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「日本フィギュアスケート 金メダルへの挑戦」~天才が教えてくれたこと

一人の天才を追いかけた時間が私に教えてくれたこと。
それは、日の丸を一人で背負った選手は勝てないということ。
束になって世界に立ち向かわなければ、オリンピックの頂点には立てないということ。
引用:「日本フィギュアスケート金メダルへの挑戦」みどりが教えてくれたこと

著者である城田憲子さんは日本フィギュアスケート強化部長で、伊藤みどりの時代から羽生結弦まで日本フィギュアスケートを裏で支えた方です。
オリンピックのキスアンドクライで見たことのある人も多いのではと思います。
伊藤みどりというと、大会を通じて不調ながらも、アルベールビルオリンピックで女トリプルアクセルを後半1分で成功させ、逆転して銀メダルを勝ち取った印象が強いと思います。
観客の立場から見るとそれだけでも快挙なのですが、城田さんは強烈な悔しさに襲われます。
「百年に一人」と言われるほど奇跡の才能を持った人材に恵まれながらも、日本の金メダルを持ち帰ることができなかったからです。
何日も考え続けた結果、オリンピックでの不調の根本原因を悟ります。
89年の世界選手権で世界の頂点を極めたあとくらいから、本人に精神的な負担が増えたこと。アルベールビルではいつも以上にマスコミに囲まれることにより、極点にプレッシャーが増えたこと。それにも関わらず、伊藤みどりにマスコミに対する気構えや対応策を全く指導できなかったこと。
プレッシャーを一人で背負った選手は勝てないこと。
金メダルを取るためには、日本の層を厚くしなければならないこと。
そして、日本フィギュアスケートのレベルを底上げするために彼女は動き始めます。

伊藤みどりの昔のスケーティングはYouTubeなどで見ることができます。
圧倒的に高く、そして難易度の高いジャンプを次々とこなし、まさにスポーツとしてのフィギュアスケートを開拓した方です。
国際フィギュアスケート連盟からも、「たった一人の力で女子スケートを21世紀に導いた」として、殿堂入りの声明を発表してます。
それでもなお当時なぜ金メダルを取れなかったか。
それは彼女の強みを最大限に発揮させる環境のサポートが不足していたからです。
城田さんはこれを日本フィギュアスケートの敗北と身に刻み、翌年からジュニアを集めた野辺山合宿を始め、日本フィギュアスケートの層を厚くすることに注力します。
その後、荒川静香、羽生結弦とゴールドメダリストを輩出したことは、皆さんの記憶にも新しいと思います。

強みは自分の最大限の武器ですが、過信はしてはいけない。
強みをサポートする環境があってこその強みである。それを教えてくれるエピソードです。

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