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【上島嘉郎】 「検証・終戦の詔書の秘密」 〜義命なく時運に流れた戦後日本の再起〜


「検証・終戦の詔書の秘密」
〜義命なく時運に流れた戦後日本の再起〜


戦後75年となる今年の8月15日、
小泉進次郎氏を含む4人の閣僚が
靖国神社に参拝しました。


このことを、翌日の社説で朝日新聞は


「侵略の被害を受けた国々を中心に、
 日本が過去の過ちを忘れ、
 戦前の歴史を正当化しようとしていると
 受け止められても当然だ」


と言って批判しています。


このように、これまで朝日新聞や
毎日新聞などの大手マスコミは、
私たち日本人に


「日本は侵略戦争をした」
「日本は過去の戦争を
 反省し続けなければならない」


といった自虐史観を植え付けてきました。


でも、かつての日本は
本当にそんな悪い国だったのでしょうか?


例えば、インドネシアで日本は
インドネシアが将来独立できるよう
現地の人たちに軍事訓練を行いました。


その訓練はとても過酷なものでしたが、
こんな話が残っています。


訓練で一人の小団長候補生が罰を受け、
銃を持って立っているよう命令されました。


炎天下の直立不動というのは
とても重い罰でしたが、
そのとき中隊長の土屋中尉という人が
候補生の隣に並んで
一緒に罰を受けたのです。


二人は午後の訓練が始まるまで
1時間ほど立ち続けました。


この話は
インドネシアの若者全員に知れ渡り、
彼らを感動させたと言います。


また、土屋中尉は訓練中
「今はインドネシアが独立したときの
 要人を育成しているのだ」
「インドネシア国軍が創設されたとき
 中心になる軍人を育成しているのだ」
と言って、訓練生を励ましたそうです。


このように、
日本はアジアの植民地を
独立させようとしていました。


しかし戦後、、、
GHQやマスコミによって
こうした事実は隠されてしまいました。


その結果、
私たちは日本人としての誇りを失い、
アジアの人々に過度な罪悪感を
抱き続けています……。


しかし、75年前の終戦の日の時点で既に
「白人の支配からアジアを解放する」
という大東亜戦争の理想が
否定されていた・・・


と言ったら、あなたはどう思いますか?


実は、8月15日に放送された
玉音放送の一節でその理想が
示される予定だったのですが、、、


ある人たちの手によって、
その一節が書き換えられてしまったのです。


大東亜戦争の理念をなかったことにした
彼らの正体とは?


なぜ彼らは玉音放送を書き換えたのか?


答えは、今回の限定動画を見て
あなた自身の目でご確認ください・・・。


>大東亜戦争を否定した人物の正体を知る

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先月の7月30日、
台湾の李登輝元総統が逝去。


この知らせを受けて、
日本は8月9日にどの国よりも早く
弔問団を派遣しました。


弔問団の団長であった
森嘉郎元首相は、弔辞で


「お互いの人間としての友情や尊敬は
 一度も揺らぐことはありませんでした」


と述べました。


実際、2001年の李登輝氏の来日に
森元首相は大きく貢献しています。


そのときの来日目的は
心臓病の治療だったのですが、


なんと外務省は
ビザの発給を拒否したのです。


この外務省の対応に対して、
森元首相は李登輝氏へのビザ発給を
“命令”しました。


おかげで李登輝氏の
来日は実現しましたが、外務省は


「ビザの申請書は受理していない」
「申請書は提出されていない」


といったウソまでついて、
最後まで抵抗しました。


このように、
日本は中国の顔色を伺って
李登輝氏の来日を
阻止しようとしてきましたが、他にも


1995年、
当時現役の総統だった李登輝氏が
日本でのAPECの総会に出席するのを、
日本政府が勝手に否定したり、、、


1997年、
母校である京都大学の
100周年記念式典に
出席しようとした李登輝氏に対して、
京都大学が「中途退学だから」
という理由で出席させなかったり、、、


2002年、
慶應義塾大学の学生サークルが
学園祭で李登輝氏に
講演してもらうよう依頼したのを、
学園祭の実行委員会が取り下げさせたり、、、


といった具合に、
日本政府だけでなく
大学までもが中国に忖度して、


何年間も李登輝氏の
来日を邪魔しているのです・・・。


おそらく、こうした行動の背景には
中国からの圧力や利権の問題
などがあったのでしょう。


しかし、それはいわゆる


・今だけ
・カネだけ
・自分だけ


という考えで、
人としての道を見失った行動に
他なりません。


このような行動に対して、李登輝氏は
「日本よ、もっとしっかりせよ」
と批判しています。


なぜ、日本は対中外交で
このような行動を取るように
なってしまったのでしょうか?


その答えが、、、


実は、75年前の玉音放送にあります。


どういうことかと言うと、
戦後の日本が目先の利益に
囚われるようになってしまったのは、


そうなるよう玉音放送が
書き換えられてしまったからなんです。


なぜ玉音放送が
書き換えられてしまったのか?


そして、玉音放送のどこが
どのように書き換えられたのか?


詳しく知りたい方は、
どうぞ以下のリンクをクリックして
限定動画を視聴してください。


>日本が対中外交で強気になれない理由とは?

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 “時の流れに従って降伏します”…
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「李登輝と靖国神社」
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 伝えるのを放棄してきた日本の末路


「金美齢と周英明の嘆き」
 戦前の英雄国が落ちぶれた日…
 中国の顔色をうかがう
 外務省とマスメディア


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