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【江崎道朗】虎8,火曜特集👈 日本人全員に見てほしいです。 ラトビア🇱🇻の、🇯🇵日本国旗🇯🇵の話は、まっっったく知りませんでした‼️ 💧🐧💦

最近全然虎ノ門ニュースを見る時間がとれなかったけど、江崎道朗氏がゲストと知って、久々に見たら、すごく良かった❣️ 流石‼️ 江崎さんの日は外せない 🐧💦この🇯🇵日の丸の旗に書かれているお名前の方々のご家族・子孫・関係者に…是非とも見てもらいたい番組ですよね。

当時、バルト3国の人々は、ソ連に壊されて国がなかったので、収容所では日本人よりも待遇が悪かったそうです。そんなバルト3国の方々を、日本人が助けた…というお話を江崎さんがされていたのでビックリしました。日本人にとっても 生きるか死ぬかの 過酷な環境下だったのに、それでもバルト3国の人々を助けた…と知って、昔の日本には…なんて素晴らし方々が沢山いたのだろうと…💧🐧。このような国って、他にありますか…?🐧? 昔の日本人は偉かった… 🐧💦

「日本のシベリア抑留者」と「バルト三国からの強制労働者」との「絆の証」の…🇯🇵 日の丸 🇯🇵 が、🇱🇻ラトビア🇱🇻の、軍事博物館にあります。これを観ても、、日本の先人の皆様の優しさが伝わってきますね。「 自分達よりロシアからの扱いぎ悪い方々を思いやる日本人捕虜 」凄いよね! 本当に強い者は、弱者に優しい… 

下記👇の虎ノ門ニュースはもう視聴できなくなってしまったので、👆こちらの〜動画はこの先も視聴可能だと思いますので是非どうぞ。オススメです❣️🐧

00:48:00​​ 〜   ユダヤ人救った樋口中将 銅像建立委員会設立
01: 06: 17​​ 〜  火曜特集「EUと中国 歴史の分岐点」

今日は、井上さんだ〜。まだ見てないけど貼っておこう。あとで見よう〜ッと❣️

00:53:04 〜 ユダヤ人を救った樋口中将 銅像建立委員会設立

              ラトビア占領博物館

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写真の説明「ラトビア占領博物館入口に展示されている天皇・皇后両陛下のお写真」と、ラトビア占領博物館に飾られている🇯🇵日の丸🇯🇵    👆

・アキーラさん発見!ラトビア🇱🇻リガ・軍事博物館の日の丸🇯🇵(日章旗)! - YouTube(2012/11/03)

軍事博物館を訪問したのだが、そこで日の丸を発見した。ここは十字軍の時代から独立戦争、第二次世界大戦までの展示であるが。英語の出来るスタッフに確認してみた。

するとこの日の丸は、第二次世界大戦が終わり、当時、満州国に駐留していた関東軍の日本兵の方が旧ソ連により、サハリンに抑留されて、強制労働させられた際に、当時、サハリンへ赴任していたラトヴィア人医師がこの方と仲良くなり、もらったとの事である。

国旗のなかには、日本兵の方々の名前が刻まれていた。サハリン南部は2国の協定でかつては日本の領土だった場所。他にも50万人近い日本兵がシベリアや中央アジア、極東、モンゴル、ヨーロッパ、モンゴルなどに強制収容され、強制労働させられた。あまりの過酷さに多くの死者が出た。多くの人が祖国の地を踏むことなく亡くなられた。

これら、日本兵の方々の心情を察すると、悲しくなる。現在でも当時抑留された日本兵の方が、現地人と結婚して、現地に住んでいる人もいる。

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・高橋是清は(奴隷としてではなく)、船賃を借金してアメリカに行ったのか。
 今の日本の移民政策で、大借金してやってくるベトナム人みたいな感じかぁ〜。
 移民政策利権:①二階俊博、②パソナの竹中平蔵、③岸田総理
・金貸しのシフが一番儲けた国は、日本だったと言ってるらしいね〜。
・226事件の説明で、コミンテルンの暗躍については触れない。
・当初、保守自由主義であった者たちが、左翼全体主義または右翼全体主義へと思想が変わっていく。右翼と左翼は、全く正反対の思想のようですが、右翼全体主義と左翼全体主義は、とても親和性が高い。
・515事件や226事件の青年将校らの決起文には、天皇を中心に新たな政治体制をつくることが謳われているものの、それ以外は、今の政治家や、資本家、軍上層部は、全て腐っており、全員抹殺して、庶民による新たな日本政府を建設せよ!と共産革命と同様の内容が謳われています。。。コミンテルンの工作は、大成功でしたね〜!

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動画を見るお時間のない方は、こちらのツイッターが大変助かりますよね〜 💕🐧


・江崎道朗氏の記事:

外交とは、“味方”を作ることでもある。

日本では、お隣の韓国・北朝鮮・中国を批判し、それらの国々との外交戦で如何に勝利するのかという視点での議論が多いが、こうした議論に熱中していると、いつの間にか国際社会全体が日本の敵であるかのように錯覚してしまいかねない。

そうやって大局を見失っていくと、結果的に外交敗北を招きかねないことは、先の大戦に至る経緯で我々は思い知った筈だ。

インテリジェンスの研究をしていると、こうした視野狭窄に陥って大局を見失うことがないよう、時流とは全く異なる視点から時局を眺めることの重要さを痛感させられる。

実は、1933年に『国際連盟』から脱退し、国際社会から孤立し始めた日本の中にも、こうした発想に立って、多角的な情報収集をしていく為に動いた外交官や情報将校(※インテリジェンスオフィサー)がいた。

その代表例が、1940年にナチスドイツに追われたユダヤ系避難民に日本通過査証を発給し、多くの生命を救った外務省の杉原千畝であり、戦時中に『ヤルタ会談』の内容を逸早く入手した陸軍の小野寺信であった。

杉原はリトアニア、小野寺はエストニアと、この2人は共にバルト三国に拠点を置いて、ソビエト連邦とヨーロッパ情勢の情報収集を行なっていた。

国連を脱退した当時の日本は、情報収集で協力できる国を必要としており、ソ連の脅威を共有し、協力関係を築くことができる“友好国”として、バルト三国を重視したのだ。

このバルト三国が今、再び日本にとって極めて重要な動きをしている。戦時中にバルト三国を併合したソ連と、そのソ連に加担したアメリカのフランクリン・ルーズベルトとイギリスのウィンストン・チャーチルの戦争責任を追及する戦争博物館を相次いで建設し、近現代史見直しの動きを巻き起こしているのだ。

そうした現場の動きを調査すべく、世界共産化を目論んだ共産主義ネットワーク『コミンテルン』結成100年にあたる今年2月末から3月初めにかけ、バルト三国を訪問してきた。

今回の取材では、最初にリトアニアの首都・ヴィリニュスを訪れた。地元の女性ガイドが先ず案内してくれたのが、カトリック教会の大聖堂であった。リトアニアは熱心なカトリックの国である。この大聖堂の前の広場にある足形モニュメントを指差し、誇らしげにこう説明したのだ。

「1989年8月23日、ソ連の支配下にあったバルト三国は、独立の意思を国際社会にアピールする為、“人間の鎖”というデモ活動を実施しました。約200万人が参加し、600㎞以上の鎖を作りましたが、その起点がここなのです」。

1939年8月、ドイツとソ連が『独ソ不可侵条約秘密議定書』(※以下“秘密議定書”)を結び、その直後にドイツによるポーランド侵攻に始まる第2次世界大戦の勃発と、その後のソ連によるバルト三国の併合に繋がっていく。

この忌まわしき秘密議定書締結50年にあたる1989年8月23日、バルト三国が、ソ連のヨシフ・スターリンとナチスドイツのアドルフ・ヒトラーの戦争責任を追及することから、東欧革命は始まった。ある意味、東欧民主化とソ連崩壊は、ソ連の戦争責任を追及することから始まったわけだ。日本では真珠湾攻撃ばかりが話題になっている。

だが第2次世界大戦は、この独ソによる秘密議定書と、ドイツ、次いでソ連によるポーランド侵略から始まったのだ。

第2次世界大戦に限れば、ドイツとソ連の開戦責任こそ問われるべきなのに、何故かソ連の責任はあまり言及されてこなかった。ソ連の戦争責任に触れてこなかった日本の近現代史研究は、少なくとも東欧諸国では全く通用しない。

リトアニアの大聖堂の話に戻ろう。「この大聖堂が(人間の鎖の)起点となったのには理由があるのか?」と質問すると、地元ガイドは別の一角を指差し、こう説明したのだ。

「この印のあるところで3回廻って願い事をすると、聖母マリアが望みを叶えてくれるという言い伝えがあります。そこでソ連併合時代、多くのリトアニア人がここで3回廻って、ソ連の解体とエストニアの独立回復を祈ったのです」。

そこで私もこの上で3回廻り、日本近隣の全体主義国家の解体と日本の平和を祈った。このヴィリニュスには、ソ連の秘密警察(※KGB)跡に『KGBジェノサイド博物館』が建てられていて、観光名所になっている。

壁には、ソ連による人権弾圧の犠牲者の写真と経歴が掲載されていて、KGBによって殺された犠牲者慰霊碑には、真新しい花束が捧げられていた。遺族たちが頻繁に訪れているのだ。


この博物館を運営する『リトアニアにおけるジェノサイドとレジスタンス調査センター』も訪問したが、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺だけでなく、ソ連によるリトアニア人虐殺と抵抗運動に関する歴史を懸命に調査し、関連の資料を収集しているという。

「日本から来た」と伝えると、英語の書籍やパンフレットを次々と見せてくれたので、数冊購入した。何れも第2次世界大戦中だけでなく、戦後も続いたソ連に対するリトアニアのレジスタンス運動と、それを弾圧するソ連の苛酷さを描いたもので、日本では殆ど知られていない史実がそこには示されていた。

日本も戦後、シベリア抑留に代表されるように苛酷な人権弾圧を受けたが、そうした苦難の歴史を、日本とバルト三国は共有しているのだ。

次にラトビアの首都・リガを訪問したが、ここにもKGB本部跡に『KGB博物館』(※通称“角の館”)が建てられ、KGBによる人権弾圧の歴史を展示している(※現在改装中)。

ソ連は崩壊したとはいえ、KGB出身のウラジーミル・プーチン大統領率いるロシアの脅威は、今なおバルト三国を脅かしていて、ソ連による人権弾圧は決して過去のものではないのだ。

同じく、リガには『ラトビア占領博物館』もある。第1次世界大戦でのドイツの敗北とロシア革命の勃発を受けて1918年に独立したラトビアだが、1939年に秘密議定書に基づいてソ連から侵略され、次いで1941年にナチスドイツから占領される。

しかも、ドイツの敗退と共に1944年、再びソ連に占領され、そのままソ連に併合されてしまう。その占領の歴史を展示したもので、多くのラトビア将兵がソ連の手によってシベリアや樺太に送られ、殺されていることを初めて知った。


この展示で目を惹いたのは、『大西洋憲章』に関する展示だった。そこには、こう記されてあった。「ドイツ降伏後、ラトビアの人たちは、1941年8月14日に出された、自己決定権を謳う大西洋憲章が、西側諸国によってラトビアにも適用されると期待した。だが、1944年夏にラトビアはソ連によって再び侵略され、1945年以降も実に46年間もソ連によって占領されることになった』(※要旨)。

アメリカのルーズベルト大統領とイギリスのチャーチル首相は、大西洋憲章において“領土変更における関係国の人民の意思の尊重”等を謳ったにも拘わらず、1945年2月、ヤルタ会談においてソ連によるバルト三国“占領”を黙認し、自ら大西洋憲章を否定してしまった。

ラトビアの人々が、ソ連によるバルト三国併合を黙認したルーズベルトとチャーチルの責任を忘れることはない。だからこそ、2005年5月7日、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領はリガで演説し、ルーズベルト大統領が結んだヤルタ合意を「史上最大の過ちの一つ」と認め、「安定の為、小国の自由を犠牲にした試みは、反対に欧州を分断し、不安定化を齎す結果を招いた」と謝罪したのだ。

取材中、ガイドの一人に「第二次世界大戦において、ソ連は正義だとする歴史観(※つまり東京裁判史観のこと)について、どう思いますか?」と質問したら、

「そんなバカげた質問はしないでくれ」と言わんばかりに睨みつけられた。

ソ連を正義と見做す東京裁判史観は、1991年のソ連崩壊と共にヨーロッパでは全く通用しなくなっているのだ。こうしたヨーロッパの動向を紹介しない日本のアカデミズムとマスコミの責任は重大だ。

最後に、嬉しかったことを付記しておく。

ラトビアの占領博物館の入り口には、天皇皇后両陛下のお写真が大きく飾られている。2007年5月、両陛下はヨーロッパ諸国ご訪問の一環としてラトビアをご訪問。

態々この占領博物館を訪問され、ドイツとソ連による占領の悲劇を詳しくお聞きになられたのだ。この占領博物館の近くに、ラトビア軍事博物館がある。ここには何と日の丸が大きく展示されている。

地元ガイドが、私が日本人であることを知ると、「是非この博物館に行って日の丸を見てほしい」と勧めてくれたのだ。地元のガイドの話によれば、そのラトビア軍人たちも第2次世界大戦後にシベリアや樺太に送られ、強制労働を強いられた。そこで出会った日本軍人たちから日の丸を贈られたラトビア人が、ソ連から独立した後、この日の丸をラトビア占領博物館に寄贈したのだという。

国際社会は、中国や韓国のような国ばかりではない。バルト三国と共に、ソ連・共産主義、そしてそれに加担したルーズベルト政権の戦争責任を追及する国際的なうねりを作っていきたいものである。 

(取材・文・写真/評論家 江崎道朗)

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