
自己紹介をします。
赤坂 勲(あかさか いさお)です。1978年(昭和53年)生まれ。血液型はA型、星座はさそり座です。鹿角生まれ鹿角育ちです。十和田小→十和田中→十和田高、生粋の十和田っ子を自称しています。
高校卒業後大学進学のためお隣岩手県滝沢市へ。その後就職で転勤族になり、和歌山県・長野県・茨城県・宮城県などへ。28歳で地元へのUターンを決意して実行。損害保険代理店などを経て29歳で長男誕生、現在の職場(鹿角市役所)へ就職。34歳で次男の誕生、小学校のPTA会長を7年務めたりしながら現在に至ります。
写真活動「かづの美人図鑑」について

令和2年(2020〜)から始めた写真活動。きっかけは仕事で一緒になった20歳の成人式実行委員のメンバーに言われた「鹿角には何にもないんで、4月になったら出ていこうと思います」という言葉。一方で自分は市外からいらっしゃる方がよく言われる「秋田美人が多いですね」という言葉に可能性を感じていました。
訪れたくなる地域の魅力の中に「人の魅力」は確実にあるだろうと。その答え合わせをしてみようと始めた「かづの美人図鑑」主にInstagram、facebook、Xなどで発信しています。最初の1年目の目標は50人と決めて、記念すべき50人目は妻を撮影しました。
かづの地域(鹿角、小坂地域メインでたまに大館なども)の人と、魅力的なロケーションも一緒に紹介しています。のべ150人以上を撮影して、現在5年目となりました。
毛馬内地域活性化活動「ケマカツ」について

「コロナ禍」がまだ明けていなかった2022年3月、鹿角市では長い間続けられてきたイベントや行事が軒並み中止・延期が相次ぎました。私自身も長男の卒業式に出席できなかったり、子どもたちと出かけたりすることも難しい状況にモヤモヤしていました。
それと同時に市の職員として非常に強い危機感を持ちました。出生数・出生率はどんどん低下、若者の流出、地域の活力低下など、まちの持続可能性が消えていくような統計データがどんどん発表されていきます。このままでは鹿角市が無くなってしまうのではないか。そんな危機感です。
私が住んでいる毛馬内(けまない)地域は、江戸時代は城下町として盛岡南部藩の居城があり、明治以降はお隣小坂町や近隣の鉱山開発の恩恵で発展した商業地域です。鉱山の衰退とともに商店街も衰退し、2021年12月、唯一のスーパー「やましち」が閉店となります。その結果、土日でも歩く人が10〜20人しかいないという状態に・・。
商業地域としてはもう「持続不可能」状態となったのです。イオンでいうところのイオンが撤退。専門店のみ残り、呉服屋さん、歯医者さん、花屋さん、1軒のみの飲食店だけが営業している状態です。
私は毛馬内地域より南西、米代川沿いにある神田という集落で幼少期を過ごしました。毛馬内は私にとっては「町」であり、地域のお祭り「月山神社祭典」が行われたり、駄菓子屋さん兼ゲーセンがあったり、スーパーがあって食べ物屋さんも本屋さんもある、田舎の少年にとっては都会でした。前述の呉服屋さんの息子と同級生だった私は、彼に誘ってもらって祭典の子ども神輿に参加してお小遣いをもらって祭典を楽しんだ思い出があります。その毛馬内が消滅の危機。
ケマカツの目的:子どもたちに思い出をたくさん作ってあげたい
「人は子どもの頃の楽しい思い出を一生心に刻んで生きていく。ある一定の年齢に達した時にその思い出がトリガーとなって、故郷への回帰願望が生まれる」
これは私の持論で、検証も一切していません。私は勝手にサケの遡上理論と名付けました。サケは生まれた川の匂いを覚えていて、海で成長し産卵期に故郷の川へ帰ってくるとされています。人にとっても子どもの頃に楽しい思い出のある場所、故郷への回帰願望を持つには、子どもの頃に過ごした町の楽しい思い出が川の匂いになるだろう、というのが私の持論です。人口減の原因の一つ、社会減を減らせる、あるいは回復させるキーワードになるのではと考えました。
目的達成のための手段としてなぜホコ天?
私が幼少期には、鹿角市の市街地域は毛馬内ともう一つ花輪(はなわ)がありました。毛馬内よりさらに大きな花輪の商店街では5/5こどもの日にホコ天が開催されていました。今では考えられませんが当時はひよこがもらえたりして、とても楽しいイベントでした。この花輪のホコ天もコロナ禍を契機に行われなくなり、こどもの日なのに子どもたちはどこにも遊びに行けない、という状況だったのです。
コロナ禍では、三密(密接、密集、密閉)を避けよ、というお題目があり、イベント開催にもこれを徹底しなければいけないというルールがありました。元々過疎っている毛馬内でホコ天ならいけるのでは?
どうせそんなに人は集まらないのだから、小規模にホコ天でもやるか!→その結果:2,000人くらいが押し寄せた
みんな(参加者も出店者も)イベントに飢えていて、行くところがなかった。毛馬内の規模感、有志による手作り感、コロナ禍から何か変えてやろうという期待感いろいろな要素が噛み合った結果、好天にも恵まれ大勢の来場者が。
調子に乗った私は、月イチでイベントやってやろうと次の一手をすぐに打った

ほぼ月イチでイベントを行った結果・・・
自分が死んだ。イベントに私財を投じ過ぎ。。準備に追われ、片付けに追われ、自分の時間を相当溶かし、家族との時間も減ってしまった。それでも立ち止まらなかった。それはなぜか?
イベントを心待ちにしている
子どもたちの声「次のホコ天、いつやるの?次も絶対行くわ!」
そしてなんだかんだといっても手伝ってくれる家族・友人・同僚・地域のボランティアの支えがあったからです。
ケマカツ、アップデートのお知らせ
活動を続けていくための持続可能性を高めていかなくては、せっかく楽しみにしてくれている子どもたちが悲しむことになる。ケマカツはバージョンアップをすることにしました。
ケマカツver2.0での主なアップデート内容
・イベント内容の厳選
しんどくなるイベントは統合、または別団体とコラボを模索して負担感を減らす。移住者支援の団体NPO法人鹿角classyさんや、NPO法人幸せサポートいろどりなどの団体と協力してイベントを一緒にやるようにした。
・資金調達方法の工夫
私財を投じ続ければいつかは枯れる。行政の補助金は遅効性の毒のように効いてくる。そこで、来場者から一定の料金徴収したり、地元企業からの協賛金を募って資金獲得に乗り出すことに。
・中高生ボランティアの積極的起用
人が育つ場としてイベントを利用する。中高生はボランティア実績を稼げて、運営は人手不足が解消してWIN -WINの関係になる。
・地域のいろいろな団体へ運営補助する役割を担う。
ほとんどの団体はSNSの運用などが全くできない。SNSでの開催周知やチラシの制作代行などイベント運営ノウハウを他団体へ提供し、他団体からもこちらの運営に協力してもらえるように。

私が活動を続けていられる原点
地域への恩返しと子どもたちのため
あの時少年だった自分を楽しませてくれた地域の大人はもういない。だから自分があの時の大人の代わりになって、自分の子どもも含めた地域の子どもを楽しませる役割をすることで、恩返ししたことにしよう。
自分がそうだったように、イベントを通じてたくさんの子どもたちが楽しんでくれて、やがて大きく成長した彼らが地域の原動力に成長してくれたら嬉しい!
一緒に活動してくれた仲間が新たな拠点を開設

一緒に活動してくれた仲間たなみーが津島自転車店を改装してオープンさせてくれました。これで毛馬内の商店街は空き店舗が一つ解消しました!
どっとはれは皆さんの寄付が主な収入源ですが、ぜひスポンサーになっていただける企業様、団体様、一度見学に来てみてください。地域の新たな居場所に生まれ変わったどっとはれ、面白いばしょですからぜひお立ち寄りください!