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島だからできないこともある、でも、島だからできることもある。

9.11から20年。月日が経つのは早いなと感じる。あの時はまだ高校生、自宅でテレビ越しに見ていたけど、自分事には感じられず、感じるほど成熟もしていなかった。社会に対して何かをできるほど、知識も能力も、責任もなかった。


今や1人診療所医師として、沖縄の小さな離島にいる。そして今日、とある方の在宅お看取りをさせて頂いた。とても立派な最期で、僕としてはメモリアルな1日だった。


その方は、島の老人ホームに長らく入所していた90代男性で、亡くなる2週間ほど前からご飯を食べなくなった。診療所で一通り検査したが異常はなく、最期と悟られた家族は自宅で引き取ることを希望された。


亡くなる10日前に老人ホームから自宅へ移動した。それからは毎日訪問し、最小限の点滴を継続した。


訪問した際にはコーヒーを頂きながら、その方の幼少期〜壮年期までの生い立ちについて、ご家族に何時間も話してもらったりした。小さい頃は働き者だったこと、動物に優しかったこと、花が好きだったこと、不平不満を言わない人だったこと。


天気は毎日晴れていた。本人の横たわるベッドからは、窓越しに青空と入道雲が絵画のように広がり、その眼下にはブーゲンビリアが昔と変わりなく咲いていた。


そして今朝、温かい太陽のぬくもりが感じられる部屋で、家族や親族、老人ホームの職員の見守る中、静かに息を引き取られた。


島だからできないこともある、でも、島だからできることもある。


島では在宅ケアを担える訪問看護はない。身体介助を行えるヘルパーもいない。褥瘡予防のためのエアマットや電動ベッドをすぐに手配できる業者もいない。ご遺体を安置する場所や業者もない。火葬場はないので本島へ移送するしかない。


自宅でお看取りするまでの10日間、本人を長らくケアしてきた老人ホームの職員がボランティアで毎日訪問し、清拭や排泄の処理を行ってくれた。エアマットや介護ベッドは、老人ホームから無償で提供された。


親戚や知人が毎日のように訪れ、疲弊する家族に寄り添い、話相手になった。本人が自宅にいたころからペットとして飼われていた、人にして100歳を超える犬は、本人の横たわるベッドの側でくつろぎ、本人を穏やかに見守っていた。


お看取りした後、その場に居合わせた皆でご遺体を清拭し、死後の処置を行った。ご遺体を本島まで移送する必要があるが、フェリーが台風で今日から欠航となり、ご遺体の安置をどうするか心配していたところ、島の人の計らいで漁船をチャーターできた。


漁船までの移動は、島の消防団にお願いし、救急車で移送してもらった。暑い船内でご遺体が腐敗しないよう、集めた氷袋をご遺体の周りに丁寧に置いた。


漁船の、狭い狭い船内にご遺体をおさめ、表情が崩れてないかそっとお顔を覗いた時、表情はとても穏やかで、最後にもう一度、お別れと感謝の言葉を捧げた。


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大きな病院で働いていた頃、家族へ死亡宣告し、死亡診断書を書くまでが仕事だったが、離島ではそんなことはない。僕以外もそうだ。「もと」利用者の在宅ケアまで行う老人ホームの職員は、普通いないだろう。


感情で繋がり合ってるからこそ、役割の垣根を超えて、皆で出せるものを出し合うことで、一人の尊い人生の最期に、最高のはなむけができたと思う。







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