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明日からもまた

この日経験したこと、それに伴う思考や感情を、色褪せてしまう前にちゃんと言語化して記録しなきゃと、重い腰上げて埃をかぶったnoteを開いている。

さてと。

私は先週、初めて、在宅でのエンゼルケアをひとりで行ってきた。そのことを、つらつらと書く。初めて、は一回しかないから大切にしたいもんね。あ、決して感動ストーリーとかではない私情挟みまくりの継時記録。

その日は危篤なお客さん(患者さんのことを我が社ではこう呼ぶ)がいたため、職場近くのホテルに待機することに。早めに仮眠を取ろうか否かと思案している間に寝落ちしていた。

午前4時過ぎ、ご家族からのコール。
「母がどうやら亡くなったみたいです」

心臓が勝手に大きく音を鳴らす中、不思議と脳みそは混乱も淀みもなく静かに働いていた。手早く身支度を整え、いざ出陣。と、まずはホテル前でタクる。

じつは、緊急電話当番に不慣れなのはもちろんのこと、人気のない時間帯に、ダウンロードしたてのアプリを使ってタクシーを呼ぶことすら自信を持てなかった私。

さらにいえば、自他ともに認める方向音痴なため、タクシーで登録した住所まで運んでもらったとしても尚、迷わずお宅に辿り着けるのかを疑っていた私。

そして何より、向かう先は今までほとんど訪問経験のないお客さん。つまり、これまでの療養経過や家族とのやり取り、さらにお宅の間取りや物の配置も、記録と申し送りからイメージするしかなかった。一時情報に当たれていないために、全てがふわっと曖昧な輪郭でしか掴めないことが何よりの不安もとだった。百聞は一見にしかず、とはまさにこのことで、早く自分の五感で以ってクリアにしたかった。

そんな不安事が山積な私を、タクシーのおじちゃんは寡黙なまま運んでゆき、いつも自転車で行く街にあっという間に着いてしまった。

おじちゃんにお礼言いサッと降りる。こういう時オンライン決済はメチャメチャ有難いな、と感心していたら領収書をもらいそびれた。

とりあえず今は無事ケアを終えることだけを目的にし、他の小さな失敗は全部許容体制だったので、領収書云々は即効忘れた。

気を取り直し、マンションへ向かう。

ふと、「不安なことがあればいつでも呼んでくれて良い」との言葉をかけてくれていた、その日緊急サブ当番の管理者の言葉を思い出した。

いつも多忙な彼女の貴重な睡眠時間を邪魔することと、「初めて」からくる鉛ばりの不安を天秤にかけ悩んだ末、彼女の言葉に甘え一本電話を入れた。

「とりあえずひとりで大丈夫そうですが、電話相談することがあるかもしれないですすみません頑張ります」

と矢継ぎ早に発する私の言葉は、一瞬響いてすぐに、タクシーも去った後の静まり返った住宅街に散って消えていった。

電話を切って、エレベーターの上ボタンを押すと、すでに一階で待機していたそれのドアはすぐに開いた。

と、その時、私の肝が「スッっ」と座る音がした。

それが、電話先の声に安心したからなのか、もうお宅が目と鼻の先だったからなのか、はたまた単なる根拠のない自信が湧いて来たからなのかは今も分からないけど。うーん、全部かも。

と、ここまで書いて、まだメイン舞台であるお宅へ辿り着けてないことに一旦思い切り驚いておく。ぎょっ。じぇじぇじぇっ。

ふぅ、と深呼吸して、覚悟を決めて、
さて、後半(?)戦へ。

最上階に着くと、無機質にキラキラと光る夜景が広がっていた。一瞥し、暗い廊下を急ぐ。部屋数の多いマンションは迷路や謎解きのようなトリッキーさがあるが、目的のお宅は程なく見つけられた。

iPhoneで身なりを確認し、インターホンを鳴らす。

家族の声が遠くに聞こえた後にドアが開いた。と、一番に猫が迎え出てくれた。

まっすぐつぶらな瞳を向けるその猫に心をほぐされながらも、やはり「誰かの家」という特殊空間に身構えてしまう。家族のいるリビングをよそよそしく横切り、お客さんの眠るお部屋へ。

眠る顔を見てすぐ、不安や緊張で凝り固まっていたらしい肩の力は抜け、全身も解れていった。冷たくなった身体はすでに死後硬直が始まっていたけれど、それでも分かる柔らかい穏やかな表情をしていたから。


ここに来るまでにあった不安な気持ちは、気づけばうんと小さくミジンコくらいになっていた。小さく深呼吸をし、ケア開始。

まずは洗髪し、全身も拭いて保湿する。筋肉が弛緩してしまうために出てしまう排泄物も綺麗に取り除く。そして、見慣れてしまった寝衣から、家族が選ぶ旅立ちの服に着替える。(今回は硬直のために一部しかできなかったけれど。) 最後に、遺品の頬紅や口紅などでお顔を整える。

少し離れたところで遠慮がちに、でもしっかりとその亡き身体を、それに触れる看護師を、見つめる人がいた。耳に障害を持つらしいお孫さんだった。

思い切って声をかけ、ケアを手伝うことに。少し不器用な彼女だったが、丁寧に、熱心に、体を拭いていた。純粋な家族愛を感じて胸が熱くなったと同時に、身を引き締めた。

私がどんなに不安でも、初めてで不慣れでも、この家族にとってたった一度しかないお看取りなんだよな。それをどんな状況でも念頭に置かねばな。

言葉にすると当たり前な響きだけど、全身の細胞でそれを感じ取ったというか。(私の語彙力ではこれが限界、精進します)

ケアを終え、家族と少しお話。一年の在宅療養生活を労い、忙し悲しの中で吐露する想いを傾聴。本当の最後は家族だけの時間。その場に落ち着きが戻ってきた頃合いをみて、退室。

帰り際、懐いてくれた猫ちゃんを存分に撫で撫でしておいた。コタロウ元気でな。

外の世界はすでに新しい一日が始まろうとしていた。つんと冷たい朝の空気が心地よく、ひと仕事終えた解放感も相まって、歩いてホテルまで帰宅することにした。

いつもは自転車で通り過ぎるだけの景色ひとつひとつを丁寧に確認するように歩くのはなかなか不思議で面白かった。そのすがら、強く赤く光る日の出を見た。感嘆しながらパシャリ。


また自転車を走らせる一日が始まるんだ。
それを、明日も明後日も明明後日も、と繰り返してゆく。

これからお客さんの死を、そのケアを、きっと何度も経験することになる。そうすると、ケアだけじゃなくて、人の死にも少しずつ慣れていってしまうんだろう。それは仕方ないこと。毎回ドギマギしていては、ベテランにはなれないもんね。

だからこそ、今日得た新鮮な思考や感情を、枯らさずに持っておきたい。
なんならたまに取り出して眺めて、「青いな〜、ぺーぺーすぎるな〜」と言って愛でてあげたい。笑

それは自分が看護師として成長したことを確認するため、というよりむしろ、経験を積むことで鈍麻し退化してゆく感覚にふと気づけるように。


未来の自分よ、長すぎるとか言って読まないのなしだからね。頼むよ。


※ちなみに、タクシーの領収書はメールにて届いていた。タクシーアプリ恐るべし!天才!

にしても、文章書くのが久しぶりすぎて、1日自転車乗り回すより疲れましたん。

さてさてさて、明日からもまた、自転車走らせまっせ〜。












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