輪廻転生を信じると人生は変わる
ひさしぶりに、なんだか、この本↓ を読み直しました。山川紘矢さんの本です。
最初のころ読んだとき、20代のころか、30代のはじめだったと思うのですが、その時の感想は、
「まあ、そうなのかもしれないけど、…。現実、それどころじゃないよ…!!」
という気分でした。正直…😢
いまは、もっとスムーズに受け取れますね。(^^)
ーなにかを知った、とかいうことより、”諦め”がついたことがたくさんあるからでしょうかね、なんだかそんな気がします。🤭
そうそう、私的に世の中を眺める視点の勘違いの大きなところでは、
子どもの頃の自分はすでに、「偉い人の命のほうが大事でしょ」と思い込んでいた気がします。そう思いながら、「でも、サメの前に落っことされたとしたら、”偉い”人もそうでない人も、一瞬で食べられるけどね」と思っていたんでした。笑
そういう思い込みが取れたのは、わりと最近な気がします。
ー努力が偉い、とか、積み上げてきたものが偉い、とか、そういうことを含めてです。
この件に関しては、深い芯のところでは、正直、実はまだ取り切れていないくらいかも、と思います。ーそのくらい、私の自我はまっしぐらに「努力努力」といやらしくガンバッテいたときがあったからでしょうね…
「自我」を自分と思い込んでいて、自我から離れることができない、って、社会で生きてると人間、よくあることなんだろうな、と思います。
最近はいい感じに力めなくなってきた(歳だから体力がなくて)から、”まあいっか”の範囲が広くなって、マシになってきた気はします。💦✨
そうそう「積み重ねが大事」とかっていう親になると言いがちなワードも、輪廻転生なんて度外視しているから出てくるセリフかもしれない…って。
現世だけで見れば、日々の努力の積み重ねがなきゃどうにもならないはずですが、あらゆる人の人生を垣間見るに、そんなことにはなっていない…。
魂はすでに生まれる前に体験してきていることが各々あるので、同じく生まれたとしても、ベースが同じところからではないんですよね、きっと…。
(↑これを教育現場とかで言っていると、まずい人かもしれませんが。🤭)
もっといえば、潜在下では意識は繋がっているので、そういう意味では、全員ベースは同じ、とも表現できるかもしれないのですが。🤭🤭
そうそう、生きる上での充実感という観点でいえば、教育を修めた先に、
人と同じになっても意味ないし、時代に合わせて無理に当てはまることをしても満足ってない…
だからといって、
心が充足するためにも生活レベルを保持していくためには、現世的にも活躍しなければならないわけで…
そう考えるとごちゃごちゃとどうしていいかわからなくなってしまいますが、
きっと山川夫妻レベルで起こることが起こる人にとっては、生活だって楽しめるように、天(?精霊?ユニバース?)は采配してくれるんでしょう。😃
そして、それはだれにでも起こりうる?!
サラサラと読めるエッセイなので、どんな方にもおすすめです。
紘矢さんをスピリットダンスやお話会などでお見かけする度、「おじさまらしいプライドやイカツさがないのが稀有な方だな~」と思っているわたしです。🤭
いや、ほんとうに、あの佇まいって、中年以降の男性でなかなかいらっしゃいません。ーふつうは、ちょっとしたなにかが触れるのか、おじさま方はなんてないことでも「おれをナメてんのか?!」って感じになりそうな気配感じませんか??けっこういらっしゃいます、そういう方々。笑
ー私の見方の癖ゆえでしょうかね。🤭
ー自分自身を受け入れて己のなかでゆったりとくつろいでいられているのなら、いつも軽いゆる~い感じになれるんだな、って…思います。