見出し画像

どうして中判フィルムカメラなのか?

ここ最近フィルムカメラが流行っているらしいが、皆さんフィルム価格の高騰にも関わらずよくやると思う。自分自身、中判フィルムのPentax 6x7がメインカメラとなっているが、正直コスト面では厳しいものがある。
※2025.1.6追記
2024年のランニングコストを計算してみたところ、写真一枚を撮るのに必要な金額はフィルム本体と現像を含めて~220円/枚であった。


それでもなぜ中判フィルムに拘るのか、今まで何度か悩んできた。そして、自分なりに答えが出たのでつまらん駄文を綴ろうと思う。



逆説的ではあるものの、まず所謂「フィルム信者」の妄想を打ち砕こうと思う。

・フィルムの方がラティチュードが広い
これは完全に嘘である。CMOSセンサーのデジタルカメラを使えば分かる。10年も前のCCDセンサーしか知らない老人は時代に取り残されるだけなのだ。
それに、デジタルが少しずつ露光補正しながらバシバシ撮れることを勘定すれば、フィルムよりもデジタルの方が優れているに決まっている。

・フィルム(中判)の方が解像度が高い
これも機種によるが、今の高画素機はほとんど問題にならない。それに、印刷やディスプレイの限界が先に来ることも多い。いくらフィルムの解像度が高いとはいえ、普段インスタやギャラリーで目にする画像の解像度はどこかで頭打ちなのだ…

・フィルムで撮った写真の方が「真実を写している」
何を言っているのか分らん。ネガをスキャナーでデジタル化している人が多い中、何が「真実」なのか。スキャナーがネガを取り込むとき、露出補正やら傷補正やらしているだろうに。色味だって反転しなきゃ楽しめないのだ。



以上のことを踏まえれば、フィルムで写真を撮る方が「綺麗な」写真を撮れるとは限らない。では、なぜ私は中判フィルムに拘るのか?

それは目で見て楽しいネガが残る、という一点に尽きる。

レンズが結んだ像を直接楽しむことが出来るという点のみに関して、私は中判フィルムに拘るのだ。特に、私は天体写真からカメラの世界に入った。そういう背景からなのか、「真の光子が写した」という点に拘る癖があると思う。そういう観点からみると、フィルムカメラは嘘を付かないと感じている。私自身は、センサーに生じた電荷をデジタル化したデータよりも、光子が感光させたフィルムにこそ価値を感じているのだ。


私が見た景色と同じ光が像を結んでネガに保存されているという事実。
そのネガが、目で見て楽しめる大きさであるという事実。
これだけと言われたらこれだけだが、この大きな事実が私を中判フィルムに惹きつけている。

いいなと思ったら応援しよう!