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沈まぬ太陽 / 「見送りになった対中非難決議…実は公明党の要請で“非難”という文字も消え…骨抜きモノ。中国共産党に牛耳られた、これが自民党と公明党の姿。こうして【日本の中国属国化】は確実に進んでいく。 」 (門田隆将氏)

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       << 沈まぬ太陽 >>

北朝鮮による拉致被害者田口八重子さん=拉致当時(22)=の兄で、家族会前代表の飯塚繁雄(いいづか・しげお)さんが18日午前2時ごろ、埼玉県上尾市の病院で死去した。83歳。東京都出身。家族会が明らかにした。家族葬を行い、後日、お別れの会を開く予定。。。🙏🐧💦

飯塚さんは1978年に拉致された八重子さんの長男、耕一郎さん(44)を「自分の子」として育てた。耕一郎さんは18日、飯塚さんと田口さんとの再会がかなわなかったことについて「無念であり、非情な結果となってしまった」などとする談話を発表した。

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まるで…、日本政府の中枢は、中国狂産党に完全に掌握されているみたいですね‼️    💋🍯🐝〜〜〜📸🐼🤳

中国政府による新疆ウイグル自治区などでの人権侵害行為を非難する国会決議は、先の通常国会に続き、今国会でも採択が見送られる見通しになった。複数の議連が決議採択に向けて動いていたが、自民党執行部が、北京冬季五輪の「外交的ボイコット」をめぐる対応を政府が決める前の決議採択に慎重なためだ。
自民党のシェイシェイ茂木敏充幹事長は17日、超党派の「日本ウイグル国会議員連盟」会長を務める古屋圭司政調会長代行らと党本部で面会し、政府が外交的ボイコットに関する対応を表明しない限り、決議採択は認めない考えを示した。決議に関し「内容はいいが、タイミングの問題だ」と語った。面会には「日本チベット国会議員連盟」会長の下村博文元文部科学相、自民の「南モンゴルを支援する議員連盟」会長の高市早苗政調会長らも同席した。

人権問題はタイミング!? シェイシェイは中国狂産党から脅されているのでしょうか…?  💋🍯🐝〜〜〜📸🐼🤳

自民党のシェイシェイ茂木敏充幹事長は17日、党本部で古屋圭司政調会長代行らと面会し、政府が北京冬季五輪の「外交的ボイコット」に関する対応を表明しない限り、党として中国政府による新疆ウイグル自治区などでの人権侵害行為を非難する国会決議の採択は認めない考えを示した。決議に関し「内容はいいが、タイミングの問題だ」と語った。21日に閉会予定の今国会での採択は事実上見送られる形となった。
古屋氏は超党派「日本ウイグル国会議員連盟」会長を務め、シェイシェイ茂木氏に対し今国会で同決議を採択する必要性を訴えていた。古屋氏は面会後、記者団に「茂木氏は北京冬季五輪に政府関係者を派遣するかに世論が注目している中、タイミングがよくないという考えだろう。(外交的ボイコットの問題と)決議は全く違う問題だが」と語った。

🇯🇵 ・門田隆将:「見送りになった対中非難決議。実は公明党の要請で“非難”という文字も消え、人権侵害との言葉が“人権状況”に変えられたという骨抜きモノ。長尾敬氏がYouTubeで怒りの告発。中国共産党に牛耳られた、これが自民党と公明党の姿。こうして日本の中国属国化は確実に進んでいく。
https://twitter.com/KadotaRyusho/status/1472433414003634181

🇯🇵 ・長尾たかし・前衆議院議員:この修文案についてただいま動画で解説しております。すぐアクセスをお願いします。アーカイブも残しておきます。是非ご視聴ください。怒りのライブ配信、骨抜きにされた決議案の全貌をお話ししました。非難決議ではなくただの決議。人権侵害、非難、立法府として制裁法への決意、侵害中止を求める等が消されております。言葉を選ばずに言えば、こんな決議なら採択されなくてよかったと思っております。https://twitter.com/takashinagao/status/1472394570986328064

🇯🇵 ・対中非難決議、今国会でも見送りへ・ 突然ニュース解説3    またあのいつか見た風景が繰り返されたのでしょうか。慚愧に耐えません。


シェイシェイ茂木敏充シに、ニーハオ林芳正シに、媚中岸田シに、岸田政権は、、中国狂産党にとって大変都合のよろしい💮良く出来たイカ🦑れた政権だね 🐧💦日本の政治家は【 アメリカの言い成り vs. 中国狂産党の言い成り 】で、日本国民の幸せの為に頑張る「長尾たかし」さんや「安藤ひろし」さんのような政治家は、米中が背後にいる勢力・公明党・財務省などなどからのヒドイ圧力で、政治家生命を絶たれてしまうのでしょう。国民の意識が政治に反映されるそうだから、それ程日本の国民の意識が低い…と言うことなんですね。マスゴミの洗脳大成功…

紅い日本政府がいけないのか? 日本国民が無関心なのがいけないのか? その両方なのか? 他人事なのか?

北朝鮮による拉致被害者田口八重子さん=拉致当時(22)=の兄で、家族会前代表の飯塚繁雄(いいづか・しげお)さんが18日午前2時ごろ、埼玉県上尾市の病院で死去した。83歳。東京都出身。家族会が明らかにした。家族葬を行い、後日、お別れの会を開く予定。

飯塚さんは1978年に拉致された八重子さんの長男、耕一郎さん(44)を「自分の子」として育てた。耕一郎さんは18日、飯塚さんと田口さんとの再会がかなわなかったことについて「無念であり、非情な結果となってしまった」などとする談話を発表した。

 飯塚さんは2007年、家族会の初代代表で20年6月に87歳で死去した横田滋さんに代わり、2代目代表に就任。埼玉県内の工場で働きながら、被害者の帰国実現を目指し、日本政府などに対して要望を続けてきた。
 09年には大韓航空機爆破事件の実行犯で、田口さんから日本語を教わったとされる金賢姫元北朝鮮工作員と韓国の釜山市で、耕一郎さんとともに日本の拉致被害者家族として初めて面会。10年に金元工作員が来日した際にも長野県で面談した。
 13年に家族会などが目標としていた被害者の早期救出を求める1000万人分の署名を集め、19年5月に1300万人を超えた。14年には米国のオバマ元大統領と、17年と19年にはトランプ前大統領とそれぞれ面会し、拉致問題への関与や協力を求めた。
 先月13日、拉致被害者全員の即時帰国を求める「国民大集会」に出席し、家族会代表としてあいさつしたが、同月中旬に体調を崩し緊急入院した。耕一郎さんらに「新体制を考えてほしい」と退任の意向を伝え、今月11日に横田めぐみさん=同(13)=の弟で同会事務局長の拓也さん(53)が3代目代表に、耕一郎さんが後任の事務局長にそれぞれ就いた。


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レバノンでは、政府と左翼が協力して被拉致者を奪還した

 日本人拉致事件の経過をたどると、三期に区分できる(西岡力『拉致家族との6年戦争』扶桑社、二〇〇二年)。第一期は、一九七七(昭和五十二)年に本格的な日本人拉致が始まってから、一九八八年に梶山清六国家公安委員長が北朝鮮による拉致疑惑を国会で公に認めるまでである。第二期は、梶山発言後も拉致事件が無視されつづけた一九九七(平成九)年初頭までの時期である。第三期は、一九九七年に拉致被害者救出運動が本格的に始まってから今日までである。以下、第一期を中心に拉致事件についてみていこう。

北朝鮮が、日本国内から本格的に日本人拉致を始めるのは、一九七七(昭和五十二)年九月十八日の久米裕の事件と十一月十五日の横田めぐみの事件からである。その後、翌年六月二十九日には田口八重子が拉致され、七月七日には地村保志・浜本富貴恵、七月三十一日には蓮池薫・奥土祐木子、八月十二口には市川修一・増元るみ子、という三組のアベックが立て続けに拉致されている。また、同じ十二日は、曽我ひとみと母親のミヨシが拉致されている。 

北朝鮮が拉致を計画的に行ったのは、何も日本国内からだけではない。一九八〇年には、松木薫がマドリードから、石岡亨がウィーンから、一九八三(昭和五十八)年には有本恵子がコペンハーゲンから、拉致されている。その後も、日朝交渉を進めていた一九九〇年代まで、北朝鮮は、日本人を合計百人以上も拉致し続けたのである。

地村保志・浜本富貴恵らが拉致されたのと同じ頃、レバノン人女性も、北朝鮮によって拉致されている。だが、レバノンの対応は、日本とは大きく異なるものだった。一九七八年八月、レバノン人女性四人が、一口本の大手電気メーカーが秘書を募集している」という話にだまされて、ベイルートから平壊に連れて行かれる。レバノンでは、娘と何ヶ月も連絡を取れないため、家族が騒ぎ出す。そこで、一九七九年四月、北朝鮮は、四人のうち二人を、わざわざ北朝鮮の友好国であったユーゴスラビアに連れて行き、首郁ベオグラードのホテルから家族に対して「私は日本で働いている。元気でやっているから心配しないで」という電話をかけさせる。北朝鮮からの電話は、オペレーターを通すため、すぐに娘が日本ではなく北朝鮮に居ることがばれてしまうからである。

拉致されて一年後、再び二人はベオグラードに連れて行かれて電話をかけさせられるが、電話をかけた後、隙を見て逃げ出してクウェート大使館に駆け込み、レバノンに帰国する。

レバノン政府は、二人から自国の女性四人が北朝鮮によって拉致された事実を知るや、この事件について調査するとともに、残る二人の女性の解放を厳しく北朝鮮に対して求めた。また、左翼武装組織も解放に向けて尽力し、パレスチナ解放機構(PLO)傘下の左派組織が「このままでは友党関係が壊れるが、それでもいいか」と北朝鮮に対して迫ったともいう。その甲斐あって、一九七九年十一月、残る二人も解放される(『産経新聞』一九九八年四月二十八日「北朝鮮のレバノン人拉致事件 被害女性の証言参照)。

右のように四人が解放されるに至った要因は、三点ある。第一に家族が立ち上がったこと、第二に政府が北朝鮮に対して厳しい態度で臨んだこと、第三にレバノンの左翼が北朝鮮に対して厳しい態度で迫ったこと、という三点である。

スパイ防止法の欠如
これに対して、日本の場合はどうであろうか。第一に、情報が伝えられなかったため、家族はなかなか声を上げて立ち上がることができなかった。それでも、一九九七(平成九)年の家族会結成以来の活動には、目覚しいものがある。何とか、政府の重い腰を動かしてきたのが、レバノンの場合と同じく、家族の熱意であることは疑いようがないことである。だが、第二に、レバノン政府と異なり、日本政府は、北朝鮮に対して厳しい態度を全く示してこなかった。第三に、社会党、共産党、新左翼といった日本の左翼は、レバノン左翼とは正反対に、北朝鮮による日本人拉致に荷担していくことになる。日本政府も、日本の左翼も、ともかく「おかしい」のである。

日本政府の「おかしさ」は、最初の本格的な拉致事件である久米裕の事件、すなわち宇出津事件の時にさっそく発揮される(宇出津事件については、『毎日新聞』二〇〇二年十一月十五日「北朝鮮拉致事件1、断絶された情報」参照)。実は、拉致事件を根本的に解決する最初の機会は、宇出津事件の時に存在した。宇出津事件では、日本の警察は、能登半島の宇出津海岸で久米裕を北朝鮮の工作員に引き渡した在日朝鮮人を、外国人登録法違反で逮捕していた。しかも、逮捕された被疑者から工作員に引き渡したという証言を得ていた。だが、捜査当局は、国外移送目的拐取罪での起訴を考えたけれども、久米裕が見つからないから公判維持ができないと判断して、被疑者を基礎せず釈放してしまう。そして、事実上、宇出津事件はなかったことにされてしまうのである。

宇出津事件が起きたとき、日本国は、この事件を重要な人権侵害、日本の国家主権侵害としてとらえるべきであった。「普通の国」ならばそうしたであろうし、すぐさま一九七七年の時点で、北朝鮮に被拉致者を返せと迫っていただろう。被疑者を起訴しなかったのはよいとしても、日本政府は、広く世の中に向けて、拉致という北朝鮮の非道を訴えるべきであった。だが、日本政府は、拉致被害者を見捨ててきたのである。

宇出津事件以来、拉致事件発生の構造は一貫している。日本は、「日本国憲法」の平和主義に基づき、スパイ防止法を形成してこなかった。そのため、工作員さえも罰することができないし、罰したとしても懲役一年程度で出てきてしまう。しかも、日本国内に工作員が潜入することは驚くほど簡単である。拉致事件が集中した一九七七年から一九七八年にかけて、海上保安庁の巡視船は不審船追跡のため年五十回以上出動したが一度も拿捕で
きなかったという。つまり、日本はスパイが自由に出入りし、自由に活動できる「スパイ天国」だったのである。今現在も、それほど状況は変わらない。
ーー(憲法無効論とは何か 占領憲法からの脱却 小山常実)

未だにこの状況は変わっていない。拉致も解決していないし、工作員も山ほどいる。一番許せないのは拉致した北だけれども、日本政府の無能さに無性に腹が立つ。この間、知り合いと「日本が戦争はじめたらどうする?」という話をしたら、「逃げる」という人が多かった。まあ軽い感じなノリですけど。
ちょっと悲しくなるね洒落でも。

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