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狭山事件の当日の被害者の動きだけを考える

 1963年5月1日、水曜日。この日は被害者の16歳の誕生日であった。
 この日の日記には「私の誕生日、うれしい」と書かれており、おそらく前日の夜かもしくは朝に書いたものだろうと言われている。当日の朝に姉が赤飯を炊いて妹の誕生日を祝った。その後、自宅を出て自転車で30分かけて(学校まで約5キロ)川越高校入間川分校に登校した。この日は高校生活18日目であった。登校前に学校近くにある狭山郵便局に寄り、クラス全員で購入する東京オリンピック記念切手の予約を行っている(ホームルーム長だったため)。被害者は担任から受け取った立替金の1400円を支払ったが、窓口が混雑しており「予約受取領収書」をなかなか受け取ることができなかった。郵便局員に「午後に改めて来てくれれば、その時に出す」と言われ学校に登校した。
 授業開始は9時から、授業は全て5分休みを挟む45分授業だった。
 1時間目はペン習字。
 2時間目〜4時間目調理実習でカレーライス(玉ねぎ、人参、ジャガイモ、肉、福神漬け)を作る。
 5時間目音楽。
 6時間目英語。

 15時23分「さようなら」といって教室を出たとされる。
①級友Aの証言:15時24分の電車に乗ろうと思って時計を見た時間が15時23分であった。級友Aは15時40分に学校を出て、15時54分の電車に乗った際に雨には降られなかった。
②級友Bの証言:授業が終わってちょっと卓球をして遊んでいたが、しばらくして教室に戻った。15時半ごろ、卓球をやめて廊下にいた頃、被害者は「さようなら」と言って帰っていた。その時は少し雨が降っていたような気がする。被害者は傘を持っていないから早く帰ると言っていた。「郵便局に寄って行かなくちゃ」と言っていた。自分は16時ごろ学校を出て16時30分ごろ自宅に帰ったが、途中雨に合わなかった。
③級友C:6時限目の授業が終わると少し運動についての話があり、それが15時ごろ終わり、さらにトレシャツの配給が済んでから被害者は誰に言うともなく「今日は早く帰る」と言い、カバンの中の本などを全部机の上に出し整理し直してカバンに入れて帰った。
④担任教諭:この日生徒から預かっている金を銀行に預金に行く予定だったものの、時計を見たところ14時58分だったため、被害者との会話のあと、「銀行が閉まる15時にはもう2分しかないから、また明日の話にしましょう」と言ったことを記憶している。
⑤級友D:被害者は休み時間に「今日は誕生日だから早く帰りたい」というようなことを言っていた。授業が終わると教室を一番最初に出て行き、それっきり戻ってこなかった。
⑥級友E:被害者は「誕生日だから早く帰って、自分で料理を作って家族と食べる」と言うようなことを話していた。授業が終わるとすぐに帰った。
⑦中学校の担任教諭:15時前後に第二ガード前を通りがかったところ、思いがけず被害者がガードに向かって左側の端に一人で立っていた。自転車から降りて被害者に近寄り、「こんなところで何をしているんだ」と声をかけたが返事をはっきりせず、答えをためらっている感じだった。はにかんで、足で石をつつくような仕草をしていた。それは雨宿りという感じではなかった。いつもなら、向こうから見つけて「あら、先生」などと声をかけてくれるような子だったのだが、その日に限って下を向いていた。そのため、約束や人を待っているとか例えばそういう約束でもあったのかなという風に感じた。通学路でもないところで、誰かを待っている感じの普段とは全く違っていた被害者の様子が意外に思われ、強く印象に残っている。(この証言に関しては、日付が違うのではないかという話もある)
⑧市内に住む中学3年生:14時から15時までの間、俯き加減で自転車に乗っている被害者とすれ違った。

 15時30分ごろ 被害者は自転車で学校に近い狭山郵便局に寄り、オリンピックの記念切手の予約領収書を受け取る。
 15時30分以降 駅前の小沢毛糸店で針刺しを購入した。遺体発見時のポケットに新しい針刺しが入っており、店員も女学生に売ったと供述があるが被害者だったかどうかは定かではない。

 その後被害者は、自転車で3分ほどの距離のところにある東中へと向かい、バックネットそばに自転車を停め、東中対西中の野球決勝戦をわずかながら観戦していたことが確認されており、15時40分に試合が終わると被害者はいなくなったことが生徒二人によって証言されている。なお、雨は16時過ぎから強くなってきたようである。
 そして最後の目撃証言とされている第一ガードでの主婦の目撃情報である。農家の主婦は、雨が次第にふり始めたため作業を中止し自宅に戻る途中で近くの「荒神様(三柱神社)」の祭りの露天を見た後、被害者を見たとされる。ただし、この証言がどの時刻のものかははっきりしていない。
「ガードの下には、どこの人かわかりませんが、紺色の新しい学生服を着た、丸顔でふっくりした顔のおかっぱ姿の白いソックスをはいた、草色の婦人車で前にビニールのカゴのついた自転車を、ハンドルを持って立っている女の子がいたのです。その女の子は、ガードの壁にくっつくような格好で荒神様の方を向いていましたが、自転車の荷台には色は記憶にありませんがカバンをつけていたようでした。私はその姿を見て、長女が六年生ですが、高校でも行くようになったら、この人のように新しい自転車や学生服を買ってやらなければならないのか、大変だなと思いながら、ジロジロと見ながら通ったものですから、その人は少し顔をそむけましたが、私はその格好からして、雨具も持っていないし、頭にも何ものせていず、服や顔などが大しても濡れていないし、自転車で走ってきて雨宿りをしているのなら頭や顔をハンカチか何かでふくのが普通ですが、そんなこともしていなかったところからして、誰か知り合いの人でも待っているのかなというような感じでありました」(公判記録より)

 この後19時40分ごろ、脅迫状が被害者宅玄関に挟まれる。犯人は16時時ごろに拉致に成功したのならば、およそ3時間ほどで脅迫状を出しに行ったことになる。

学校周辺の位置関係

 ただし、目撃情報というものは実はかなり怪しい部分があることが科学的に証明されている。それは「事後情報効果」と呼ばれており、認知心理学者のエリザベス・ロフタス博士によると、「目撃から証言までの間で見聞きした情報(噂話やニュースなど)によってオリジナルの記憶がその内容に沿って変容してしまうこと」とされている。残念ながら、目撃者の証言はそれほど全てを信頼できるものではないということだ。
 15時30分以降の目撃情報が「人を待っていた」という印象操作を与えた可能性はある。胃の中に食事の形跡が残されていたため「どこかで待ち合わせをして食事に行った」というストーリーは興味を刺激しやすい。この証言の全てが事後情報効果やバイアスによるものかはわからないが、この文章を読んだだけでは「ガード下で誰かを待っていた」とは言い切れず、「第一ガード下から第二ガード下を移動しつつ待ち合わせ」も釈然とせず、単純に下校中を襲われた可能性もあるのだ。
 この後19時40分ごろ、脅迫状が被害者宅玄関に挟まれる。犯人は16時時ごろに拉致もしくは誘拐に成功したのならば、およそ3時間ほどで脅迫状を出しに行ったことになる。3時間の間に拉致、脅迫状の準備、搬送を行ったことになるのだが、その間に誰かと歩いている被害者を誰も目撃した情報がない。近くでは荒神様の祭りがあったにも関わらずだ。
 さらに待ち合わせをしてようが、拉致されていようが、犯人は被害者の自転車を使って脅迫状を届けに行っている。つまり犯行現場まで自転車を移動させなければいけないのだが、そこから脅迫状を出すまでに被害者は生きていたならば縛られたままそこに放置して来ないといけない。死んでいたとしたらかなり被害者のスケジュールは忙しく、頭をぶつけて性交してトマトを食べてなければいけない。単独犯では難しい。

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