒーの質が良いというのもあるだろう。味覚的、嗅覚的な観点から言って、そのコーヒーが美味しいのかもしれない。しかしコーヒーの質の違いなんて、よほどわかりやすいか、あるいは立て続けにいくつかのコーヒーを飲み比べでもしない限り僕には明確に認識できないから、今はそこまで重要ではない。
重要なのは、メイドさんが持ってきてくれたコーヒーであるということだ。メイドさんが持ってきてくれたコーヒーというのは、美味しいのである。
これは別に冗談を言っているわけではない。僕が言いたいのは、要するに雰囲気が大事だということだ。
スーパーで買ってきた安売りのブレンディスティックを自分でお湯に溶かしてニトリのマグカップで飲むコーヒーも、それはそれで美味しい。だが上品に仕立てられた部屋で、メイドさんが持ってきてくれる、ロイヤルコペンハーゲンのカップに注がれた、1150円もするコーヒーは、わけが違うのだ。
ここまでお膳立てされた液体が、不味いはずがない。もう心がそう認識している。「このコーヒーは美味しい」と信じる準備ができている。その時点で椿屋珈琲の勝ちだ。そういう心理状態で飲むコーヒーは、美味しい。
極端に言えば、雰囲気が美味しい。雰囲気を飲んでいると言ってもいい。僕はコーヒーという液体を飲みながら、「綺麗な部屋」「1150円」「こだわりの豆」「メイドさん」「高級なカップ」という雰囲気を飲んでいる。雰囲気が口の中で華やかに香り、雰囲気が喉を熱く潤し、雰囲気が胃の中で吸収され、雰囲気が僕に「美味しい」と感じさせるのだ。
誤解のないように念を押して言うが、液体としてのコーヒーそれ自体ももちろん美味しい。ちゃんと舌の肥えた人が飲めば、もっと美味しく味わうことができるのだろう。ただ、そうでない僕のような人間でも美味しく感じることができるのは、お店側の雰囲気づくりのおかげだ、という話をしているのである。
そういうわけで、そのコーヒーは美味しかった。
◆椿屋珈琲を出る
最後の一滴までありがたくコーヒーを飲み干した後、しばらくスマホをいじったり小説を読んだりして過ごした。1時間くらいして、もういいかなと感じ始めたので、メイドさんの持ってきてくれた伝票を持って席を立った。さすが、メイドさんの持ってきてくれた伝票は持ちやすいなと思った。
レジに行き、僕は1150円を支払った。
今夜ここに来なければ、スタバに3回行けたかもしれないな、と思った。
だがそんなことはどうでもいいのだ。今夜ここに来なければ、何かを新しく知ることはなかった。とりわけメイドさんに接客されることはなかった。それで十分じゃないか。人生の視野を広げることができるなら、1150円など安いものだ。
などと自分に言い聞かせながら僕は店を後にした。
時刻は22時を少し過ぎていた。せっかくなので不忍池の畔を少し散歩してから帰路についた。