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【上島嘉郎氏などの情報より〜のメモ 】_φ(・_・火野葦平 『バタアン半島総攻撃従軍記』

【日中友好のウソ】習近平の国賓来日が危険な理由
YouTubeで上島嘉郎の公式チャンネルが本格始動してまいりました。ここでは、TVやラジオ、雑誌ではカットされる真実の情報を配信しています。
われわれが知っている戦後日本は、GHQによって思想改造された敗者であり、今もそれは続いています。そしてマスコミとは、「敗者の戦後」を維持するための装置であり、番犬として機能していることが理解できるはずです。

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ちょっと信じられないかもしれないですが、今の日本の教科書にはこんな規程があります、、、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」 より分かりやすくいうと、
「日本の歴史の教科書は、中国と韓国の気持ちに寄り添った物でなければならない」これは昭和57年に起こった、いわゆる「外圧検定事件」が原因でした...。
日本の歴史の教科書に対して中国が抗議をしてきたのを日本政府は受け入れたんです。当時の日本政府は、中国の抗議に屈してしまったんですね。
その結果として上に書いたような「日本の歴史の教科書は、中国と韓国の気持ちに寄り添った物でなければならない」という大変不名誉な法律ができました。
これが「近隣諸国条項」と呼ばれるものです、、、
あなたもご存知かもしれませんが、日本政府は歴史的にみても中国、韓国に対してかなり弱腰の外交姿勢をとっています。  例えば、、
・南京大虐殺という嘘っぱちを否定することもなく
・そもそも存在しない慰安婦問題に付き合い、
・中国船が400回尖閣諸島に接近してもそれをニュースにすらしない
などなど、、  なぜここまで弱腰になってしまうのでしょうか?

この原因を作っているのが、GHQの焚書(ふんしょ)です。敗戦後日本にやってきたGHQが7,769点もの日本の書籍を「危ない思想本」と断定して、処分したんです。例えば、先ほど書いた、南京事件の大嘘や、慰安婦問題の真実、日米開戦の本当の理由に至るまで私たちには情報が届かなくなりました。
つまり、私たちが教わっている歴史は「日本以外の国にとって都合の良い」内容になっている可能性が高く、、、そのせいで日本人は、自分たちの先祖がやったことを謝罪し、、、外国に対して強く言えない可能性があるのです、、、

この焚書は現在でもごくわずかに残ってはいますが、その数が非常に少ないため、本屋にはもちろん置かれてませんし、、ネット通販などで出品されてもすぐに売り切れてしまうため、常に高値で取引されています。国会図書館がかろうじて1,2冊の在庫を所有していることもありますが、、そんなわけで、普段は滅多に触れることのできない本なのですが、、今回私たちは、上島先生が中心となって一冊の焚書を復刻することに成功しました。この本を読むことで、戦後の米軍がどうしても隠したかった戦争の真実がわかってくると思います、、、

GHQが戦後に処分した。日本人の書いた、大東亜戦争の日誌。そこには、現代の日本人が誤解させられている、大東亜戦争の真実が隠されているのでした・・・

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火野葦平『バタアン半島総攻撃従軍記』

既に書籍をご覧になられた方々から感想が寄せられているので、あなたに共有いたします。ぜひ、参考になさって下さい。
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「リアルな将兵像が描かれていた」
表記の従軍記を読んで、学校の勉強は全然と言って良い程しなかったが、新聞紙上の戦地報道は貪るように読んだ、昭和15から20年頃が懐かしく思い出されました。同従軍記に描かれた大日本帝国陸軍の将兵像は、そのまま近所に在った陸軍世田谷練兵場で訓練に励んでいた徴用兵達の姿と重なり、素朴・生真面目で親しみやすい中年の人々が目に浮かぶようでした。古来より、「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言われていて、敗者に「理不尽」の多くが背負わされています。
国運に殉じた不運な方々については、可能な限り「正しい姿」を復元して後世に伝えることが、私共の義務ではないかとの思いを新たにした次第です。
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「立派な先人への敬意がわき起こる」
本(淡々と事実を書いている)を見る限り、日本軍人は本当に立派に覚悟を持って日本・日本国民のために働いてくれたと敬意を払わないわけには行けません。
昔の日本人に敬意・感謝をもってこれからの日本を発展させて行く使命が我々にあると思います。
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「やっぱり日本軍は優しかったんだ」
死に面した戦時に於ても、日本人の優しさや現地住民への差別の無さを感じ、従軍記者の立場である視点の客観性から、真の日本人気質を知る事ができた。
98歳の父親からも南方の兵役に苦労が多かった事を聞いていて、外国軍隊の残忍性と日本軍のまともさの対比を知ってはいたが、より深く理解することができて、有り難く思いました。第二次大戦の日本軍の真実を知るため、一人でも多くの方が読まれることを望みます。
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「日本軍の捕虜の扱いは”のんびり”してる」
淡々とした表現が当時の現実感を映し出している。当時の日本兵の心理状態が解る。悲壮でもなく、憎悪に満ちてるでもなく、死の恐怖に慄くでもない。そこに有ったのは士気の高さ、日本兵士としての使命感、淡々とした勇敢さ、そして驚くほどの体力だ。
フィリピン兵がろくな食事も与えられず前線で戦い、アメリカ兵は後方で指揮を執る。フィリピン兵の投降者がその不満を述べる場面は「さもあらん」と思う。
半面、日本軍の捕虜の扱いはなんとも「のんびり」してる。これが実体か!と驚く。実に人間的な扱いをしてるなーーと驚く。流布されている捕虜の扱いと真逆ともいえる。
話は違うが「東京裁判 未提出資料集」の「バターン死の行進及び捕虜の扱い」の資料を合わせて読んだ。従軍記と同じ内容だったことも併記しておきたい。資料集には軍事食料供給量の計算書があった。日本兵と捕虜のカロリー計算が同じだった。つまり食料も同程度を準備すべし!との内容。理由は捕虜には重い労働を課すからだという。この本は、様々な二次資料の裏付けとなる貴重な従軍記である。
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「淡々とした描写に引き込まれる」
気負いもなく、誇張もなく、淡々と見たままを描写されている内容で、真正面から真実を知ることが出来ました。私は今フィリッピンで、現地人の温かさに触れ仕事をして20年になりますが彼らは日本人を敵とは思っていません。これは救いです。
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「日本人は正義を貫いていた」
フィリピンでのアメリカとの戦闘の事実がよくわかりました。アメリカ人は自分達は戦わず、フィリピン人に奴隷の様に働かせ後方から指示、命令をするというのが彼らの戦い方です。
日本人は捕虜として捕らえたフィリピン人もアメリカ人も大切に扱い、アメリカ人の隊長は戦いに破れて捕虜として囚われた時に、この戦争でフィリピンにやって来て、一番心が解放されたと言い、手持ちのお金を日本人兵に渡し、これでウイスキー買ってくれと言うぐらい日本の軍隊は、戦いはすれども、正義を貫いていたことがわかりました。
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いかがでしょうか?この本の著者である火野葦平(ひの あしへい)は芥川賞を受賞するほどの実力を持った作家ですから、文章がうまいことは言うまでもありません。その淡々とした文章は読んでいて不思議と引き込まれる感覚があります…
そしてそこから、日本の軍人たちの戦場における「普通の日常」を肌感で感じ取ることができます…
当時は戦場のドキュメンタリー映像なんかもありませんから、これはあの戦争の戦場の様子を知ることができる貴重な資料ということができるでしょう…

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やがて、溢れて来る米兵の捕虜に目をとめられた。広場にも、難民たちとならんで、数百の米兵が腰をいだいて並んでいた。森の中から、林の小径から、米兵は列をなして現れてきた。いづれも背は高いが、疲れた顔つきをし、重い足取りで続いてきた。なかには、髭面の巨大漢や、刺青を入れたものも交じっていた。(中略) 実はこんなに米兵がいるということは、すこしも思いがけぬことであった。それだけ米兵がいながら、なぜ戦わないのか。これらの兵隊は、我々の祖国にいわれのない侮辱を加え、我々の祖国の存立をさえ脅かそうとした傲慢な国の国民なのだ。私は米兵の捕虜の波を見ているうちに、それは不純な成り立ちによって成立し、民族の矜持を喪失した国の下水道から流れ出して来る不潔な汚水のような感じを受けた。このような時ほど、日本の兵隊が立派に見えるときはない。米兵百人に一人か、二百人に一人、日本の兵隊がつきそって、引率していく。日本の兵隊は米兵の肩までしかない。顔は陽と埃とによごれ、軍服も帽子もぼろぼろになり、軍靴も口をあけて、ぱくぱく鳴っている。その姿は銅像にしたいほど立派である。そうして、彼は終始、微笑をうかべ、米兵とならんで歩いてゆく。兵隊はわれながらおかしくなったように、米兵のやつ、こんな小そうて汚い兵隊にどうして負けたんじゃろうかと言うとるやろな、と呟く。その闊達さは微笑ましい。 自動車が道もせまいくらい無数に遺棄されてあった。動けるものは、早速、兵隊が動かし始めた。難民をトラックやバスで送ってやることになった。
火野葦平『バタアン半島総攻撃従軍記』より


過酷な炎天下、日本軍が捕虜とした大勢の米兵やフィリピン兵に、バターン半島南端のマリべレスからサンフェルナンドまでの百十二キロを歩かせたため、二千人を越す将兵が死亡した。戦後、日本軍を道徳的に非難する声が上がった。これが「バターン死の行進」と呼ばれるできごとである。

バターン半島で行われた総攻撃は、日本側にも多数の犠牲者を出す熾烈な戦いであった。バターン半島を北から南へとせめ進んだ日本軍により、米比兵は半島南端に追い詰められ、やがて多くがコレヒドール島に追い込まれた。兵八万三千に二万六千のフィリピン人難民が加わり、難攻不落を誇ったコレヒドールも食糧不足に自ら陥ちたようなものだ。

日本軍は4月9日にバターン半島を完全攻略。これ以前、マッカーサーは3月中旬にコレヒドールから魚雷艇でミンダナオ島に脱出、逃亡した。

冒頭の文章は、従軍作家として戦列に加わっていた、芥川賞作家でもある火野葦平が当時の様子を書いたものである。激しい戦闘の後、日本兵も米比兵も疲れきっている中での移動だったはずで、特に食糧不足から、栄養失調やマラリアにかかったものも少なくなかったはずの米兵には過酷な行軍だっただろう。しかし、常に不足の事態と隣り合わせの戦場でのできごとであり、そこに至る背景を無視して日本を《捕虜虐待》とののしるのは、米軍の責任回避であり、マッカーサーの無責任だ。

火野葦平が見た様を信じれば、日本兵は立派だったのだ。同じ様子を陸軍省企画の大東亜戦争四部作[『比島作戦』『ビルマ作戦』『ジャワ作戦』『マレー作戦』]の一つ、『比島作戦』のなかの、藤沢記者と署名のある「バタアン従軍誌」にはこうある。

蜿蜒と続く捕虜の群れはいつ果てるとも知れなかった。マリべレス-カブカベン-ラマオ-リマイ-バランガの軍工路を進む先頭が、もはや数キロも先を歩いているのに、まだ山の中から続々と出てくる。それは湧いてくるという感じだった。これらの捕虜はたった一人か二人のわが勇士たちに、少なくとも二百から三百名ずつが引率されていた。米兵は背が高く頑丈だった。毛むくじゃらの腕にあ女の顔や、薔薇の花を刺青し、指には金指輪が光っていた。持ち物は化粧品や毛布、天幕の類が多く、比島兵の織機代わりに缶詰の空き缶をぶら下げているほか何も持たぬ姿と妙な対照をしていた。引率していく日本兵は米兵の肩までしかなく、軍服は戦塵にまみれて薄黒く、背中には汗が噴き出して、白く地図を描いたようになっていた。  その日本兵の指図を受けながら米兵たちは卑屈そうに笑顔まで見せて、埃を浴びながら歩いてゆくのである。この哀れな姿を難民たちは驚異の眼で眺めた。昨日まで威張り散らしていた米兵が、猫のようにおとなしくなって、小さな日本兵に引きずりまわされている姿は、彼らにとってなにか小気味よいものだったに違いない。時々比島兵と米兵が同じ場所で休息した。すると、これまでは比島兵を顎で使い虐待していた米兵の方から水を汲んでやったり、日本軍情けの食事を運んでやったりしている。米兵には自分たちが散々虐待した比島兵の復讐が恐ろしいのだ。捕虜となって忽ち地位が逆転したわけであった。
陸軍省企画大東亜戦争四部作『比島作戦』より

バターン死の行進(覚書)『GHQ焚書図書開封2』 西尾幹二 
http://jhfk1413.blog.fc2.com/blog-entry-2194.html?sp

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戦前。日本は軍国主義に走り、間違った道を進んでいた。戦争は負けるべくして、負けたのだ。そういう主張の歴史学者がいます。一方で、上島先生は、これらの歴史学者を「薄っぺらい・・・」と一蹴します。それは、彼らがGHQによって封印された、真実の歴史について語ろうとしないからです。

今から70年前...GHQによって世の中から消された1冊の本があります。その本は、日本が米兵を残虐に扱ったと言われるフィリピン戦の真実を記したものです。
「日本が米兵を惨殺した」                         戦後、世界から批判された日本兵の真実を暴いたビデオ・・・
上島先生は「正論」時代に、石原慎太郎や、上智大学名誉教授の渡部昇一、多摩大学名誉教授の日下公人、元東京大学教授の西部邁、台湾元総統の李登輝、戦前日本の台湾統治を知る評論家の金美齢、ベストセラー作家の百田尚樹、、、などといった、「戦後の日本の歪んだ常識」に人生を懸けて異を唱えてきたビッグネームたちとの仕事に携わり、時には有名国立大学の教授の原稿を、「真実性の証明に欠ける」として・・・
そうして「正論」を「日本人の立場からものを言えるメディア」「自社の政治目的のためではなく、 国民に真の情報を届けるためのメディア」と認知されるまでに育てあげました。

ここでGHQが消した一冊の日誌を紹介したいとおもいます。
著者は芥川賞受賞作家。戦後は戦犯作家と汚名を着せられた火野葦平です。
日本軍に徴収され、軍に同行した従軍記者です。
彼は、戦地の様子を日本へ届けるのが使命でした。
当然当時は、大本営による検閲もありました。
火野葦平自身も何を書けば日本軍の検閲に引っかかるかを十分承知していました。
それらも加味した上でもこの書籍には嘘では書けない当時の日本軍、フィリピン軍、アメリカ軍の過酷さはありありと描かれています。
そして、残酷な日本兵が3万人以上の捕虜を殺したバターン死の行進がどんな状況で起きていたのか?本当に日本人が残虐だったのか?
当時の情報を感じるには十分な内容です。しかし、この日誌は何らかの理由があり、戦後GHQによって消し去られました。
78年の時を超え、今日はあなたにその日誌を無料でお渡しする準備ができました。
実際に戦争に同行していた記者の日誌から実際に当時の様子を感じてみてください。真実を判断するのはあなたなのですから。

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★守備隊の降伏[編集]1941年(昭和16年)12月23日、台湾から派遣されたフィリピン攻略の主力部隊である、本間雅晴中将率いる第十四軍が、ルソン島リンガエン湾に上陸した。フィリピン防衛の任に当たっていたのは、ダグラス・マッカーサー率いるアメリカ極東陸軍(米比軍)であった。マッカーサーは12月24日、マニラの無防備都市宣言を行った後マニラから撤退、バターン半島とコレヒドール要塞に立てこもった(米軍は撤退途中、人影があれば撃ち殺し、村があれば機銃掃射して皆殺しにした)。日本軍は翌1月2日に、マニラの無血占領に成功した。その後、日本軍はコレヒドール要塞を攻撃し、3月12日、マッカーサーはコレヒドール島を脱出した。
 4月9日、日本軍はバターン半島を死者130名、負傷者6808名を出して占領した。降伏したエドワード・P・キング少将率いるバターン半島の米比軍は、約7万6千名もの多数が捕虜となった。これは、日本側の2万5千名との捕虜数予想を大きく上回るものであった。なお、コレヒドール要塞はその後も籠城戦を続けていた。
なお、米軍部隊は、日本兵に使われるのは業腹だからと、多くのトラックを破壊した。壊さなかった部隊は、死の行進を歩むことなく、それで収容所まで行った。

●「バターン半島死の行進」での司令官・本間雅晴中将は、マニラ裁判で死刑になっている。でもこの行進はトラックがなかったからで、日本兵だって歩いていた。決して捕虜を殺すために歩かせたわけではない。 ここで重要なのは、フィリピン戦でマッカーサー軍は本間軍に破れており、マッカーサーは命からがらオーストラリアに逃げている。これは「復讐」である。         《渡部昇一 「自ら国を潰すのか」》

●自分たちでさえろくに食べられないでいた日本軍に、いきなりその統制下に入った8万の捕虜に十分な食糧を与えられる余裕があるはずはないし、ましてこれだけの人数を運ぶトラックやガソリンも持っていなかった。食うや食わずでひたすら歩くのが日本軍の常であったため、これを虐待だとは思わなかった。
《若槻泰雄 「日本の戦争責任」 他の著書「「在中二世」が見た日中戦争」》

●笹幸恵女史が「バターン死の行進」を歩いてみた。「風邪気味でも歩けた」と文芸春秋で書いている。バターンでは休息もなかった、休めば日本兵が銃把で殴りつけた、彼らは疲労で倒れた捕虜を容赦なく殺した、という。日本軍はそんな振る舞いはしないし、だいたい80キロを徹夜で歩いたわけでもない。一泊している。そんなゆるい死の行進があるだろうか。
●そう呼べるのは、例えばチェロキー・インディアン1万5千人をジョージアからオクラホマまで2千キロを歩かせたケースくらいではなかろうか。冬をまたぐ半年の過酷な旅で、死者は8千人を数えた。米国ではこれを「Trail of Tears」(涙の旅路)と呼ぶ。            《高山正之 週刊新潮2008/7/3》

●『大東亞戦争 陸軍報道班手記-バタアンコレヒドール攻略戦』(→焚書)の中で、「バタアン半島總攻撃従軍記」と題する長い文章を書いているのは作家の火野葦平である。彼はその中で敵の食糧不足を指摘している。これはいったいどういうことなのか…
 日本軍はバターン半島を北の方から南に向かって攻めていく。大量の敵がバターン半島の尖端にあるコレヒドール島の方へ逃げていき、そこにたてこもったからである。アメリカ軍とフィリピン軍は雪隠詰めのような格好でコレヒドールに追い込まれてしまう。その数は両軍合わせて8万3千。そこに、なんと2万6千もの難民、民間のフィリピン人も逃げ込んだ。だからたちまち食糧問題が深刻になってしまったのである。

http://ryou500.blog.fc2.com/blog-entry-73.html

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(下記は上島嘉郎氏の講座のレビューより抜粋。)

・私は73歳に為る老人です。アメリカ、欧州、シナ、韓国に利権を尽く売り渡して、先人が築いて来た日本の財産をみなと言えるほどに侵略侵食されておりますのが現状の日本でしょう。現在は国土も水資源でさえ売り渡す馬鹿どもです。許しがたい売国奴達ではあるが、私はもう老いてしまい抗する力も失せました。知れば知るだけ辛く苦しく為りますので、見たくも聞きたくも有りません。
私は30歳以前に、父が戦争で戦った国(シナ)に脅威を感じて、神奈川県の青年の船でシナの各地を見て来ました。日本国日本人一億に対してシナ13億人と聞き、戦わば一人対十三人との事に脅威を感じたのです。ですが内陸は家の建設も一列に並んだ人達がレンガを一個づつ手渡しで資材の運搬風景や紡績工場は、機械が動いているがまるきり薄暗くてよく見えません。有る処の病院では産子が日本の縁台の様な処に茣蓙一枚敷かれた上に寝かされており、過去に見たリャカーも見ました。沿岸は近代化されておりますが、当時の内陸部は、発電が充分出来ずにいる状況でした。各地を周りましたが、出されるのは水では無く、濃いオレンジジュースです。
ホテルのバスは湯を入れると底に砂砂利の様な荒い石粒が溜りました。ですが、料理は日本では中華料理は油まみれですが、向こうの料理は全く油を感じさせないとても美味しい料理でした。宿泊先が迎賓館の様でしたので良かったのかも知れません。
この様な活動を続ける事は大変でしょうが、祖国日本国の為に頑張って国民に理解を与えて目覚めさせてあげてください。ですが、現在の日本の政治や経済を考える時に、此の活動だけでは不充分だと思います。もう祖国日本の為には、人々が手を繋ぎ建ち上がらなければ為らない時期に来てしまっていると考えます。家庭では口にすると妻に叱られます。妻は既に口外をして災いに遭う事を恐れます。息子や孫達の将来に祖国日本は有るのでしょうかね。悲しく辛い気持ちに為ります。息子に子育てに対して、日本を出て海外でも生きて行ける様な教育をする様にとは言いましたが、とても今を生きる若い者には、そんな余裕は無いのかも知れません。

・武漢が収束したとの報道以後もう入国、物流が復活していてもそれを報道しようとしない日本のマスコミには怒りを感じます。2次3次感染が起きると言っているのにです。専門家会議の委員に4人の経済専門家が採用されましたが、緊縮財政派・経済諮問会議メンバーであることを報道しようとしない姿勢も疑問です。東日本震災時の復興税制が今回もコロナ復興税制などと論議が進みそうでこれも時期を狙って出てきそうです。9月入学論議も突発的に論議されて、構造改革路線がまだ息づいていることにも疑問です。消費税減税は安藤議員等一部の議員の思いは伝わってきますが、逆に増税増税と動きそうです。このままでは日本国家が消滅し復活の機会が永久に失われそうです。更なる言論活動を期待しています。

・中国共産党政権国家に対峙するには経済力が不可欠ですが、コミュニズムチャイナの手先と思われる財務省による緊縮デフレ財政均衡政策、バランスシート上健全な日本を借金大国であるかのようにプロパガンダする財務官僚とそのOB達による日本版ディープステイト権力。国家財政を家計や会社会計と同一視するのは大間違い。日本国は独自通貨発行権があり、自国通貨建て国債発行権を持ち、常に国債の人気は高く金融機関は強く求めている、マイナス金利で国債発行すれば国は大儲け、通貨発行しても発行益が出て儲かる、この時期国債発行、通貨発行しないで国民経済を苦しめる財務省は愚かな悪魔ですか。国家は永遠の永続性を前提にしているので人間の寿命中に決済せねばという考えも不要。百年千年スパンの国債を発行すれば良いし、日銀が買い取った国債は、親会社日本政府と一体化しチャラです。現在日本国の借金は無です。又国民一人当たり800万円の借金、大嘘です国債買う側は債権者です。財務省が借り手側でしょう、あべこべの真逆プロパガンダです。そうして日本のGDP経済力を低下させ、自らの権益確保とチャイナトラップに罹って逆らえずチャイナ支配構造に絡めとられているのです。三橋貴明、高橋洋一、藤井聡、上念司、島倉原氏らの著作をお読みください。

・教育は恐ろしい。
朝日新聞、毎日新聞、中日新聞、共同通信。毒されています。平気で情報操作します。とても、とても将来の日本が心配です。なんとか、誇り高く 日本を愛せる、自信を持って声を上げられる教育に変貌してほしいと心からから願います。

・今回のコロナウイルスで全世界が世界大戦時を思わせるような状況化でも日本の周囲の国は虎視眈々と日本の弱点と攻撃のきっかけを探っているかを認識しました。
日本の政界やマスコミには中国の思想工作がかなり進んでいて、尖閣が占領される事態が発生しても断固とした対応を国をあげて主張するかどうかが怪しく感じられます。なぜ、このような事態になったのかを考えてみると、アメリカ、GHQのWGIPが浸透し学校教育の中で日本の歴史と国家観を持てるような教育をしてこなかったことがボディブローのように効いてきているのではないかと考えます。政治家、官僚、言論界においても明確な国家観と使命感をもった人が少なくなりつつあるように感じています。その次にマスコミや言論界で特に1900年以降の日本の立場や方針、政策についての発信や討論の場の狭さが国民に気づかせる機会がすくなかったことがあげられます。年初からのコロナをめぐる日本の状況を見ていかに危機的状況に対応する体制が弱く、政治家、官僚をはじめとする指導層の意識の脆弱さも明らかとなりました。

・超限戦、いま中国のやっていることはすべてこれに尽きるという気がしてきます。職場の同僚に中国の色々な話をしても、驚く顔はするが詳しいことを聞こうともせず、何回も話を持っていくと煙たがります。自分のいるところは地方だから、迫りくる危機にあまり実感がわかないのかもしれませんが、遊ぶことしか考えていない人間があまりにも多すぎる。TVや新聞、雑誌、本など見れば、名の通った人々が色々な主義主張をしていますが、上島さんは日本国が柱とすべきことを熱く語っておられると思います。

・中華人民共和国(シナ)は、中国伝来の、古代専制国家であります。政府は国民の人権と生命を全く考慮せず、国民は、政府を全く信用せずに憎んでいます。今回のコロナ騒動とその後の各国への対応で、遠い欧州にもその本質が知れ渡りました。日本は、基本的に民主国家であり、開かれた国家です。シナは近くであり、その本質は、他の国よりも理解されているはずです。が、多くの企業がシナに進出して、金もうけができたことにより、起業家たちのシナを見る目が甘くなり、政府、自民党にも親中派が多くいる状況になりました。気が付けば、シナに取り込めらていることが、今回の騒動で明らかになりました。
今回のシナの行動から、日本人は目を覚まして、真剣に、素早くシナ離れをしなければいけません。が、この騒動が終わると、また元の木阿弥にならないように気を付けなければいけないと思います。アメリカは、軍事力を背景に大統領選挙もありますが、強い口調で非難をし、行動しようとしています。日本は、軍事力はありますが、憲法の縛りで十分に動けないこともあり、そして、多くの日本人がまだ中国に滞在して人質に取られているような状態ですので、静観し、憂慮しているというばかりです。事態は急を要しています。コロナ騒動が収束する前に、シナ離れの動きを具体的に始めるべきです。そのために、物価が上がることになっても、観光客が来なくなっても、国民は理解を示さなければなりません。でなければ、いつかシナの一つの省になってしまうことになりかねません。これが最悪のシナリオです。
憲法9条があれば平和が守れるというようなアホみたいな信仰を止めさせなければいけないと思います。平和を守るために、憲法9条は悪いことをしていることが、なぜわからないのか。アメリカがいつまでも日本を守ってくれるとは考えられません。尖閣諸島が取られたら、もう遅いです。

・上島先生の中国の戦略を聴講し、背筋が凍る思いがしました。ただ日本人・政治家?・メディア関係の人々は余りにも無防備で・無知であると考えさせられました。この様な知識を日本人は本当に知るべきだと思います。悲しいことに、極一部の人しかこのような情報が耳に入らないことが心苦しいです。日本の危機が刻々と迫っている状況にあって、日本人が目を覚ます手段はないのでしょうか。今回黒川検事の定年延長が問題になり反対署名が起こりましたが、このライズアップジャパンでも、誠に憂慮すべきものはネット公開して、断固反対という署名を集めることがあっても良いのではないかと考えました。私たちの国を誰が守るのか、それは一人ひとりの意思だと思うのです。政治家の方にも意見を出していますが、コロナの危機的状況にあって、一人ひとりが立ち上がることが大切だと思いました。たくさんの知識を学べたことで中国に対する対応も戦略として考えることを示唆していただきました。ありがとうございました。

・今の我々日本人の国の将来に対する危機意識の低さに、これは何とかしなければと強く思っていましたが、上島先生のお話しを聞いて、日本にとっての中国共産党の脅威の恐ろしさを改めて感じさせられました。特に中国国防動員法の存在は、恥ずかしながら今日初めて聞く話で、私の周りでも多くの人が知らないでいるのではないかと思います。今回の新型コロナウィルスのことで多くの日本人が今までの日本では感染症に対する備えが如何に疎かにされていたかを思い知らされたと思いますが、これをきっかけに、中国共産党の一党独裁の脅威は日本と世界にとってコロナウィルス以上に恐ろしいということに気付く様になってくれればと思います。

・現在においては、共産党は日本で合法とされているが、公安調査庁や警察がなぜ視察対象にしているかについて、理解している日本人がどれだけいるのか。甚だ心もとないものです。その理由は、国家を暴力革命により、転覆させることを目的としているからです。しかしながら、中国共産党は、超限戦か何か知らないが、中国人以外の人間は、決して理解出来ない戦略を実践しようとしていることについて、多くの日本国民は知らねばならないと思います。1,000年後に日本人が絶滅せずに、生き延びていることを願うばかりです。

・WHO総会が始まり、米・中の発言が出てきましたので、真相がより詳しく分かるようになってきましたね。 上島さんの説明通りの進行が予想せれると思いますが、中国共産党の計画があまりにも恐ろしいのと、日本政府・マスコミの気力の無いのが大変残念でなりません。ここは国民がしっかりと世論を持ち上げてゆくしか方法がありませんね・・・。

・どうも中国の危険度について分かっている人が少なすぎるように思う。国内の親中派と思われる連中が、中央に地方にマスコミに一杯いるようだ。中国に関する情報を見るたびにどんな気持ちで書いているのか、いつも疑ってしまう。台湾の人達から心配されるようでは情けない限りだ。

・中国共産党の武漢ウイルス感染終息と他国への感染拡大を利用した反日運動を画策していることを知りました。日本の大手メディアは報道していません。中国共産党は武漢ウイルス騒動中に尖閣諸島などに手を出すかもしれません。日本は警戒を十分したほうがよさそうとのこと。国内の反日運動の動きにも注意が必要とのこと。政権与党の大物政治家の動きが気になります。

・日本人の現状については、上島先生・西先生のご講義を視聴する回数が増えるに並行して「ノー天気さ」に驚き、将来への危惧と不安を強めています。日本は今や、既に中国の属国にならんとする状況にあります。私は(上島先生・西先生・藤井厳喜先生達から講義を聴く迄)ダイレクト出版の書籍とご講義とは真逆の方向に向かっていました。国会での勉強会にも参加していましたが、明治35年生まれの父から聞いてきた話と現実のギャップを感じつつも、被虐思考から、左側の考えに自分を向けようとしていました。しかし上島先生のご講義を聴くようになって、今や完全に方向は逆になりました。

・孫子の兵法、戦わずして勝つ。
戦争のもう一つの様相は、それが目に見えないものであり、偽装されているものだけに、いっそう危険である。また、それは国外から来るようには見えない。カムフラージュされて、さまざまの姿で、こっそりと国の中に忍び込んで来るのである。そして、我々のあらゆる制度、あらゆる生活様式をひっくり返そうとする。このやり方は、最初は誰にも不安を起こさせないように、注意深く前進してくる。その勝利は血なまぐさくはない。そして、多くの場合、暴力を用いないで目的を達する。性的な興奮を刺激する劇、映画、歌曲などを利用する事が好ましいとし、逆に好ましくないものとして、スポ根もの、歴史もの、あるいは「日本の唱歌」のように郷土愛や民族愛を喚起するものを挙げ、前者を多く、後者を少なく取り上げるよう誘導される。このままでは日本は「戦わずして負ける」これに対して、しっかりと身を守る必要がある。


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