僕たちは、見えない価値を「処方」し合いながら生きている
今日は仕事終わりに、とある患者の80を超えるおばあちゃんに「ご飯作ったから取りにおいで〜」と呼ばれてお家を訪ねた。つい先月、夫を島の老人ホームで亡くしたばかりの、1人暮らしの方である。
夫を亡くしてから、以前よりも頻繁に手料理を作って連絡してくれるようになった。以前は月1回あるかないかくらいだったけど、最近は毎週のように、仕事が終わった後の診療所に電話が入る。
沖縄の離島は旧暦の行事に事欠かないから、先祖にお供えした料理を、親族や近所におすそ分けすることはよくあることだけど、それ以上に、僕に食べてもらうことを楽しみにして用意しているように思う。
それが、夫を亡くしたばかりの彼女にとっての今の支えになっている気がするから、「気を遣わないでね〜」と言いつつも、ありがたく感謝して頂くことにしている。
最近僕は疲れがたまって診療中にため息が漏れることがあったけど、彼女が作った手料理を頬張りながらふと思った。島医師として「あれもこれもやってあげている」感になっているけど、僕の方こそ色々与えられてるんじゃないかと。。
医師として色々なことで頼られ、感謝され、「あれもこれも与えている」気になっているけど、一方で僕は医師という「役割」を与えられていて、そのおかげで食べていけるし、日々学びを得ているし、生きがいを得られている。
「一方的に与えている」なんてことは、この世の中に存在しない。「一方的に与えられている」ということもない。お金やもの以外に、役割や生きがいを、僕たちは授け受けしながら生きている。そういう目に見えない価値は、自覚されていないことが多い。
同じことは、教師と生徒、親と子、ありとあらゆる関係に言える。
そう考えると、謙虚で柔らかい気持ちになることができる。医師として一方的になりがちな見方から一歩引いて、違う役割を持った「対等」な関係として、患者に対してより人間的になれる気がする。支えられているのは、僕も同じなのである。
そんなことを、彼女から与えられた料理が教えてくれた気がした。
彼女は、先月に夫を亡くすまでの間、毎日、夫に会いに老人ホームに通っていた。腰は圧迫骨折で痛みを抱えており、両側の大腿骨は骨折して金属が入っている不自由な身体にも関わらず、シニアカーで足しげく通っていた。
僕が往診に行くと、いつも夫の側の腰掛けに座って寄り添い、夫の手を握っていた。夫が肺炎にかかったと分かると心配してその晩は眠れなくなり、肺炎が治ったと知ると夫と顔を合わせて喜んでいたことが記憶に新しい。
彼女も、夫に尽くしている一方で夫に支えられていた。その反動か夫を亡くした後の悲しみは非常に強く、それまで気にしなかった些細な体調変化をひどく心配するようになった。それも、ここ最近は落ち着きつつある。
もうしばらくは、彼女の作られた料理をもらう日々は続くかもしれないけど、それが彼女にとって生きがいという「処方」になるなら、僕は喜んで受け取り続けようと思う。そんな彼女のご馳走に込められた感謝の思いはまた、僕にとって日々の疲れへの「処方」になっていて、やり甲斐という原動力になっている。
写真は、彼女の自宅に行くまでの道中、ふと足元に咲くシロツメクサに目が行き、そして超久しぶりに見つけてしまった!四つ葉のクローバー。彼女にお礼にとプレゼントしたらとても喜んでくれた。