離島で人生の終末期と向き合うということ
以前働いていた超急性期病院で、たくさんの管につながれながら最期を迎える、幸福とは思えないお年寄りをたくさん見てきた。寝たきりの超高齢者で、口から栄養をとれなくなったら家族の意向で胃に管を入れられ、ある日呼吸をしていなかったらバタバタと病院に運ばれ心臓マッサージが始められ、その度に虚しい思いをしながら、ボキボキと折れる胸骨を手に感じながら胸骨圧迫をした。
日本の、沖縄の、死生観に対して強く違和感を感じる。人生の「質」よりも「長さ」を重視し、老衰を「病気」ととらえ、家族の一方的な「願い」がいつの間にか本人の意思にすり替わってしまっているように思う。
本来その人の最期を決めるのは、その人であり、家族ではない。穏やかに迎えつつある様々な身体的な不都合は、全て病気としてカテゴライズできるものではなく、現世を離れてあの世へ飛びたつための準備を、家族と共有するための機会として与えられているのではないだろうか。
色々な死を見てきて思うのは、人生の終末期にあたって、医療とは別次元の力が働いているんじゃないかということ。その人にとって最も幸福な最期は、医療者があれこれ思案して左右できるものではない。私たちができるのは、その人が穏やかに、苦痛がないように現世を離れる手助けをすること、家族が不安にならないようそばで支え続けることだと思う。
最近、超高齢者のヘリ搬送が立て続けにあった。この週末、「本当にこの人は搬送すべきだったのだろうか」「島で看取ることも考えて普段から人生の終末期についてもっと話しておけばよかった。。」とくよくよ悩んだりした。
人生の終末期について話し合うプロセスを「Advanced Care Planning」と言う。お年寄りと家族を前にして、その人が人生にとって最も大切していることや、最期をどこで誰とどう過ごしたいかについて、機会があれば話すようにしている。一人一人の人生と向き合うことはとてもとても大変で、自分の人間としての小ささに挫けそうになるけど、沖縄で高齢化率が最も高いこの島で医療を担う自分に与えられた大切な役割として、今後も向き合っていきたい。
写真は、島のビーチでとある散歩中に撮ったもの。写真では伝わらないけど、なんとも言えない空や海の色合いがとても神秘的で吸い込まれそうだった。人生の最期って、この穏やかな波のように押したり寄せたりを繰り返しながら、最期はあの空に向かって旅立っていくようなものなのかなぁ。と思ったり。