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「そんな言い方ないじゃないか」という反論の是非

子供の時から祖母の存在は大きかった。我が家のムードは祖母の機嫌に依存していた。それはいい意味でも悪い意味でも。

特に母は自分以上にその影響を強く受けていてそれに波及する形で自分も「祖母との接し方」を母に揃えていた、倣っていた部分はあったと思う。

もっと突っ込んだ言い方をするなら、母は完全に祖母に頭が上がらない立ち振る舞いだった。それには色々理由があるのだがここでは割愛しよう。

そんな祖母に自らの(特に反対)意見を述べる時は、特に伝え方を気にしていた。その際に高確率で返される返答の第一声は

「そんな言い方ないじゃないか」「言い方ってもんがあるだろ」だった。

今、考えると(反対/別の視点からの)意見、を述べられても、自分と同調されていない事を「不安」や「虚しさ」と認識し自らを被害者として仕立てれば、意見の内容、伝え方を問わずして「そんな言い方ないじゃないか」でアンサー出来る。それは権力というパワーで成立する。

我が家はそれで成立している事で気持ちを伝えることの無力感を子供ながらに感じていたのかもしれない。

子供ながらに、権利パワーがあれば、「聞く耳」を持たずしても地球は回っていくのだと思っていた。

そこから「パワーがある人間はその自信で聞く耳がない。聞く耳があるという期待そのもの排除するのだ」という飛躍した公式を胸に生きてきたと思う。

学生時代の部活の顧問はメンバーの選定に絶対的な権力がある。声がデカく、平気で指導という名のもと、あるいは愛ゆえにという枕詞を使って人格否定や暴力を繰り返してもそれが成立することを体験して

パワーがある人の求める人間になれなければ明日の席は用意されなくなる。常に今の自分を否定して変容させるよう自らに働きかける事が自分の課題だと言い聞かせて生きてきた。

極め付けは、セラピスト養成校時代だ。
合否の判定で留年か進級を決める権力をもつ臨床実習の指導者から、表出せず抑えていた自らの要望・希望をわざわざ問いただされ、引き出され、そして全力で否定される経験を通じて

自分の気持ちを奥にしまっても、引っ張り出されて否定される事すらあるのかと学習した。

いつのまにか、自分の人としての価値では、自らの希望・要望は否定されるべきものであり、せめて伝わらないように奥にしまう事。口はおろか表情や態度で表すなど言語道断だと胸に刻んでいたんだと思う。刻んだ記憶こそないのだが。

とはいえ、側から見たら、上の立場の人間にただただビビってるチキン野郎としか映らない事も32年生きていれば薄々わかってはいるつもりだ。

そうはいうものの、心を許した、、いや違うな。
だからこそ、その人の振る舞いで自らの身の危険度合いが侵されない確証が強い人には自らの希望・要望・意見を表出出来るが、

それでも、自らを棚に上げて表出している感はいつも抜けない自覚がある。

だからこそ、相手を問わず自らの希望・要望・気持ちを瞬間的に表出できる祖母や妻には正直、違う星から生まれた生物かのように戸惑いがある。

その飛躍した公式を是正出来なかったツケが昨日来てしまった。
いつものように、日常生活の立ち振る舞い、とりわけ夫・父親としてのそれを再三指摘され、その後のカーテンを力任せに開ける、ため息等の受動的攻撃行動に我慢できずキレてしまった。

自分の育児休暇が明けて、2人で作戦会議をする時間は削られ、妻のワンオペ時間が長くなって妻の負担が増大している現状は重々承知していたくせに、

こんなに忙しくなければ妻もここまで自分を責め立てる事はない事も知っていたくせに

産後は子供に全力の愛情を向けることで、夫への当たりが強くなる事も勉強済みだったくせに

女性は月のバイオリズムで情緒の変動が男性より大きい事も、患者に伝える側の人間のくせに

それを知ってながら許容出来なくて何が夫だ。父親だ。と常に自分に言い聞かせていたくせに

話をせずに自ら決めつけて自分の気持ちを押さえ込んで伝えなければいつか爆発する事も知っていたくせに

そもそも夫として父親として、人間として至らぬ点があるから指摘されるのは当然であるのにも関わらず

ここでキレたら、側から見て「急にギア上げてキレてきためんどくさい奴」としか見られないリスクも昨日まで意識出来ていただろ。


なんで、キレてしまったんだ。耐えると決めたら耐えきれよコミュニケーション障害者め。

「そんな言い方ないじゃないか」という反論の是非、
自らを棚に上げてパワーのある人へ希望・要望を伝える事の是非、

この今感じている「非」を「是」にする方法はどこにあるんですか?

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