弱いという強み

自分はとても弱い人間だと思うことがある。他人の些細な言動で深く傷つくし、自分の不出来に心折れそうになる。常に不安定さがある。そして、今の職場では「弱い=悪」という公式があり、強い人だけが歓迎される。つまり自分とは反対側にいるようなひとたち。わかるよ、強いってカッコ良い。でも、強い弱いってそんなに単純に測れるものなのかな。強いってそんなにいいことなのかな。自分の中に弱さがあるから、影があるから、他人のそれにも気づけるし寄り添えるんじゃないのか。それって強さでもあるんじゃないのか。強さの捉え方ってもっと立体であるべきなんじゃないのかな。

最近、個性的な働き方をする大人たちの話を聴ける機会があった。相談という形で会場から質問がある中で、ある女性が自分の弱さについて悩みを打ち明けた。その弱さは意志力のことであり少し自分の考えていた弱さとは違ったけれど、相談相手であるその大人たちは結局有能で強いからこうしてやってこれているのであり自分とは違うのでは、という気持ちは自分と同じだった。けれど、返ってきた大人たちの反応に拍子抜けしたしほっともした。俺たちもみんなマジで弱いんだ。彼らはそう言ったのだ。
なんだ、弱くていいんだ。怖くて不安でたまらないあの気持ち、世界中でただ一人孤独に味わってるんじゃないかとすら思うこともあったけど、違った。彼らはそれをむしろ誇らしげに語っていたんだ。その姿は強くみえた。

別のあるとき、ある人に、弱さこそ愛おしく強みでもあるんだと言われた。この脆く繊細過ぎる心を肯定してくれる人がいる、友達だけじゃない自分を理解してくれる人たちはまだこの世の中にいるのかもしれない、そう思える出会いをした。それって最高に強いと思う。

弱虫過ぎて毎日心がきりきりと痛む。寿命を確実に縮めているような気さえする。心をいじめるなんて心の毒だ。でもとりあえず少なくともこの弱虫は愛すべき私の個性なんだ。この弱さを死守するんだ、強く。矛盾してるけど、そういうことをなんか書きたくなった。

よし、寝る。

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