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「分けてないし、禿げてない。目撃証言について」飯塚事件(2)

 記憶には実際に起きたことと、起きたことに対する自分の解釈の両方がまじりあう。(中略)私たちは何かを知覚すると、自分が見たり、聞いたり、嗅いだりしたものから意味を引き出す、だが、すべての情報をデータ化して取り込むわけではない。(中略)同様に記憶も、自分が感じ取ったすべてをたくわえるわけではなく、目や耳が捉えたものを取り込んだあと、それをすでに自分が知っているものと関連づけるのだ。

「錯覚の科学」クリストファー・チャブリス、ダニエル・シモンズ著 文芸春秋 2011年

 まずは、女児の目撃情報について妄想したい。

 被害者のA子とB子は2人とも7歳で、飯塚市立潤野小学校1年に在学していた。
 A子は、黄色のジャンパーを着て赤色ランドセルを背負い、午前7時40分ごろ、同級生のC子と一緒に、B子宅までB子を呼びに行き、3人で学校に登校し始めたが、午前8時ごろになってもぐずぐずしB子が「学校に行きたくない」と言い家から離れず、C子が二人を置いて先に登校した。B子宅から小学校までの通学路は距離にして1420メートル、所要時間は子供の足で20分から25分程度である。

 登校時の女児の目撃証言はいくつかあり、出勤中の人や近くで作業をしていた複数の人により目撃されている。
 ①8時8分ごろ、B子宅近くの道端で女児がしゃがみこんでいるのが目撃されている(会社員Z田さん:A子の知人)
 ②8時22分ごろ、通学路ルートをB子宅から575メートル進んだところにある平原バス停付近をいかにも学校に行きたくないと言った表情で女児2名がとぼとぼ歩いているところが目撃されている(X川さん:A子の知人)
 ③8時30分ごろ、B子宅から通学路を937メートル進んだ地点の三叉路付近で女児2名が目撃されている(E山さん:後述)
 しかし、
 ①その数分後(8時33分ごろ)三叉路を通った時は目撃されていない(F田さん:後述)
 ②8時45分ごろ、通学路と同じルートを車で通り、用事を済ませて更に8時55分ごろ同じ道路を通った時は目撃されていない(A子の母)
 その後、B子が登校していないことを聞いた潤野小学校図書館司書補助員のD子さん(B子と顔見知りだった)は、8時50分ごろ女児を探すため車で通学路ルートを逆行し、バス停付近の北方向にある商店で折り返し小学校に8時56分ごろ戻ったが、女児を発見できなかった。
 この三叉路では何人かの重要とされる目撃証言がある。

E山さん
 飯塚市農協潤野支店に勤務しており、2月20日午前8時30分ごろ、通勤のため(スズキセルボモード)三叉路を通過した際2人組の小学生を見かけた。2人の横を通過するときに3台の車が駐車されていたのを目撃しており、ボンゴ車と乗用車1台が停まっていたということである。髪がボサボサの作業員風に見える40代の男が運転するボンゴ車と離合したことを記憶している。

F田さん
 飯塚市農協潤野支店に勤務しており、午前8時33分ごろ出勤(ホンダトゥデイ)した。三叉路先には自動車が3台並んで停まっており、2台目のボンゴ車の運転席には男が乗っていた。2人組の女児は見ていない。

G田さん
 建設業の手伝いをしており、午前8時30分ごろ、三叉路付近までユニック車を借りに行った。付近で車(灰色トヨタタウンエース)を停め、三叉路方向に歩きかけた時に後方から右横をかなりの速度を出してワゴン車が潤野小学校方向に走っていった。道幅が狭かったので出鱈目な運転だと思った。
 ワゴン車はマツダのワンボックスタイプで、マツダ独特の青みがかかった黒っぽい色だった。リアウィンドーには黒っぽいフィルムが貼ってあった。

H山さん
 付近の民家の造園工事をするため、8時20分ごろ三叉路付近に車(三菱デリカワゴン)を停めて工事を行なっていた。低学年の女の子が1人半べそをかきながら小走りに走っていったのを見た。G田から三叉路付近で車に引かれそうになったと言われたので見ると、ワゴン車が急いで走り去っていくのが見えた。
 走り去った車はマツダのワンボックスタイプで、色はマツダ独特の濃紺色、サイドモールがあり、後輪がダブルタイヤであった。サイドウィンドーにはマツダ純正と思われるベージュの色褪せたカーテンが付いており、リアウィンドーは黒っぽかったのでフィルムが貼ってあると思った。

 G田さんは「目撃したその車両に接触されそうになったという強い心理的緊張、強烈な体験を伴った記憶として、その車両についての具体的な記憶を保持している」こと、及び「H山さんは、車のことについての知識が特に豊富であって、車両の特徴などからその車種を識別することには人一倍たけていることが認められる」ことからこの2名の証言は信用できるものとされた。
 問題の三叉路での重要な目撃証言と、もう一つ失踪当日の目撃証言は特に重要視された。このD山さんの目撃証言は、裁判において久間元死刑囚の犯行であることを伺わせる情報として提示され、この目撃情報が犯人の車両であると考えられている。

D山さん
 事件当時、D山さんは福岡県甘木市森林組合に勤務し、甘木市内の山林所有者から委託を受けた作業の現場監督や写真撮影等の業務をしていた。
 2月20日11時ごろ、甘木市大字野鳥字大休の現場から軽トラックを運転して国道322号線を通り八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前約200メートル付近の反対車線の道路上に紺色ワンボックスタイプの自動車が停車しており、その助手席横付近の路肩から車の前の方に中年男性が歩いてくるのを発見した。

至朝倉市から至飯塚市までは登りである
目撃情報の状況

 その瞬間、男は路肩で足を滑らせた様に前のめりに倒れて両手を前についた。「何をしているのだろう、変だな」という気持ちで、停車している車の方を見ながらその横を通り過ぎ、更に振り返って見たところ、車の前に出ようとしていたはずの男が車の左後ろ付近の路肩で道路側に背を向けて立っているのが見えた。

 男は30〜40代の中年ぐらいで、カッターシャツに毛糸のような茶色のベストを着ており、髪の毛は長めで分けており前の方が禿げている様だった。
 停車していた自動車は、紺色ワンボックスタイプで、後輪は前輪よりも小さく、ダブルタイヤだった。後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲は黒かった。
 証言の詳細はやや曖昧なところもあり「リアウィンドー及びサイドリアウィンドーには色付きのフィルムが貼ってあった。車体の横の部分にカラーのラインはなかったが、サイドモールはあったように思う。ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた」と証言している。

妄想と考察
 まず、三叉路の目撃証言と八丁峠の目撃証言だけが一人歩きしているように見えるが、誘拐直後はさまざまな目撃情報が寄せられていたことがわかっている。
 ①午後1時半ごろ、学校から東へ2.5km飯塚市本町商店街の書店で店員が見た(書店の2人の女児は別の女児の可能性があるとされた)
 ②午後2時ごろ、書店から約20メートル離れたおもちゃ屋でランドセルを背負った二人がキリンのぬいぐるみを手に取って「私も同じものを持っていると話している」のを聞いた(確かに女児の1人はキリンのぬいぐるみを持っていた)
 ③(2人の自宅は学校から約1.5kmの新興住宅地で)午前9時ごろ学校と反対側に向かうのを近所の住民が目撃した。
 ④午前9時半ごろ通学路から外れた県道で学校と反対側に歩いているのを農協女性職員が目撃した。
 ⑤午後19時半ごろ、女児2人が中年の男と話しているのをタクシー運転手が目撃している。
 ⑥午後18時半から19時ごろ、高校1年生の男子生徒が、高校正門側の小川にかかる橋のたもとに佇んでいる女子児童を見かける。遅くまで遊んでいる、と思い家に帰るとニュースで女児が不明と知り慌てて戻るが女児はいなかった。
 ⑦穂波町若菜小学校の校区内で午前8時半ごろ、黒色乗用車に乗った女児二人を叱りつける中年男性を女性が目撃している。

 目撃証言というのは実に難しく、これら目撃された女児が殺害された女児なのかは確かめる術もない。しかし、商店街で目撃されていた証言が事実であれば、検察側の主張する通学路で攫われたとする仮説ははなっから無効となる。新聞発表では、書店もしくは玩具店で警察犬の匂い反応があったという情報もあった。
 さらに、近辺では不審者の情報も寄せられていた。
 ①4月7日、飯塚市川島の県道で私立立岩小学校の3年生女児が白いワゴン車に乗る40〜50歳代の黒いジャンパーに濃いサングラスをかけた男性に「飯塚病院はどこか」と尋ねられ、手を引いて強引に助手席に乗せられそうになった。
 ②潤野小学校周辺では、1991年秋ごろから不審な白い車がたびたび目撃されている。
 ③潤野小学校から南東へ800メートルの穂波町の町道交差点付近で誘拐された日の午後16時ごろ、自営業の男性(39)が自動販売機で缶コーヒー買ってを飲んでいると、白のハッチバック式小型車の後部座席に小学校1年生ぐらいの女児が床にひざまづき座席に手をついた不自然な格好で、身を隠すように後ろ向きにうずくまっていた。目を見開き怯えていたように見えたそうだ。
 これらの不審者が本当に事件に関わったのかも当然不明だ。
 捜査本部は誘拐現場を当初「潤野小の北側の校門の近く」と発表し、誘拐されたかどうかも懐疑的であった。「病気をしたB子ちゃんの母親を心配し病院に探しに行ったのではないか」とも推察され、家出や迷子の類と捉えられていた節もあった。
 不審者であるが、小学校の周辺で変な奴が目撃されたりするのはどこでもよくある話で、これらの情報が直接的に犯人に結びつくかどうかは「わからない」としか言いようがない。ニュースや風説などを見聞きした後であれば、バイアスがかかり全く関係のない情報もそうであるかのように思えてしまう。これらの情報が真犯人にどこまで近いかどうかも不明だ。

 公判で重要視された通学路での目撃証言については、女児が午前8時30分ごろ三叉路付近を登校しているところを農協職員のE山さんが目撃したあと、3分後に同じ農協職員のF田さんは女児を目撃しておらず、わずか3分間ほどの間に2人の女児が攫われたと考えられている。流石に3分はあまりに短時間すぎるが、おおよそ午前8時30分に犯行が行われたとされている。
 この証言内容が全て事実であり、走り去った紺色ボンゴ車が犯人の車両だと仮定すれば、三叉路付近で8時30分ごろに拉致されたとする仮説に確かに矛盾はない。
 考えてみれば登校が終わった時間帯の死角は多いだろう。あの三叉路も生活道路であり登校や通勤が終われば人気がなくなる。1人きりではないにしろ、2人「だけ」で登校している小1女児なんて、常々子供を攫う準備段階にある変態モレスターからすると素晴らしいターゲット以外の何者でもない。
 ただし、2人を拐かすのは大変だ。1人よりコントロールが難しく、注意を怠るともう1人に逃げられる可能性もある。おそらく暴力的に脅すしかないだろう。
 顔見知りの犯行説も考えられるが、それならば近辺に住んでいる者の可能性が高く、近隣で頻回に不審者として目撃されているはずだ。人間はよく見かけるものを好きになりやすいからだ。しかし、なぜこの三叉路が最も怪しいとなったのだろう。目撃された時間からというよりは走り去ったボンゴ車にどうしても注意が向く。
 確かに、裁判資料には「ボンゴ車」がもうサブリミナル効果並みに連続コンボを打ってくる。これではもうボンゴ車が犯人の車にしか思えなくなってくる。
 この「ボンゴ」とは1966年からマツダが販売するキャブオーバー(運転席の下にエンジンがある)スタイルのワンボックスカーやトラックを指す言葉で、初代ボンゴは小型ワンボックスバンとしてはベストセラーだった。そのため巷ではワンボックスカーを「ボンゴ車」「ボンゴ型」と呼ぶほどであり、2016年のマイナーチェンジまではダブルタイヤを設定している。この名称はアフリカに生息するカモシカに似た動物「ボンゴ」に由来する。
 どうやら「ボンゴ」はマツダの固有車両を指すのではなく、他メーカーのワンボックスタイプのバンも混同して呼んでいたようだ。その証拠に、E山さんもF田さんも駐車していた三菱デリカワゴンやトヨタタウンエースのことを「ボンゴ車」と呼んでおり、非常に紛らわしい。
 確かに、狭い道を猛スピードで走り抜けた紺色ボンゴ車はとてつもなく怪しく見える。さらに、遺留品発見現場にいたのも紺色ボンゴ車だった。だが、この紺色ボンゴ車は怪しいだけで犯人の車かどうかなんかわからない。
 
なんなら、1983年のモデルチェンジから事件まで6回のモデルチェンジをしている3代目マツダ・ボンゴには「ユーノスカーゴワゴン」や「ボンゴブローニイ」などの多種のモデルが存在する。

これは紺のユーノスカーゴワゴン
これは紺のボンゴブローニイ
これは紺のボンゴワゴン

 ということは、当時結構な台数のマツダのワゴン車が巷には存在していただろう。そう考えると「紺色のマツダのワゴン車」という情報だけでよく久間元死刑囚に辿り着いたものだ。熊取町女児誘拐事件では、時代遅れのクラウンを血眼になって探し続けているのに、未だ辿り着けていない。福岡県警は一体どんなマジックを使ったのだろうか。
 ただし、近年になってこの目撃証言の信用性はかなり揺らいでいる。2023年11月に弁護団による再審請求に対する裁判所、検察との非公開の審理では、事件当日、最後に女児たちを見たとする女性の証人尋問を行ったことを明らかにしている。この女性はE山さんのことだ。
 彼女は、公判では女子児童2人を最後に目撃した人物とされているが、尋問で当時の供述が警察官の誘導で作成され、記憶に反する証言をしたと訴えている。
 彼女が女児2人を見たのは前の日で、警察官には「それでは整合性が取れない」と押し切られ、調書にサインしたと主張している。
 これに対して検察は「(死刑になった結果に対する)自責の念から供述を否定しているのではないか」という趣旨の発言があった。言いがかりの上に意味が全くわからない。赤の他人が死刑になったことに申し訳ないと思ったとしても、本当に有罪か無罪かわからないのにそんな面倒くさいことを今更言い出さない。
 これが本当なら、そもそもC子以外の女児は三叉路では見かけられていない。もっと言えば、全く無関係な紺色のボンゴ車がただ走り去っただけなのかもしれない。
 この女性の主張が真実であれば、女児は商店街に向かった可能性もある上に、最後の目撃は8時22分ごろで、平原バス停が最後となる。

 この「紺色ボンゴ車」が犯人の車両と推測されることを決定的に印象付けたのはD山証言だ。三叉路で目撃された車と同じ特徴を持つ車が八丁峠で停車しており、普段車通りの少ない山中で、何かを終えたように斜面から中年男性が出てくる。しかも、目撃場所は遺留品発見現場が目前であった。
 この紺色ボンゴ車は以後「ものすごく怪しい車両」として扱われる。そして、この証言の中にある他にはない特徴、車には「カラーのラインはなかった」という証言により、ラインの入っていない紺色ボンゴ車を捜索した結果、久間氏に辿り着いたとされている。
 しかし、D山証言はその内容があまりに詳細すぎて弁護側からはその信用性が疑われている。確かに、恐ろしく細かい。細かいのだが、その内容全てが久間元死刑囚に当てはまってはいない。なぜだかD山証言の全てが採用されていないのだ。車の情報は超重要視されたにも関わらずだ、人物の情報は正気を疑うレベルで無視されている。
 D山証言の内容は箇条書きするとこうだ。
 ①男は路肩で足を滑らせた様に前のめりに倒れて両手を前についた。
 ②男は30〜40代の中年
 ③カッターシャツに毛糸のような茶色のベストを着ていた。
 ④髪の毛は長めで分けており前の方が禿げている様だった。
 ⑤紺色ワンボックスタイプ。
 ⑥後輪は前輪よりも小さかった。
 ⑦ダブルタイヤ。
 ⑧後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲は黒かった。
 ⑨リアウィンドー及びサイドリアウィンドーには色付きのフィルムが貼ってあった。
 ⑩車体の横の部分にカラーのラインはなかった。
 ⑪サイドモールはあったように思う。
 ⑫ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた。
 これだけの犯人に繋がる貴重な詳細情報を得ているのに、なぜだか人物に関する内容は見間違いの範疇だとあっさり片付けられている。
 車にカラーラインが入っていたかいなかったかはビックリするぐらい重要視され、乗っていた人物が禿げていたことはビックリするぐらい無視された。
この中で、久間元死刑囚に当てはまるのは、
 ・マツダの車
 ・ダブルタイヤ
 ・後輪は前輪よりも小さい
 ・リアウィンドーにフィルム
 ・紺色ワンボックス
 ・カラーのラインがない
 という点で、12点満点中5点。正解率で言うと41.6%だ。これがテストなら再試験のレベルだ。もっと言えば、カラーのライン以外で言うと、紺のマツダのボンゴ車の特徴を述べただけに過ぎない。

白のプリウスを探せ!見たのはアフリカ系の人だけど白人かもしれない!

 無視された「髪の毛は長めで分けており、前頭部が禿げていた」という話だが、久間氏は角刈りで、前頭部が禿げていたとは言えず、かなり人物の外観が違う。

禿げてない
これは禿げ方の分類

 これを如何にして禿げていると見做すのだろうか。どう見ても「分けてないし、禿げてない」

分けてもない

 何度でも言うが、これだけ車の特徴を詳しく覚えており、それが久間元死刑囚の車両の外観と酷似しているとされながらも、人物の特徴がまるっきり無視されている点が不思議でならない。
 この不思議な錯覚現象に対して裁判資料には以下のように書かれている。
 「男が前のめりに倒れる瞬間前の方が禿げていたという点に、額の生え際部分のことではなく前頭部を指しているもの。久間元死刑囚は犯行当時円形脱毛症に罹患、頭頂部が脱毛していた。前頭部か頭頂部かの違いにすぎず、前のめりの一瞬であるため、矛盾するとは言えない」ということだ。
 禿げている人に物凄く失礼な内容だ。前頭部か頭頂部かはさしたる問題ではないらしく、急に適当にあしらわれた。

「鶏冠の位置も形も違うけど、なんせ一瞬だから見間違うし、同じ鳥だからいいよね」

 なお、弁護側は異常に詳しいD山証言について、厳島第一実験を提出している。

久間氏の所持していた車

 この実験は、被験者に停止車両の横を運転しながら通り過ぎてもらい、その際に目撃した事実について、1週間後に記憶の再現をしてもらうというものである。45人の被検者の中で、D山さんのように車の特徴を詳細に記憶できた人は1人もいなかった。これに対し、控訴審判決では、この厳島教授の実験に対して、
 ・目撃した季節が違う。
 ・ダブルタイヤの車ではなく後輪がダブルタイヤに見えるように2本目のタイヤを後輪の内側に並べた車を用いており、形状が違う。
 という点を指摘して、この実験結果は信用できないとした。ただの屁理屈の言いがかりだ。
 そこで再審請求では厳島第二次実験を実施した。控訴審判決が指摘していた条件を踏まえ、季節と車種(後輪ダブルタイヤのマツダボンゴ車)をD山証言に合致させた実験を再度実施した。
 さらに、30人の被験者による第二次実験にあたっては、 実際よりも記憶獲得に有利な条件設定を行うなどの工夫をして実施したが、それでもD山さんのような詳細な記憶を再現できた人は1人もいなかった。
 この実験結果はD山証言に他の記憶の起源があることを示唆していた。これらは警察官の誘導により植え付けられた記憶ではないかということだ。確かに、目撃者の証言内容が質問の内容により変化を及ぼすということはすでに心理学の実験で証明されている。
 1974年にエリザベス・ロフタスという目撃記憶に関わる有名な心理学者が行った実験がある。数十人の大学生に車の衝突事故の映像を見せ、大学生を5つのグループに分けて、事故の状況について質問を行うのだが、グループ毎に質問の表現を変える。
 あるグループには「車が衝突したとき、どのくらいの速度で走っていましたか」と尋ね、他のグループには、「車が激突したとき〜」と内容を変えて質問すると、まったく同じ映像を見ているにも関わらず、車のスピードに対する回答は少しずつ異なった。
 さらに、「車の窓ガラスは壊れたか」という質問をすると、「激突した」という表現の質問をしたグループの中で「イエス」という回答が目立って多くなる。実際の映像では窓ガラスは壊れていないのだが、「激突」という言葉に影響され、記憶が作り替えられたということだ。質問の表現に何らかの影響を受けて、記憶が歪んだのだ。この心理効果は「事後情報効果」と呼ばれる。
 また、D山証言の中に「目撃した車のボディにはセンターラインがなかった」という供述がある。 このように否定する形での記憶というのは、人間にとって記憶喚起が非常に困難な情報である。 確かに、何かを思い出し語るときは、ないものをわざわざ語らない。マツダウェストコーストである前提で供述したのか、マツダのボンゴ車全種類に全てサイドシールが貼ってあったのか、当時マツダウェストコーストのサイドシールを剥がすことは物凄く目立つ事柄だったのか、という事になる。
 さらに、弁護側は名古屋大学の北神准教授と厳島第三次実験を行っている。これは、ネイチャーに掲載された論文(Land & Lee, 1994)に書かれていた「タンジェント・ポイント・モデル」に着想を得ている。
 これは心理学の論文ではなく、運転に関する論文で、「人の視線は左に曲がるカーブを運転する場合、その道路の左端の端点を追いかけるように見続ける」という人間の生理的現象が起こることが研究の結果わかっている。
 このモデルに従えば、反対車線に止まっている車を供述のように、(供述では「前から、横から、後ろから、ずっと見ながら」運転していたと述べている)観察し続けることは人間は生理学的にできないという事だ。
 実験は9名の運転者(うち4人はプロのドライバー)で、実験を行った。 ナック社製のアイカメラを運転手に装着し、目撃者と同じルートを運転してもらい、眼球運動を解析した。実験の結果、車を見ることのできる時間は1秒程度であり、それがどのような対象物(車であること、その形状、その色彩など)かは視認できるものの、それ以上の詳細になるとほとんど認識不可能であることが明らかになっている。
 さらに詳細な分析から、車の部分のどこを見るのかも明らかになった。車輪を見る時間は右前輪は平均0.11秒間、右後輪は平均0.12秒間であり、この速さではもはや詳細な情報など知覚できない水準であった。
 視覚の心理学研究に従事しているマサチューセッツ工科大学のメアリー・ ポッター教授は「対象が何であるか(例えば車、人など)は短時間で同定可能である。しかし、短時間の同定は、記憶からすぐに消えてしまうことが明らかになっている」と述べており、「0.2秒や0.3秒の一瞥では、あまりにも短すぎて、 のちにそれが何か想起できない 」との結果を出している。本人が思っている以上に瞬間的な視覚情報は記憶として残るほど「見れていない」のだ。
 さらに、アメリカ心理学会が持っている法と心理の部会「Law and Human Behavior」という専門雑誌に掲載されたラットナー法学学者の研究によれば、誤判の原因で最も多かったのは目撃者の識別で、分析した結果205件中100件で誤っていたことがわかっている。
 他にも1996年の「National Institute of Justice」というアメリカの国立司法研究所から出された冤罪についての報告書によれば、DNA分析を用いて28件の事件で受刑者が無罪放免とされた事件においてその28件にさらに12件を加えて分析したところ、40件のうちの約90%に相当する36件で目撃供述が誤っていたことがわかった。
 アメリカでは冤罪を晴らすためのイノセンス・プロジェクトが1992年から立ち上げられているが、現在までに362名が冤罪だった報告がされている。そのうち約70%が、誤った目撃供述、識別が関与していたことが判明している。
 つまりは何が言いたのかというと、目撃証言の詳細は思った以上に信用ならないということだ。車のラインが実は記憶に残っていなかったという可能性も十分にある。
 私が目撃証言に関して、否定的な確証バイアスを持って、否定的な科学的根拠を集めたのではないかと言われればそうかもしれないが、全てに信頼がおける情報ではないこともまた事実であるはずだ。普段から仕事でこの峠を通っていたD山さんだからこそ、珍しい時間帯に停車していたこの車が、印象に強く残ったことを差し引いても、詳細を覚えすぎなように感じる。
 実は3月2日にD山さんが警察に証言した時には「紺色ワゴン車を見かけた」という程度のものだった。その内容は供述を繰り返すたびなのか、質問に答えるたびなのか、どんどん詳しくなっていく。

 この証言により、紺色ボンゴ車が重要な車両として捜査機関は捜索を始めたとされる。
 検察は確定審において「遺留品発見現場付近で不審な車と人を見たというD山証言から、その車の特徴が紺色のワンボックスカーで、後輪がダブルタイヤで、トヨタやニッサンではない、ボディにラインの入っていない車という情報を得て捜査を進めていたら、飯塚市内を走行している久間さんの車を発見した」という報告書を、書証として提出している。刑事ドラマのようなドラマティックな演出があったように見えたが、実はこれは虚偽の報告であった。

ところが、このようなTさんの証言を基に被疑者を久間さんに絞り込んだという話も、これまた大ウソだったのです。
 飯塚市内を走行中の久間さんの車を発見したという時よりも前である3月7日、飯塚市周辺に住む数十万人の中から、何故か久間さんだけを選び出して、久間さんの車だけを現認しに行って、その時、獲得した情報を含んだ員面調書を、2日後の3月9日に作成していたのです。

「再審と科学鑑定 鑑定で『不可知論』は克服できる」矢澤曻治編 日本評論社 2014年

 3月9日にD山さんから証言を聞く2日前の3月7日になぜか警察官が久間氏の自宅に出向いており、車のボディにラインが入ってないことを現認したという記録が発見された。なお、久間氏の車を発見したとしたのは「公式には」3月11日である。
 公式発見前に福岡県警は、3月7日の時点で飯塚市周辺に住む数十万人の中から久間氏をピンポイントでピックアップし、すでに車両を確認していた訳だ。3月7日が事実なのに3月11日としたのは明らかに虚偽だ。虚偽には意図(目的)がある。
 おそらく、彼はすでに疑われていたのだ。なぜなら、この事件の3年前に同じように小学1年生女児が行方不明になっており、その女児が最後に会ったとされたのが久間氏だったからだ。
 捜査機関はその時の関係者を照会したのだろう。その久間氏が今回の事件当時乗っていた車がマツダの紺色ボンゴ車だった。それを見た捜査関係者はさぞ鳥肌が立ったことだろう「こいつだ」と。過去に行方不明になった少女に最後に会った人間が、新たな失踪事件で何度も目撃された挙動の怪しい車と全く同じ外観を持つ車に乗っていたからだ。
 果たして、紺色ボンゴ車は犯行に関わった車なのだろうか、それとも全く関係のない偶然の一致だったのか。それとも、久間氏が犯人であり怪しんだ通りだったのか。
 だが、虚偽はあった。虚偽を発生させるのは整合性の合わない何かがあるからだ。少なくとも、捜査機関は久間氏の車をフライングで見に行ったことは隠したかったらしい。
 私はここで、確証バイアスを思い出した。確証バイアスは自分が持っている仮説を検証する際に、それを支持する情報ばかりを集めてしまい、反証する情報を無視したり、集めようとしなくなる脳の癖のことだ。この癖は非常に強力で、自覚しない先入観を植え付け、公平な選択の機会を奪う。

 しかもバイアス誘発状況は、分析官の最終判断(一致、不一致、不明)だけに影響をおよぼすわけではなかった。なんと、見たものをどう解釈するかだけでなく、何を見るかにも影響を与えるのである。ドロールらは先ほどとは別の実験で、バイアスを誘発しやすい状況に置かれた分析官は、そうした状況にないときと比べ、文字通り同じものを見ないことに気づいた。

「NOISE 組織はなぜ判断を誤るのか? 下」ダニエル・カーネマン、オリヴィエ・シボニー、キャス・R・サンスティーン著 早川書房 2021年

 強力なバイアスが発生したのであれば、観測できる事実全てから犯人を探すという捜査から、久間氏がいかに犯人であるかの証拠集めに捜査は変質したはずだ。

 これらの情報を全て整理しどう考えても、
 ①目撃されたマツダのワゴン車(ボンゴ車)が全て同じ車だとは限らない。
 ②八丁峠に停まっていた車が犯人のものであるかどうかは不明である。
 という点は事実だ。誘拐の瞬間は誰も見ていないため、これらのワゴン車が誘拐車両かどうかは不明というしかない。
 さらに、三叉路の紺色ボンゴ車と、八丁峠の紺色ボンゴ車が同じ紺色ボンゴ車とは証明されていない。そもそも、紺色ボンゴ車が真犯人のものであるという推測は以下の理由によって成り立っているはずだ。
 ①女児の失踪現場とされる場所で、行方不明となった時間帯に、紺色ボンゴ車が猛スピードで走り去ったため、それは誘拐に成功し、現場から速やかに離れたい犯人なのだろう。
 ②遺留品遺棄現場は、普段から車通りが著しく少なく、車が停まっていること自体が珍しい。女児が失踪した日に遺留品遺棄現場にいた車は犯人なのだろう。
 ③誘拐現場とされる場所で目撃された紺色のマツダのボンゴ車と、遺留品遺棄現場で目撃されたマツダのボンゴ車は同一のものなのであろう。
 つまりは、女児にまつわる2つの場所で同じ紺色ボンゴ車が目撃されたため、めでたく紺色のマツダボンゴ車が犯人の車だろうということになった。
 さらに、過去にも起こった女児行方不明事件で登場した人物も紺色ボンゴ車に乗っていた。だが、「三叉路を走り去った紺色ボンゴ車」と「八丁峠の紺色ボンゴ車」が同一かは不明であるばかりかそれらと「久間氏の所持する紺色ボンゴ車」が同じ確証はどこにもない。
 これは、事件当日という特異的な日に「誘拐が疑われる場所」と「遺留品を遺棄した場所」に同時に同じ車が存在することが確率としてありえないだろうと感じることがそうさせる。この現象に数学的根拠は全くない。

わたしたちは物体や事象が密集した状態を見つけるのが得意だが、なぜかというと、それらが一つの出来事に属している場合があるからだ。(中略)しかしながらクラスターの根本原因が常に一つとはかぎらない。いや、実のところ、ほとんどのクラスターはそうではない。

「人はどこまで合理的か 上」スティーブン・ピンカー著 草思社 2022年

 日付を歪曲された最後の目撃証言、どこまでが体験された本当の記憶かわからない車の目撃証言、信頼の置かれたはずの証言の一部は見間違い、そもそも本当に問題の車両かもわからないマツダ紺色ボンゴ車、何だか問題だらけだ。これらに果たしてどれほどの証拠能力があるのだろう。
 これらの情報により久間氏を追ったことは大きな勘違いだったのか、それとも彼が犯人だったのか。これらは、他の証拠から判明するのだろうか。この目撃情報だけでは、まだ何の答えにも辿り着けない。だが少なくとも、虚偽が隠されていたことは事実だ。

さらに悪いことに、われわれは自分の先入観を裏付ける証拠を優先的に探し求めるだけでなく、曖昧な証拠を自分の考えに有利になるように解釈する。これが大きな問題になることがある。なぜならデータが曖昧なことがよくあるから、われわれの利発な脳は、説得力があるデータがない場合でも、あるパターンを無視し別のパターンを強調することで信念を強化することがあり得るからだ。

「たまたま 日常に潜む『偶然』を科学する」レナード・ムロディナウ著 ダイヤモンド社 2009年

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