漕禅プレおじさん友を考える
自分はロードバイクで走るのが好きだ。何故好きかと言われると色々あるのだが、パッとまず思いつくのが、乗ったらスッキリするからだ。
自転車は漕ぐ座禅だと思う。
ちなみに禅の事は全然わかってない。ので
禅の定義をYahoo!で調べた所、「心が動揺することのなくなった状態」だとの事。
という事は、座禅は座って禅モードになるって事か。
ペダルを回して禅モードになる事を、さながら漕禅とでも今日から呼ぼうかと思う。
子供が産まれてからというもの、基本的に漕禅は夜中の3時〜朝の8時まで行なっている。
漕禅をして風を感じたりいい景色に出会ったりすると、急なアイディアだったりやnoteにしたい小話だったりが浮かぶ事がよくある。頭の中も整理されるのだと思う。
そんな漕禅の記録を必ずと言って良いほど、写真や動画をInstagramにポストして記録を残している。
後から見返すと当時の漕禅の記憶にほんのりダイブできるからだ。
その僅かなダイブを良いものにする為に、自分が満足出来る写真を常に残したいと思っている。
がしかし、これが意外と特に最近難しくなっている。
同じような構図・景色が並ぶと各々漕禅の日々の記憶が曖昧になり、質の低いダイブになったりそもそもダイブが出来なかったりする。
そうならない為には、色々な景色で様々な構図があるのはもちろんの事こと、写真に動きやその場の空気感が伝わるようにするには被写体がバイクだけでなく自分が写ってることが重要なのではないかと考えるようになってきた。
少し前なら、自撮りをする自分をメタで見て、「いやいやいや、こんなおじさんの自撮り見て誰が得するん。#ロードバイク女子じゃないんだから、、、#ロードバイク性転換女子でもやろうか、、、いやいやいや、承認欲求のクセ!(ノ)」と突っ込んでいそうだが、
その突っ込みにも
「そもそもお前はおじさんなのか?あと他人が見て得するモノを提供する義務でもあるのか?」という突っ込みが出来なくもない…まあ野暮だから突っ込まないけど。
という事で、自分を満足させる為に最近はちょいちょい自撮り写真にも挑戦しているのだが、これがなかなか難しい。
狙っているわけではないが、今の身の回りの環境因子ではなんらかのイレギュラーが起こらない限り自動的にソロ漕禅となる。
すると自撮り方法としては片手でハンドルを握り反対手でカメラを構えるしかない。構図のバリエーションが増えるわけがない。しかも危ない。
#ロードバイク女子は何故あんなにたくさん自分が写った写真をポスト出来るのだろうか…
絶対専属のカメラマンがついているだろ?そうに違いない!!くやしー!!
はい、すみません。完全に思考にバイアスがかかった意見でした。
今日もお目当ての公園でお目当ての構図で自撮りに挑戦しようとした所、完全にしくじった。
カメラを立てかける場所がない!
渋々、床置きして立て掛けて動画モードオン!
カメラの前でポージング!カメラを拾って動画をストップ!ポーズをとった瞬間をスクリーンショット!写真を確認、、、明らかに遠い!!!
未だ、とてつもない羞恥心との戦いだ。さっき言ってた禅の話どころの騒ぎじゃない。めちゃくちゃ心が動揺してるじゃねぇか。まだまだ修行が足りないという事ですか、漕禅和尚!?
これは専属のカメラマンを雇うしか…ない!!
そんな金は無い!!
いや、友達に撮ってもらえよってか?夜中の3時から早朝に弾丸の漕禅に付き合ってくれる友達などいる訳がない!!
いや、そもそも本来座禅とかソロでやるモノなのに、めちゃくちゃ人を必要としてるじゃん…
あと、プライドが高いと友達を作るのがハードル高い。ましてや好きな趣味のジャンルともなると尚更だ。
個人的にはホモソーシャルな考え方にアレルギーが強い。あとある程度なら良いがフィットネスに価値観を全振りして、"変人"だの"変態"だの"ゆるポタ(詐欺も含む)"この辺のワードが頻出してくると、ガードを高めに構えてしまう傾向にあるように思う。
子供が生まれる前に、一緒にライドしてくれたAさんや、Mさんと居ると何故楽しかったか改めて考えてみると、自転車に乗ってるのに自転車以外の話をよくするからなんだと思う。音楽のセンスやそれを自転車に結びつけていくスタンスは尊敬に値している。
「趣味の友達」というより、先方は違っても個人的には「人としての友達」として接する事が出来るから楽しいと感じているんだと思う。自分の方が年下なのに生意気言ってますが笑
話を戻して、ふと何歳からおじさんだろうか?と思ってこれまたYahoo!で調べてみた。
すると43歳との事。
自分はこれを書いてる現在32歳なので、さながらプレおじさんと言ったところか。
43歳でも人によって受ける印象は変わるとか、単純に年齢だけ見てカテゴライズするのは良くないとかそういう議論は最早、何回も擦られてるからもう割愛するとして
おじさんは昨今、非常に社会的に肩身が狭い。というか軽視される事に対して容認するハードルが他の世代・性別より低い印象を受ける。
にも関わらず、権力パワーを持ったら持ったでその扱いはかなりデリケート。ある大好きなお笑い芸人さんの"エレベーターで黙って乗ってたら同席していた共演者に怒ってると思われたエピソード"は今でも胸に刺さっている笑
これから歩くおじさん通りを前に、プレおじさんの自分は戦々恐々としている。どうせおじさん通りを歩くならカッコ良くおじさん通りを闊歩したい…。
今、僕が思うカッコいいロードバイクおじさんは海外でオシャレかつスタイリッシュにグループライドで爽やかに汗をかいて色んな動きのある写真をポストして自転車を楽しんでいる。
今の自分とは大違いだ。このままではダッサいおじさんロードまっしぐらなのだが、今後、変わっていく身の回りの環境因子を考慮しても、その解決法については未だ悟りを開けていないままでいる。
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