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メディアの狂気。和歌山毒物カレー事件(6)

 「確証バイアス」とは仮説や信念を検証する際に、自分が支持する情報ばかりを集め、反証する情報を無視または集めようとしない傾向のことである。
 自分自身のイメージと一致しない情報は信頼できない、と解釈してしまう脳のクセでもある。
 自分たちに直接的な関係のない加害者の炙り出しは「それっぽい者」であれば誰でも良かった訳で、更に一度ついてしまったイメージはなかなか払拭できない。

 この事件はメディア同士の過熱した競争意識から、倫理感を踏み越えたとしか思えない行動が散見された。犯人の目星もつかないまま「ヒ素による保険金詐欺事件」が明るみに出たのはメディア取材によるスクープとして報じられた。
 これは事件から1か月後の8月25日、「林夫婦がヒ素を使った保険金詐欺で容疑者として浮上している」という新聞スクープである。
 そこから更に報道は過熱し、連日住民を上回るメディアが押し寄せ容疑者の家を24時間監視していた。まさしく狂気で、これこそ本当の「集団ストーカー」である。
 閑静な新興住宅地に住民の数を超える300人以上の報道陣が押し寄せ、10機以上のヘリコプターが上空を旋回した。
 塀に沿って報道陣の脚立が置かれ、大勢のマスコミが一家の行動を監視し続ける状況は、実際に逮捕される10月4日まで40日間にも及んだとされる。

待機中の異常な集団ストーカーたち

 容疑者には4人の子供がいるが、事件当時はマスメディアが24時間自宅を取り囲んでいたため子供らは外出ができなくなり、通学もできなくなった。
 当時中学3年生で高校受験を控えた長女が残した当時のノートには、「ポスト、誰かのぞく」「家の中みてる。じ~っと」など、家を取り囲むマスコミの姿が描かれていた。
 住民の数を上回るマスメディア関係者が2か月以上も居座り続けるという異常な報道態勢が連日伝えられた。

集団ストーカーたち

 取材される人に心理的な苦痛を与えたり、平穏な生活を妨げたりする集団的過熱報道をメディアスクラムと呼ぶが、和歌山地方裁判所の一審判決の中でも「報道取材に問題があった」と異例の言及がなされるほどであった。
 その後、メディア側がみずから課題解決に動きだし、取材にあたって最低限守るべき項目をまとめたり、報道検証の第三者機関を設ける試みを広げたりするなど、事件報道のあり方が見直されたらしいが、仰々しい行動を伴わなくなっただけで本質はあまり変わってない。

 当時の様子を、長男は取材の中でこう振り返っている(太字は筆者)
毎日、小型カメラやマイクが塀の中から家に入っている状態で、2階の子ども部屋にも棒の先につけたカメラで撮影されて、窓も開けられなくなった。マスコミの人たちは脚立に座って雑誌を読んだり弁当を食べたり、その場で寝袋に入って寝ていた。郵便ポストものぞかれ、宅配便の人が来ると、差出人や中身を知ろうとしてマスコミの人たちが殺到した。ゴミ捨て場にゴミ袋を出すと中身をあさられるため、家にためておくしかなかった。家の前にはマスコミの人たちが出したゴミやたばこなどが散乱している状態で、腹を立てた母が警察に助けを求めたが、何もしてくれなかった」

抗議する容疑者

 そして郵便受けから郵便物が盗まれる事態まで起こり、夫が「あいつらの頭を冷やしちゃれ、水でもかけちゃれ」と声をかけ、すでに夫以上にマスコミに腹を立てていた容疑者が、庭に出てホースでマスコミに水をかけるという有名なシーンに繋がる。

有名なシーン

 このシーンは「こいつが犯人だろう」というイメージを固定させた瞬間でもあった。イメージ戦略と話題性ではメディアの待ってましたの行為だった訳である。
 ここまで来るにはメディアの涙ぐましい努力があった。取材を断ったにも関わらず、後日謝礼だといって5万円を持参し、何とか家に上がろうとドアを叩き、受け取ってくれるまで帰らないと突っ張る記者。
 あるスポーツ紙は「怪しい」と噂の段階で夫の顔写真を堂々と掲載した。その記事に対し、夫が「過ぎたことだから」と許したような発言をしたと知ると、記者は家に駆けつけ「本当の男の生き方を教えてもらいました」と謝罪したかと思えば、その数日後にはまた紙面で夫を叩く記事を書く記者。
 報道被害は夫妻だけでなく子供たちにも飛び火し、ある写真週刊誌は「冷血!和歌山毒入りカレー殺人犯と保険金殺傷疑惑」と称した特集で間違って娘の写真を載せてしまう。
 もうファクトチェックなどどうでもいいのだ。質より量、質より速さ。記者たちは自分がいかに他から抜きん出るかしか考えていない。
 家の前には24時間体制で数十人の報道陣が待機し、車のエンジンをかけただけでも直ぐに群がり、夜中の12時過ぎでもライトを付け、周囲にはタバコの灰からジュースの空き缶、弁当の空箱が散らかっていた。郵便ポストの手紙が何回も引き抜かれ、こっそりと封を開けられて中身を見られている。
 これらは通常犯罪行為である。少なくとも窃盗罪、住居侵入罪などは適応しそうだ。これこそが「報道」という免罪符を得た集団ストーカーの真髄である。

 その後、夫婦が逮捕されて「容疑者」や「被告」へと立場が変わると、一般市民による誹ぼう中傷もエスカレートしていった。
 家を囲む白い塀や2階のベランダは、「死ね」「人殺し」というわかりやすい攻撃の文言に始まり、相合傘や好きなアーティストの名前まで、色とりどりのスプレーで好き勝手に落書きされるようになった。まるで観光地のような気分で訪れ、人目をはばからず落書きをしたり記念撮影をしたりする人たちも後を絶たなかった。

実際に書かれた落書き

 2000年2月には、和歌山市内に住む30代の男が放火し、家が全焼した。
 どうも「悪い奴に対してはなんでもしていい」という文化のようなものが日本にはあるように思う。そのイメージキャンペーンをしてるのはメディアなのだが、もし無実だったとしても落書きを人たちは「あ、そうだったんだ」と何もしないだろう。

 これらメディアの寝食を忘れる懸命のイメージ操作により被告家族の社会的イメージは「真っ黒」となった。
 これは「凄い悪そうな奴だったし、あの人が犯人でしょ、きっと」と思わせるには十分で、再審に世間が動かない最大の理由でもあると考える。無実だった場合、この人たちの人生をメディアは賠償できるのだろうか。

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