バーチャル・マッチング その6.5
浮かせた踵の付ける足跡
「先輩、ベロベロになった時に口にするひなさんって誰なんすか。」
「え、そんなこと言ってた?俺。」
「いやいや、毎回っすよ。覚えてないんすか。」
「マジ?さっぱりだわ。」
「どうせ昔の彼女とかですよね。」
「どうせって何だよ。まあ当たらずとも遠からずだけど。」
「酒に酔って昔の女の名前呼ぶとかやばいっすよ。」
「うるせぇわ。うるせぇうるせぇうるせぇわ。」
「先輩、クソつまんないす。」
嘘である。俺は酒で記憶が飛ばない性質なので、ハッキリと記憶している。なんなら泥酔するたびにひなのことを口に出しているのも自覚している。しかし、この感情を他人に説明する気にはならず、覚えていないふりをして切り抜けてきた。
フェイスブックのメッセンジャーに通知が来ている。ツイッターでもインスタでもなく、フェイスブックで連絡をしてくるのなんて一人しかいない。「元気ですか?私は今度、深夜のラジオ番組が決まりました。と言っても地方の小さな局ですが。そちらでは多分聞けないと思います。最近は寒くなってきたので、体に気を付けて頑張ってください。」
別れて2年近くたった今でも、毎月1、2通のメッセージを送ってくれる。なんて甲斐甲斐しく素敵な女性なんだ。メッセージをスクリーンショットしてアプリを消す。
この素敵な女性はひなという。彼女との出会いは偶然であった。当時の俺は地下アイドルというものにハマっていて、毎週末どこかの小さな箱に行くのがお決まりだった。ある時、地方の薄汚れた箱でひなたちのグループを見つけた。かなりビックリしたのを覚えている。全く売れていないグループだったが、楽曲もダンスも結構レベルが高かったのだ。「これはメンバーが垢ぬけて可愛くなったら売れるぞ」なんて腕組みおじさん的なことを思い、追っかけるようになった。
固定のファンなんて全くいなかったから、メンバーに認知されるのは直ぐだった。そうして、そのうちにメンバーの一人とかなり親密な仲になった。それがひなである。
ひなは、いわゆるリーダー的なポジションにいる子であった。アイドルで生計を立てることを本気で考えていて、あらゆるスキルがグループ内で一段階上にあった。さらに本当に真っ直ぐな性格で、どこかの漫画から飛び出してきたアイドルの卵のようであった。
とある夜、一緒に夕飯を食べてから外をブラブラと散歩していた。その日は割と大きな箱でライブがあったのだが、それなりに埋まっていた。メンバーもかなり感激していたようで、特にひなはひとしおであった。
「これだけの人が来てくれたのは私たちにとって大きな自信になる」と興奮気味であった。そんな嬉しそうな横顔を見ながら、俺はただ「良かったね」と返すだけであった。
それから数日して、ひなから「今晩会いたい」とLINEが来た。
待ち合わせ場所につくと、いつもより嬉しそうなひながいた。頬が何となく上気しているが、走ってきたような気配ではない。どうやら少し興奮しているようだ。
レストランに入り注文を済ませてから詳しい話を聞いた。どうやら先日のライブを見ていた業界の人がいて、連絡を取ってきたらしい。楽しそうにお喋りするひなを前にして、何とも言い表せぬ感情が鎌首をもたげるのを感じていた。
帰り道、駅に向かおうとした俺の手をひなが引いた。興奮冷めやらぬ様子で駅とは反対の方向に足を向けようとしている。そちらはなかなか良い子は向かわぬ街、いわゆるラブホ街であった。「何か違うわ」と思いつつも、流されてそちらに歩き出した。
ホテルに入ってシャワーを浴びているとなお冷静になっていく。ここまでよく気付かなかったものだと自分に驚く。全然違うじゃないか。
さて、どう言ったものか。ドライヤーで丁寧に髪を乾かしながら考える。シャツの袖に手を通し、部屋に戻る。バスローブに身を包みスマホをいじるひなが顔を上げる。その肩を掴んで
「ひな、俺は帰るよ。」
なんで、と言いかけるひなの声を無視して部屋を出る。簡単なこと、それはここでひなを抱いたらそれで終わっちゃうから。
それ以来ライブには行かなくなった。ひなからの連絡にも返事をしなくなった。当然のことながら、二人の関係は自然消滅した。もっとも、そう思っているのは俺だけのようだが。
ひなから距離を置き始めてからしばらくして、「私がアイドルとして間違いかけた時に止めてくれてありがとう。このお仕事をしている間はダメかもしれないけど、いつかまた2人でどこかにお出かけ出来たら良いね。」なんてメッセージを貰った。完璧すぎる。どこまで真っ直ぐな子なんだ。こうでなくては困る。
さて、俺が一番好きなのは何か。
「アイドルと禁断の恋愛をした俺、彼女を守って関係を解消した俺」である。いや、正確には少し違うか。「彼女を守って関係を解消した俺という可能性」が正しいだろう。
そのためには相手が大物であればあるほど好ましい。その点、ひななら大丈夫。それなりに順調に活躍しているし、あと数年もすれば地上波に出られるかもしれない。
どんどん可能性が拡がっていく。素晴らしいことだ。
俺の偶像に捧げた供物が豪華になっていき、その度に俺は俺を好きになっていく。