ありのままの自分に還ることのできる人、場所、こと
誰しもその人らしく振る舞える、人や環境があると思う。僕にとってそれは、妻であり、手つかずの自然であり、アウトドアだった。
研修医時代、全力を尽くさないといけない自分を「演じ」続けていた「苦業」から逃れるように、いつの間にか手つかずの自然に惹かれ、気づいたらニュージーランドに妻と行くようになっていた。
ニュージーランドは、そんな僕の願いに応えてくれるかのように、そこにはいつもありのままの自分に還ることのできる世界が広がっていた。いつ行っても不思議と天気や出会いに恵まれ、「おかえり」と温かく迎えられている気がした。
もし仕事から帰って「疲れた」と感じるなら、たぶんその人は、仕事でどこか無理をして、自分を「演じ」ていると思う。僕も最近、診療所から帰ると毎日疲れを感じているのも、日々の診療で少し無理して、背伸びしているんだと思う。
多少「演じる」ことが悪いことだとは思わない。それは「嘘」とは違う。「取り繕い」とも違う。患者を元気づけ、安心し頼りに感じてもらえる存在であろうと、ちょっと背伸びしているようなもの。
それは「相手のため」という想いからの自然な所作であって欲しいと思うけど、「自分のため」と「相手のため」の境界はときに曖昧で、難しく感じる時もある。
愛とエネルギーと才能に溢れていて、背伸びする必要のない人はいる。そのような医療者は羨ましい。そうなりたいと願うけど、それはその人だからできるのであって、僕には僕なりの、自分や社会との付き合い方があると思っている。
医療という仕事は、特に僕のように不器用で、患者との距離のとり方に少し慎重な人間にとって、時に「演じる」ことが重荷として疲れになりやすいんだと思う。
疲れがどうしようもなく溜まる時は、きっと無理している証拠だから、思いっきり素の自分に還ることのできる人に、無性に会いたくなるのだろう。心安らぐ自然に、何日も身を置きたくなるのだろう。
それが僕にとって、妻であり、ニュージーランドなのだ。
そんなことを思いながら、2年前の今頃、「世界一美しい遊歩道」と言われるミルフォード・トラックを、妻と歩いた時のことを思い出した。
今思うと、それは神様がくれたプレゼントだった。シーズンの半年前から予約の埋まる3泊4日のトレイルが、帰国まで残された僅かな間に、ちょうど2人分のキャンセルが出るなんて信じられなかった。しかも、1年の2/3は雨が降るというトレイルで、4日間のほとんどを晴天に恵まれた。
ミルフォード・トラックを歩くまでの1年間は、大きな病院の在宅診療チームに所属し、毎週のように終末期の患者を診て、家族を支えることに力を尽くした。それは「患者のため」と僕が勝手に「演じ」続けた1年でもあった。
ミルフォード・トラックは、そんな自分が、ありのままの自分に還るために神様が与えてくれたご褒美だったんだと思う。
あなたには、素の自分になれるどんな人や場所、もの、ことがありますか。
疲れ過ぎない程度に「演じ」たっていい。それもその人らしい生き方だから。そんな自分を恥じなくてもいい。ただ素直でいさえすれば。あとは、疲れた時にありのままの自分におもいっきり還ることのできる休止点が、人生の所々に用意されてたらいいと思う。