(元)中山恭子ウズペキスタン大使による人質救出の奇跡…この話は、知っていましたが、最近の YouTube でも取り上げられていました。前〜に 🐧note に投稿しましたが、再度投稿の巻。 このような情報がドンドンSNSで拡散されるのは良いですよね。マスゴミが機能してないどころか、嘘情報を垂れ流して日本をダメな国にしようとしてばかりいるから、NHKを筆頭に。。。中山恭子さんを見習うべき。(でも思いも寄らない所で、「おしん」の番組が活躍した事は知らなかった〜。)
👇こちらに転載した記事もとても良いです。。。💕🐧
( 下記の話は👆2:10:50 位から。 中山恭子さんは、本当に素晴らしい 💕🐧)
1991年、キルギスで日本人が拉致されました。
(キルギスは、昔「秦氏」がいたと考えられる場所)
そして標高4千メートルの、タジキスタン山岳地帯に連行されました。 日本政府はキルギス首都に対策本部を設置。
しかし、対応を全てキルギス政府に丸投げしました。
この事件の2週間前、ウズベキスタン大使として中山恭子氏が赴任。 タジキスタンは、ウズペキスタン大使館の管轄でした。
外務省から中山大使への指令は、「情報収集だけ」
しかし「自分たちが動かないと、人実救出はできない」
その信念で、部下である高橋博史参事官と共に行動開始!
高橋参事官は、アフガニスタンの大学卒、
現地に広い人脈ネットワークを持ち、
その人脈は「高橋ルート」と呼ばれてました。
中山大使たちは、「身代金を支払わない」を前提に行動。
しかし日本政府は、「身代金を支払う用意あり」…
真逆の対応は、高橋参事官の信用を失いかねないものでした。
「これでは身代金を支払っても、人質救出は無理かも…」
中山大使は、人質救出の協力依頼のため、
ウズペキスタンのカリモフ大使やタジキスタンのラフモン大統領に面会。 二人とも、協力を承諾してくれました。
ラフモン大統領は、元反政府組織だったミルゾー非常事態大臣に、「日本人人質救出」を命じます。
中山大使と高橋参事官は、二人だけで反政府「イスラム統一党」本部へ。マシンガンを持った男たちに取り囲まれると、中山大使は言います。
「私たちは客人です。
客人をもてなすのが、イスラムの流儀ではないですか?」
ヌリ党首は、二人を客人としてもてなしました。
ここで、奇跡が起こります!
ヌリ党首は、「おしん」の大ファン。
「おしん」のビデオを見て、日本人を尊敬してました。
そしてそのビデオを配布したのは、中山大使夫妻でした。
何年間か前に、夫婦で「おしん」のビデオを大量購入。
そのビデオを、あちこちに配布していたのです。
そのビデオを、ヌリ党首が手に入れていたのです。
ヌリ党首は、人質救出の協力を承諾してくれました。
ミルゾー大臣とヌリ党首は、人質が連行された場所へ行きます。
三日三晩の説得により、64日ぶりに人質は無事に解放されました。