しつこくボイスレコーダーのことばかり考える、日航123便墜落事故
なんともしつこくボイスレコーダーについて書き続けているのだが、何度流出テープを聞いても疑問は尽きない。ブラックボックスについて調べ始めてその疑問はさらに強くなった。
そもそもこのブラックボックスには4トラックの録音があり、①コックピット内、②機長席、③副操縦士席、④航空機関士席の各30分、つまり120分の磁気テープのデータがあるはずなのだ。さらにこれに東京ACCの記録を加えると、「5つの32分間」が存在するはずだ。
事故調査報告書には4つのトラックについての内容が書き起こされていることになっているが、なぜか機長席トラックにチーフパーサーの乗客に向けてのマスク着用についてのアナウンスが入っていたり、航空機関士と日航本社との会話の内容がやたらと聞き取りづらい箇所が存在したり不可思議な部分が幾つも存在する。
さらに2000年ごろに流出したボイスレコーダーのテープは4トラックの録音と管制ACCとの交信が入り混じったような編集がされており、巧妙に32分となるように制作されているように見える。しかし実際のコックピット内の音声は実は10分〜15分ほどしかない。
https://note.com/illuyankas/n/n631653ba573e
さらに調べてみると、報告書にはコクピット内の音声記録は全て正確に書き出されていないことがわかっている。プライバシーに関する会話のおよそ3分間は事故調のボイスレコーダーの記録には書かれていないことが新聞報道で明らかになっている。
確かに、報告書には流出テープにない記録も書かれてはいるが、その部分にはほとんど会話がないか、もしくは操縦に関する会話しか含まれていない。少なくとも最初から意図的に削られた部分が存在することで生のボイスレコーダーそのままの記録ではなく、信憑性に欠ける報告書となったことは間違いない。
https://note.com/illuyankas/n/ndf3ec7d8aff3
交信内容の前後関係から考えても流出テープにはなく、事故報告書では理由があり返答できなかったのは、
①東京ACCから「nature of emergency?」とどのような緊急事態の状況なのかと問われた後の回答。(18時27分11秒、爆発音は18時24分35秒)
②横田基地に関わる内容(18時34分24秒〜横田に関する発言が始まる)
③酸素マスクについて(18時33分54秒〜)
と考える。この部分の内容については、事故調査報告書では「操縦に必死」か「低酸素血症により返答がなかった」と推察されている部分だ。
非常に面白いことに、事故の原因に関わることや横田アプローチの詳細について、非常に重要な部分がそもそも「会話されていない」ことになっているのだ。例えば、「操縦に必死で」とは言うが、管制から緊急状況を問われた時は機体の高度は22000フィートであり、緊急降下もギアダウンも始まっていなかった。
なんなら、日航本社との交信(18時35分10秒〜)では「R5ドア ブロークン」と伝えておきながら、東京ACCにはその内容について一言も伝えられていない。もっと言えば、ハイドロプレッシャーオールロス状態(18時27分47秒)さえも報告されていないのだ。
なんならスコーク7700(非常事態)状態でありながらそれらに関する自衛隊・米軍との交信も全く行われていない。
低酸素状態で交信が不可能だった、もしくは操縦に必死で交信が不可能だったケースがいくつも存在するのかどうかを、公開もしくは流出しているCVR記録を聴き漁ってみた。
・アエロメヒコ498便空中衝突事故
1986年にロサンゼルス郊外でプライベート機と空中衝突し墜落した航空事故だ。このボイスレコーダーでは、付近で着陸準備中だったアメリカン航空MD-83から視認してもらっており、墜落場所から大きな煙が出ていることを確認している交信記録が残っている。
・アラスカ航空261便
2000年に起こった水平安定板の故障による墜落事故である。ほぼ垂直落下している最中も懸命に管制と交信をしている。ここでも管制記録の中に他の航空機からの視認情報が録音されている。
・エジプト航空990便
1999年、副操縦士の異常な操作により墜落したと結論づけられている航空事故。この事故でもレーダーから消失したのを確認するため他の航空機から問題の機体が視認できるか、他機からも無線でも呼びかけを要請する記録が残っている。
・トランスワールド航空800便墜落事故
1996年に起こった航空事故で、離陸後に電気配線がショートし燃料タンクに残留した気化ガスに引火して爆発した。これは近くを飛行中のイーストウィンド航空507便の目の前で起こっており、その状況をすぐに管制に連絡している。
他の航空機からの情報はリアルタイムに管制に届けられているようだ。
ちなみに1985年8月25日の毎日新聞には、同時刻付近に近辺を飛行していた羽田発小松行きの全日空トライスター757便(十川達男機長)機長による「ユラユラと飛行する日航機を見た」という「報告メモ」が明らかとなっている。羽田と座間のほぼ中央で東京航空交通管制部から「緊急航空機あり、高度18000フィートを維持せよ」との指示があった。「緊急機の視認ができるか」と聞かれ、18時40分〜43分に目視しているのだが、それらの内容は交信記録として公開はされていない。
・南アフリカ航空295便墜落事件
1987年に起きたインド洋モーリシャス近海で発生した貨物エリアで起きた火災による墜落事故。機内で火災が発生し緊急事態を宣言している。機内では火災発生時チェックリストの読み上げを要求する記録が残っている。123便の記録には何らかのチェックリストの確認が全くない。
・エルアル航空1862便墜落事故
1992年に起きた航空事故で、離陸から6分後に右主翼と第3エンジンを繋ぎ止めているピンが金属疲労により破断し、第3エンジンが脱落、その後第4エンジンも脱落する。スキポール空港に引き返そうとしたが異常発生から8分後に高層アパートに衝突した。緊急事態の宣言からエンジン火災の発生、スキポール空港に戻りたいとの要求、エンジン脱落の原因を逐一管制に伝えており、緊急着陸のため滑走路の確認、風の確認もしていた。
操縦が困難な状態にありながらも管制と交信し続けていたのだが、ベテランのパイロットたちが事故の原因や着陸について聞かれると急に黙りこくるなどありうるのであろうか。
・ヘリオス航空522便
2005年に起きたこの事故では、与圧システムの異常により低酸素症で操縦士が意識不明となった。離陸設定警告と機内高度警告音が全く同じ音であったため18000フィートに達した際に酸素マスクが落下していたのだがマスクを装着する前に操縦士たちは低酸素血症となっていた。飛行機の操縦経験のある客室乗務員が酸素マスクを吸いながら意識をなんとか保ちつつコクピットにたどり着いたが、燃料が切れ墜落した。F-14がスクランブル発進し、コックピットを視認し機内の状況を伝えている。機長からの交信が途絶える直前の会話はすでに低酸素症となっていたのか、管制との会話は全く噛み合ってなかったようで、管制からの質問に対して検討外れの回答をしていた。
・チュニインター1153便
2005年、燃料の給油ミスにより離陸後燃料切れとなり地中海に不時着した。着陸に備えエンジン停止の作業をチェックリストに基づいて読み上げ、手順通りに進めている。このようなチェック項目の読み上げや記載は123便の記録には全くない。
・ゴル航空1907便
2006年に起こったこの事故は、エクセルエア回送便との空中衝突により墜落した。衝突後に緊急事態を宣言し、スコーク7700をコールした。
・LOTポーランド空港5055便
1987年に起こった事故で、高度8200メートルでエンジン火災を起こし墜落した。エンジンの停止と火災が分かってからすぐに最寄りの軍用空港への着陸要請を行っている。この機体は火災発生後、昇降舵が効かない状況で40分ほど飛行を続けており、事故原因は違うが飛行を継続した点など123便の状況に似た部分も多い。この機は事故原因などを火災に対応しながら管制と交信を細かく続けていた。
どうも「操縦に必死」や「低酸素血症」だけで片付けられる交信記録の少なさではないようにしか感じられない。
インターネットへの流出
流出音声データは、2000年以降ネットでも音声ファイルとして流出した。誰かがテープをデータに変換したのであろうが、ファイルにはc123-01.wavからc123-11.wavがあり、7番目のファイルは2つに分かれており、c123-07block.wavとc123-07block2.wavがあり、8番目のファイルにはc123-08yokota.wavと別の名称がついている。さらに元々なのか、わざとなのか、この一連のwavファイルには1、10が存在しない。02は18時25分20秒から始まる。ここは機長が管制に羽田に戻りたい旨を要求したところだ。11は18時53分付近から開始する。
自衛隊射殺事件について
やや都市伝説じみているのだが、このニュースを直に見た、と言っている人が存在する。
「待機命令を無視して救助に向かおうとした隊員を射殺」NHKニュース速報にそのテロップが出たのは、事故当日の20:00とされる。「ただいま長野県警から入った情報です。現場に救助に向かった自衛隊数名が、何者かに銃撃され死傷者が数名出ている模様です。続報が入り次第お伝えします」と報道された後、2時間後誤報であるとされた。
このニュースは「火のないところに煙は立たない」なのか「根がなくても花は咲く」なのか。この手の話は考察したところで陰謀論じみた荒唐無稽な内容になってくるだけのため、「あったのか」「なかったのか」については考えないことにした。
公式記録では、防衛庁の捜索開始は日航123便の機影がレーダーから消えた12日の夜18時57分からわずか4分後であった。19時01分にはF-4ファントム2機が松永貞昭空将の指示で茨城県百里基地を離陸し、捜索に向かっている。その後も19時30分ごろ航空自衛隊は、運輸省に対して「早く出動要請を出してほしい」と申し入れている。それでも運輸省が要請を出さないために、19時54分に百里基地救難隊のヘリコプターV-107型機を「見切り発進」させている。運輸省は20時33分になって初めて航空自衛隊に対してだけ出動要請を行っている。
陸上自衛隊も20時には、群馬県相馬原の第12師団偵察隊と長野県松本の第12師団、第13師団普通科連隊の情報小隊の一部が出動態勢を維持して待機、出動要請を待っていた。東京空港事務所長は21時30分、陸上自衛隊東部方面総監に災害派遣をやっと要請している。
公式記録はそのようになっているのだが、群馬県上野村立上野小学校の在校生148名による文集「小さな目は見た」や、上野村立上野中学校在校生87名による文集「かんな川5」には低空飛行のJAL123便を追尾するファントムの目撃情報は沢山寄せられている。
長野県警からの情報のため、長野県に待機していたのは第12師団と第13師団普通科連隊の情報小隊で、その中の誰かが撃たれたことになる。しかし災害派遣で銃は携行しないだろうし、例え命令違反といえども射殺などしないだろう。この報道については充分なファクトチェックをしないままデマゴギーを垂れ流した可能性が高い。
これら以上から、実在するボイスレコーダーは以下の3つに分かれているのではないかと私は推察している。
①生のボイスレコーダーデータ
総時間32分×4本の音声データ。
②事故調査委員会が載せたデータ
3分間のプライバシーに関わる部分はカットされており、おそらく事故状況、横田基地に関わる音声が秘匿されたデータ。
③メディアに流出したデータ
10分ほどのコクピット内部のデータと、ACC管制のデータと、機関士側のデータを継ぎはぎし30分にした編集データ。
単純な疑問だ。
なぜ流出したデータ、事故調査報告書のデータには、
事故機の原因状況についてと、
横田基地へのアプローチに関わるやりとりがないのだろうか。
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