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「マスコミ界の北朝鮮」 朝日新聞の闇 / 当事者が暴く嘘だらけの拉致問題(ビデオ①②は11月2日まで公開)

① 当事者が暴く嘘だらけの拉致問題 
https://in.powergame.jp/sira1_2110_03?cap=merumaga20211030

② 当事者が暴く嘘だらけの拉致問題
https://in.powergame.jp/sira1_2110_vsl_02?cap=merumaga1101

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在職中には膨大な記事を書き、優れた書評子でもあった元朝日新聞記者が、客観報道のイロハを叩きこまれた駆け出し時代から、歴史教科書リポートを最後の仕事として定年退職するまでの36年間を回想。取材現場での生々しいやりとり、稲山嘉寛、中内㓛、堤清二、諸井虔、石原慎太郎、小田実、赤尾敏諸氏をはじめ数多くの著名人の意外な素顔、知られざる記者の胸の裡を、巧まざるユーモアを醸す練達の筆で綴る。記者の本分とは何か、報道とは何か。実践的メディア論としても出色の本書は、大きく躓いた朝日新聞の謎を解くカギのすべてを示している。「記者の中の記者」が書いた近来の快著。

・・・

差出人: 伊勢雅臣
件名: 「マスコミ界の北朝鮮」朝日新聞の闇
日付: 2021年11月1日


暗躍する日本人工作員に、
動かない政界やメディア。

一向に解決の兆しが見えない
北朝鮮による拉致問題ですが...

「今こそ解決のチャンス」だと
ジャーナリストの篠原氏は言います。

日本人として知っておきたい
拉致問題“20年目の真実”とは...

詳しくはこちら

ビデオ ① ② (*公開は明日:11/2まで)


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


朝日新聞、マスコミ界の北朝鮮
〜 永栄潔『ブンヤ暮らし三十六年』から
From:伊勢雅臣


■1.『ブンヤ暮らし三十六年:回想の朝日新聞』

朝日新聞や『週刊朝日』などで
36年の「ブンヤ暮らし」を務めた
永栄潔(ながえ・きよし)氏が、
その内幕を描いた『ブンヤ暮らし三十六年:
回想の朝日新聞』が話題を呼んでいる。

Amazonでは20件もの
カスタマーレビューが寄せられ、
うち星5つが16件、星4つが2件という高評価だ。

弊紙でもこれまで登場いただいた
朝日新聞記者の素顔が描かれていて、
なるほど、こういう人物が、こんな風に
朝日の中をかき乱し支配していったのだな、
と納得できる場面が多かった。

本稿では、そのうちの印象的な場面を
いくつかご紹介しよう。

弊誌では朝日が行ってきた偏向報道を
何度も論じてきたが、それがどんな風に
生み出されてきたのか、がよく判るだろう。


■2.本田雅和記者の豪腕

最初に登場いただくのが本田雅和記者。

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日本軍が中国で「百人斬り競争」をしたと
でっちあげて、山本七平氏から「論理的に
ありえない話」と論破された本多勝一記者[b]、

沖縄のサンゴ礁を自分で傷つけた上で
環境破壊を戒める記事をでっちあげた
本田嘉郎記者と並んで、「朝日の3ホンダ」
と並び称される一人である。

本田記者は、「従軍慰安婦」問題が
昭和天皇の責任であったと追求する
市民団体による「女性国際戦犯法廷」
(平成12(2000)年)を準備段階から支援し、

積極的に報道するのみならず、
主催団体と一緒に北朝鮮にまで渡航して、
協力を求めている。

その4年の後、北朝鮮が送ってきた
横田めぐみさんの「遺骨」が偽物と鑑定され、
「北朝鮮を制裁すべし」との世論が
高まっていた最中に、

その中心であった安倍晋三・経産相(当時)と
中川昭一・経産相(故人)がNHKの
「女性国際戦犯法廷」に関する番組に
「圧力をかけた」と、本田記者は
朝日の第一面で糾弾した。

しかし、中川氏がNHK幹部と会ったのは
番組放映の後なのに「放映前」と書き、
幹部が安倍氏には予算説明に行ったのに
「安倍氏が呼びつけた」とした。

安倍・中川両氏から「事実無根」と
訂正・謝罪を求められ、NHKからも
公開質問状が寄せられたという
なんとも強引な捏造報道をする人物であった。


■3.「崩御」か「死去」か

永栄氏は、その本田記者と大激論をしたそうだ。

昭和天皇が病床にあった昭和63(1988)年暮れ、
二人は『週刊朝日』編集部に属していた。

ある日、緊急部会が開かれ、
天皇が亡くなられた時の言葉遣いを
どうすべきかが諮られた。

編集局、出版局ごとに意見をまとめて、
全社で統一することになったからだ。

本田氏がさっそく手を挙げて、こう言った。

__________
ぼくは、『死去』がいいと思います。

『崩御』は絶対に反対です。

『崩御』という時代錯誤の用語を使うことは、
天皇制を認めることになる。

ただ、そんな用語のことより、
ぼくは、われわれがいま取り組むべきは
天皇の戦争責任を追及することだと思います。

新聞は一度も天皇責任に正面から切り込まない。

新聞がやらないのであれば、
『週間朝日』でやるべきです。

そのことを議論しませんか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

他の人からは「ご逝去ではどうか」という案が出て、
編集長から意見を求められた永栄氏は、こう語った。

__________
崩御が特別な用語だというのはその通りだろうが、
崩御を使うことは天皇制を認めることになる
という理屈が分からない。

天皇は憲法に「国民統合の象徴」とあり、
天皇は憲法上も特別の存在であるわけだ。・・・

天皇や皇后が亡くなったことをいう崩御という
言葉があるのに、ご逝去にするというのは、
「朝日は天皇の敬意を払うつもりはない」
という意思表示と受け止められないか。

そのことも考えておくべきだ。

ただ、近代日本の苦闘と天皇への共感共苦が
底にあるなら、「死去」でも構わない。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

本田氏は、永栄氏の発言中も
「おかしいですよ」「議論が逆立ちしているよ」
と何度も挙手した。

発言が終わると真っ向から反論し、
いつしか二人の論争が延々と続いて
周囲はうんざりしたという。


■4.「噫(ああ)軍神乃木大将」

最後に、編集長が「それでは『ご逝去』
ということにしましょう」と締めくくった。

どこの部も「ご逝去」で上層部に提案した
ということだったが、実際に昭和天皇の崩御を伝える
号外、新聞見出し、『週刊朝日』とも、
すべて「崩御」で統一されていた。

どうしてそうしたかの説明は、
編集長クラスにもなかったという。

永栄氏は「乃木大将夫妻の自刃[d]を知った夜の
朝日社内が思い出されておかしかった」という。

__________
明治天皇の大葬で猫の手も借りたい編集室に
乃木希典・静子夫妻自決のニュースが飛び込む。

「この忙しいときに馬鹿が」
「記事のないときに死んでくれりやあいいのに」

などと罵声が飛びかい、
見出しをどうするかが問題になる。

「心中だな」「共同自殺や」。

その場にいた生方敏郎の
『明治大正見聞史』(中公文庫)に出てくる挿話だ。

挿話はこう続く。

主筆が隣室から出てきて、
「このさい慎んだらどうです。聞き苦しい」と言う。

そこへ社長が出社する。

「乃木が死んだってのう。馬鹿な奴だなあ」。

「社長万歳!」の歓声が一斉に起こる。

にもかかわらず、翌朝の新聞が
「噫(ああ)軍神乃木大将」と、誠忠無二の人の
殉死を悼む記事で埋まっているのを見、
生方は唖然とする。そんな話だった。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

朝日社内には北朝鮮のような
強力な社内統制があるようだ。


■5.「クビにしてやる」

その統制がどのように行われるのかを
窺わせる逸話も、永栄氏は語っている。

永栄氏が入社早々の頃、朝日は日本の報道機関で
唯一、北京に特派員を置いていたが、その報道が
あまりにも他紙と違うので、戸惑ったという。

当時、文化大革命が進む中で、
それを伝えた日本の各社北京特派員は
次々と追放され、朝日の秋岡特派員のみが
北京に残っていて、差し障りのない
報道だけをしていた。

それに対する批判が高まると、
当時の広岡知男社長・主筆が、

「相手の嫌がることを取材したり
書いたりする必要はない」という趣旨を
朝日の第一面に書いていたのに永栄氏は驚き、

「私たちは日々、相手の嫌がることを取材している。
こういうことをお書きになるなら、社長を
お辞めになるべきだ」と社長に手紙を出したが、
咎められることもなかった。

永栄氏の剛直さは見上げたものだが、
社長としては一介の新人社員の手紙など
無視しておけば済むと思ったのではないか。

ところが、社論に背く報道がなされると、
対応が違ってくる。

『週刊朝日』が昭和46(1971)年12月10日号で、
「林彪のナゾを負う----ここ三ヶ月の中国首脳
二十五人の動静全調査」という特集を組んだ。

林彪副主席の動静が同年10月1日を最後に
報道されなくなり、側近たちの名はそれ以前から
公式報道から消えている事実を調べて、林彪の周辺で
何かが起きているのではないか、と書いた。

突然、姿を消した林彪の行方を追って
世界のマスコミがさまざまな分析をするなかで、
中国現地紙から林彪一派の動静を調べて、
異変が生じている可能性がある、と書いたのは、
報道機関としてごく真っ当な取り組みだった。

ところが、編集長の工藤宜(よろし)氏自宅に、
まだ夜も明けきらないうちに、外報畑の
元香港特派員が電話してきて
「クビにしてやる」と言ったそうだ。

朝日では一介の記者でも、主流派に身をおけば
編集長クラスに対してこういう口の利き方が
できるようだ。

実際に工藤編集長はその後、
数週間で解任されたそうだ。

「相手の嫌がることを書いたりする必要はない」
と言っていた社長のもとでは、
中国の「嫌がることを書いた」工藤編集長を
飛ばすのは簡単なことだったのだろう。

こうして真っ当なジャーナリストは左遷され、
社論に忠実な似非ジャーナリストが
出世していく。


■6.「こんなもの、載せられるか!」

社論に沿わない記事がいかに排除されるか、
永栄氏はご自分の経験も書いている。

1980年代前半、永栄氏が大蔵省を担当した時は、
消費税論議の真っ最中だった。

消費税導入を説く経済学者や
経済研究機関のレポートが相次いで発表されており、
永栄氏はそれらの提言を短い記事にまとめた。

__________
その晩、君和田正夫デスク
(のち編集担当専務、テレビ朝日社長)に、
「うちは消費税反対なんで、ボツにしたぜ」
と言われた。

社論に合わない見解は、消費税のような
国民的論議が必要な事柄でも載せないと知り、
やはりそうなのか、と思った。・・・

「おかしいですね」と言おうかと一瞬思ったが、
不肖に言う必要のないボツを告げる
君和田さんの済まなそうな表情に接し、
「わざわざどうも」と不肖は答えた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

2003(平成15)年3月、アメリカがイギリスなどの
有志連合とともに、イラクを空爆したおり、
朝日の社説は「空爆已(や)むなし」だった。

朝日の従来の論調からは理解しがたい社論で、
どういう事情でこうなったかは判らないが、
当然、朝日の読者には「戦争は避けるべきだ」
と考える人も少なくなく、そんな意見が
読者から「声」欄に寄せられ、採用された。

__________
「声」欄は、不肖が当時属していた
オピニオン編集部の管轄だった。

「声」欄のゲラを読んだその日の当番局次長が
オピニオン編集部に怒鳴り込んできたらしい。

局次長は「こんなもの、載せられるか!」
と怒り、ただちに差し替えられたという。

不肖はその場に居合わせなかったが、
出先から戻って騒ぎを聞き、
「読者の意見なのだから、このまま載せると
突っぱねればよかった」と言った。

入社同期の同僚が「いや、社長も論説も、
上が全部、駄目だと言ったらしいんだ」
と声を潜めた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

この時は、永栄氏の同僚はみな空爆に反対で、
一人の若い女性記者などは「空爆已むなし」
の社説に抗議して、会社を去ったという。

こうして、その時々の社論に盲従する人ばかりが
朝日に残り、出世することになる。


■7.「どんな些細なことでも、自分の目で見、耳で聞く」

永栄氏が富山支局の新米記者になって、
最初に担当したのは警察担当だった。

ある日の未明、車が交差点脇の電信柱にぶつかり、
折れた電信柱が民家の屋根に倒れかかった
という事故が警察の当直簿に記録されていて、
それを3百字ほどの原稿にしてデスクに提出した。

デスクは「朝早うから、ご苦労さんやったな。
ところで交差点だけどな、四差路かいな、
三差路かいな」と聞いた。

「四差路だと思いますけど、もう一度、
調べてきます」と答えると、デスク曰く

「調べてくる?現場に行ったんと違うかいな。
それからな、『思います』はあかん。
あんたがどう思おうが、四差路は四差路やし、
三差路は三差路や」。

交通課に聞いて戻ると、
「電信柱はどのへんで折れたんかいな」
「屋根瓦のほかに被害ないやろな」
「前にも同じような被害に遭ったということは
ないやろな」と聞かれ、

そのたびに交通課に聞きに行って、
職員一同に大笑いされた。

それらを書き込むと、最初の原稿の
3倍くらいになったが、デスクが修正した原稿には、
追加情報は何も残っていなかった。

__________
要するに、不肖への訓練だったのだ。

どんな些細なことでも、自分の目で見、
耳で聞くことの大事さを教えようとしたのだろう。

悪戦苦闘だったが、視界が
いっぺんに広くなった気がした。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄


■8.報道機関か、プロパガンダ機関か

こうした事実報道の基本を叩き込まれた事も
あってか、永栄氏が特ダネをものにして
社内表彰を受けたのも、大阪本社管区内では
他の誰よりも多かったかも知れないという。

しかし、先輩たちには、何度もこう言われた。

「永ちゃんは書けるのに、ほんま、惜しいわ。
ウチと方向が違うからなあ」

しかし、「方向が違う」というだけの問題ではない。

林彪の行方を探求しようとると怒鳴り込んだり、
数人切れば刃こぼれしてしまう日本刀で
100人斬りをさせたり、と朝日の主流派は
「特定の方向」ありきで、それに向けて
事実を隠したり、捏造までしているのである。

朝日新聞社の中にも、永栄氏やそのデスクのように
丹念に事実を調べる所から出発する
本物の報道記者は少なくないはずだ。

しかし、そういう真実の報道をしようとする人が
「方向が違う」記事を書くと没にしたり、
左遷してしまうのが朝日の体質のようだ。

自由民主社会においては、正確な事実を提供して、
国民に向かうべき「方向」を考えさせるのが
報道機関の役割だ。

特定の「方向」に沿って事実を取捨選択したり、
時には捏造したりするのは
プロパガンダ(思想宣伝)機関である。

朝日新聞社は、自由民主主義社会に必要な
報道機関と言うよりは、北朝鮮や中国にこそ
ふさわしいプロパガンダ機関のようだ。


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朝日OBが衝撃本 元社長や元名物記者の“仰天エピソード”「秘密会合」も… (1/3ページ) - 政治・社会 - ZAKZAK


慰安婦報道や福島第1原発事故「吉田調書」報道の誤報と記事取り消しなど、報道機関としての姿勢を問われている朝日新聞社。同社の内幕を記したOBの著書が話題となっている。朝日を代表する大物記者たちが次々と実名で登場、人間性をあらわにするような行状が紹介される。さらには、現在の朝日的論調を方向付けた可能性もあるという“秘密会合”が存在していたことも明かしているのだ。

 『ブンヤ暮らし三十六年 回想の朝日新聞』(草思社)を書いた永栄潔(ながえ・きよし)氏(67)は1971年に朝日に入社し、富山、大津支局を経て経済部、「週刊朝日」「月刊Asahi」副編集長、「大学ランキング」「週刊20世紀」編集長などを歴任した。

 ダイエー創業者の中内功氏やセゾングループの堤清二氏らの人間性を示す逸話や、大韓航空機を爆破した金賢姫元死刑囚のインタビュー秘話など記者時代のエピソードが盛りだくさんだが、見逃せないのが朝日社内の描写だ。

 「狂犬。破壊分子。極左で極右」「ベトナム戦争のことでも中国や北朝鮮のことでも、朝日にケチばかりつけて、産経の肩を持つ」と上司に評されたという永栄氏が現役時代に接した“大物記者”たちの様子が紹介されている。

 朝日のリクルート事件で、経済部長当時の箱島信一氏が「何が問題なんだね。ただの経済行為だろ」と話していたのが、編集局長に昇進後のパーティーでは「戦後最大の汚職事件」と述べたことに驚いたことも振り返る。箱島氏はその後社長になった。

永栄氏が週刊朝日編集部員当時には、ワシントン特派員の船橋洋一氏(のちに主筆)の友人の原稿がボツになったところ、「もしも載らなかったら、経済部に戻さない」「載らなければ、社にもいられなくなるぞ」と激怒されたという。

 中国やベトナムのルポで知られ、退社後は「週刊金曜日」を創刊した本多勝一元編集委員が山岳事故の取材で富山支局を訪れた際のエピソードも明かしている。本多氏は「酒、ありますか? 酒がないと原稿が書けない」と言うと、支局長の命で永栄氏が調達に走ったという。

 元主筆の若宮啓文氏の友人の現役官僚が月刊Asahiに役所の内幕を寄稿した際のエピソードも。原稿が印刷に回る直前、「原稿を当局との取引材料にしていて、話がまとまれば原稿を引き揚げる」という若宮氏の話を伝え聞いた永栄氏は激怒した。「今にして思えば、若宮氏は友人の行く末を案じ、上司ともう一度話し合うことを勧めたのだろう」と振り返る。

 このほか、昭和天皇崩御の際に「崩御」という言葉を使うことに強く反対した本田雅和記者と論争になった話、さらには共産党の機関誌「前衛」の原稿用紙を使っていた論説委員などの話も紹介されている。

 そして、1960年代から70年代にかけて一部の学者と朝日のデスクたちが月に一度、開いていた「二木(にもく)会」という勉強会の存在についても記している。永栄氏は、「会の名称は正確ではないかもしれない」としたうえで、「ソ連や中国、北朝鮮報道などについて1つずつ朝日の紙面の方針を固めていった可能性がある。60年代までは多様な論調の識者が登場していたのが、70年代以降、左派文化人ばかりになった」と振り返る。

朝日の「異論を認めない窮屈さ」は現在も続いていると永栄氏は指摘する。昨年9月、「吉田調書」の記事を取り消し、読者に謝罪した紙面では、天声人語や素粒子などのコラムや読者投稿、歌壇・俳壇、川柳までがこの問題を取り上げた。永栄氏は「“1億総ざんげ”のような違和感を覚えた」という。

 朝日OBとして「若手記者にツケを残した忸怩(じくじ)たる思いがある」という永栄氏。「われわれの仕事は関係者や専門家に会って徹底的に疑問をただすこと。慰安婦問題なら、日清、日露戦争当時はどうだったのか、他国はどうだったのかなども調べ、誠意を持って読者に伝えることしかない」としたうえで、「事実より理念で書く新聞も必要ではあるが、“日本は開国以来悪かった”というような新聞が800万部も必要なのかは疑問だ」と苦言を呈した。


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