小室ファミリーに入ってPENICILLINのHAKUEIと結婚したかった
…というのが、私の中2の頃の夢。ああ、今でこそかわいらしいと思える夢だが、20代の時はこのことを素直に語ることが出来なかった。痛くて。
小5でアクセスという神ユニットにハマって、小6の頃カラオケボックス(懐)にみんなで遊びに行ったら歌をやたら褒められた。リンドバーグや大黒摩季の、力強いロックサウンド×女声ボーカルというのが堪らなくかっこよく思えた。中学生になったらV系と小室ファミリーの台頭に心を踊らせて、将来の夢が、タイトルのこれになっていた。
ボーイ・ミーツ・ガール、それぞれの溢れる想いにきらめきを。
当時親友から柔道部に誘われたのに「モテなさそう」という理由で断って、「イケてなくはない」と思った陸上部の幽霊部員をしながら、毎週のようにカラオケボックス(懐)に通って友達と歌った小室サウンズ。20代でツアーに回った自分のバンドの曲よりも、当時歌った90年代ヒッツの方がスラスラと歌詞が出てくるのが皮肉である。
埼玉県内でも殊更、陸の孤島みたいな北端だった。ヤンキー女子たちが髪の毛を脱色しながら暴走族とお付き合いをしているのを横目に、スポーツもできない勉強もできない、グレることもできない、半端を極めていた私は、現実に彼氏が出来ないので、脳内でPENICILLINのボーカル、HAKUEIさんと結婚することに決めたのであった。
手始めにPENICILLINの深夜ラジオのハガキ職人になった。
1通目に送ったハガキから採用され、その後数回に渡り常連で採用してもらって、ありがとうございました。本当にあの時は毎週嬉しかったです。HAKUEIさんの声が自分のRN(ラジオネーム)を呼ぶたびに胸がズキューン!となった。健気だ。
O-JIROさんが当時のオーディションブームに乗っかってシンガーをプロデュースしようとされた時に、ちゃんと作詞した上で歌を録音して応募している。本気の表れである。マジで受かると思った。
自分がスターになるイメージはいつも出来ていたのである。
「夢は叶う。まずはリアルにイメージすること!」
できていたのであるが、実力と容姿が伴わなかったのが残念です。
そんな灰色の中学生時代に一番自分が輝いた思い出は、ついに中学3年生、何かの行事で、ピアノとギターの生演奏にてル・クプルの「ひだまりの歌」を披露する機会に恵まれたことでした。
全校生徒と親御さん数百人を前に歌うことに欠片も緊張もしなかった。一つも歌詞を間違わなかった。この時改めて自分には人前で歌う才能がある、と確信してしまうのです。かわいそうにね。
あれから25年経ってもまだスターにはなれていない。未だ道半ば。自分の歌や自分の歌詞が、ガッポガッポと大金を生み出す未来には、まだ到達していない。
うーん。いつか到達したいものだよ。