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正式記録にない言葉たち、日航123便ボイスレコーダー。

 先日、ワタナベケンタロウ氏のyoutubeチャンネルにおいて、ついにこれまで他のものは無かったとされていた速報テロップの記録が発見され公開された。これまで日航機がレーダーから消失したことを報じた第一報は19:20ごろとされ、さらに内容は「東京発大阪行の日航123便がレーダーから消えた」という速報内容であったとされていた。
 しかし、1985年8月12日19時30分すぎ、女子プロレスの合間に流れたアニメ「一休さん」の放送中に「FNNニュース速報」としてテロップが流れた映像が発見された。
「きょう午後6時40分ごろ
羽田発大阪行きの日航機が
レーダーから消え、現在、運輸省
などで調査中」というものだ。

 これまで定説であった時事通信が午後19時13分に配信した「東京発大阪行きの日航123便便がレーダーから消えた」のフラッシュは19時25分のNHKが第一報とされていた。しかし、そのフラッシュの内容以外の情報を含む内容がフジテレビから流されていた。これらはマスメディアによる報道協定があった可能性、もしくはフジテレビが独自の情報をすでに入手していた可能性が濃厚となった。
 さらに、18時40分といえば日航123便は大月を旋回中で高度は22400フィート付近でギヤダウンを行い緊急降下を試みようとした後だ。レーダーから消えるほど降下していない時間帯だ。
 当時のメディアから発せられる情報内容はかなり曖昧で断片的で、事故報告書で正式に発表された内容には含まない情報が公開されている。
 これは、メディアが情報を意図的に隠したのか、もしくはバイアスや憶測をそのまま書きファクトチェックが十分に行われていなかった可能性を示唆している。これでは本当に圧力隔壁が原因だったとしても陰謀論が発生してもおかしくない。

 さらに私が調べた範囲で事故調査委員会が公開したボイスレコーダーその他の記録のものと報道の内容の齟齬を考察する。

 機長が「4000メートル」まで降下する要求を出した。
 18:38「緊急!マヌーバー(操縦性)が悪い」とコックピットより東京管制部に連絡が入っている。

サンケイ新聞(大阪本社版)1985年8月13日

 ボイスレコーダー記録上では13000フィート(4000メートル)の高度での降下の要求など出されていない。
 航空機はトラブル時は他の航空機と接触しないように自機が飛行する高度の要求が行われる。
 自己報告書において、高度に関する記載があるのは18:25:21、トラブル直後に管制に羽田に戻りたい旨の連絡を行った時だ。
 機長「request return back to HANEDA descend and maintain 220 over」
それと18:31:10、管制から現在の高度の問い合わせがあった際の、
 管制「say altitude now」
 機長「240」
この2回のみである。ちなみに、高度4000メートルまで降下したのは大月を越えた18:45あたりである。
 さらに、事故報告書のボイスレコーダーの記録には、「緊急」も「マヌーバー」という言葉も一度も出てきていない。
 マヌーバー(naneuver)とは元々は軍隊用語らしいが、「機動作戦」「巧妙な手段」と言った意味らしい。「操縦性」「操作性」のような意味を持つようだ。
 飛行機で言えばパラグライダーで主に使われる用語らしいが、イレギュラーな事態に備え機体を巧みに操る技術を指すらしい。このような用語は自己報告書のCVRの記録の中には一度も出てきていない。

 123便は9800フィートまで降下し、パイロットはそれをコントロールセンターに伝えた。

毎日新聞(大阪本社版)1985年8月13日

 ボイスレコーダーの記録上は上記のような会話はない。9800フィート(3000メートル)付近で記録上は18:47ごろ、また18:51ごろに9000フィートから9600フィートまで降下しているがその際の交信はない。

 18:41頃123便から運輸省東京空港事務所の管制塔に「右最後部ドアが故障したため緊急降下する」との連絡が入る。これに対し管制塔からは「名古屋へ緊急着陸せよ」さらに「米軍横田基地にも緊急着陸できる」指示したが、日航機からは「羽田の方が近いから引き返す」と返事があった。

サンケイスポーツ 1985年8月13日

 18:41ごろの記録には後部ドアの故障のやりとりなどは入っていない。名古屋への緊急着陸の指示などはなされておらず、名古屋に関しては1度だけその名が出ているが、機長はそれを拒否し羽田に戻ることを求めている。
18:31:14
 管制「Right,your position 72 miles to NAGOYA can you land NAGOYA?」
 機長「Negative. request back to HANEDA」
 これらは、新聞社が勘違いして書いているのだろうか、記者への説明が悪いのだろうか、それらしき内容は書かれているが、いずれも事実ではない。

 日航によると、同機は12日午後7時1分に所沢のレーダーから機影を消したが、東京航空交通管制部に同機から緊急通信が入ったのは午後6時27分、続けて33分に「大阪への飛行をあきらめ引き返す」、38分には、あわてた声で「機体の調子がおかしく操縦が難しい」と連絡が入った。続けて6時39分、日航のオペレーションセンターに「機体の右最後部のドアが壊れた。気圧が下がっている」と交信。

朝日新聞 1985年8月13日

 緊急通信が入ったのは18:25であり、その際に羽田に引き返す旨も要求されている。18:33にはR5のドアについて、18:38は降下のためにギアダウンを試みている、18:39にはオルタネートでギアを出そうとしている。
 この内容の時系列の報道内容は全てがおかしい。それらしき内容は交信されているが「アンコントロール」状態で操縦についての会話はなされていない。
 時間を遅らせるために悪意を持って行っているようには見えないが、ファクトチェックがあまりにも杜撰であることは間違いない。

 「スイッチを押している方がいらっしゃるんですがよろしいでしょうか」

朝日新聞 1985年8月28日

 これは新聞記事のボイスレコーダーの書き出しの中から抜粋したものだ。流出されたCVR音声は開始から突然「〜たいとおっしゃる方がいらっしゃるんですがよろしいでしょうか?」から始まっており、「〜たい」より前は記録自体がないことになっている。もっと前の時間の記録が本当に残っているのか、それとも憶測で書かれたのだろうか。

 運輸省航空事故調査委員会は11日、日航機事故の原因究明のため、新たに専門委員として航空自衛隊航空医学実験隊第1部の藤原治・視聴覚研究室長、宇津木成介・同室員の2氏を追加任命した。ボイスレコーダーの中で、20数箇所によく聞き取れないところがあるため、事故調よりも精度の高いサウンドスペクトログラフという装置を持っている同研究室に解析を頼むことにしたもの。

朝日新聞 1985年9月12日

 サウンドスペクトログラフは1940年代にアメリカのベル研究所で発明された音声や音の分析に用いられてきた。音の時間・周波数パターンを表現する分析機器である。聞き取れない部分の周波数を解析し何と言っているか解析しようとしたのだろう。

 しかし、どうもノイズすら除去できなかったようだが。

 さらに、時間は不明だが「大変だっ」という緊迫した声も入っていた。

読売新聞 1985年8月18日

 このような内容は事故報告書には記載されていない。

 私が座っていた左後方でメリメリ、バリバリという大きな音がして、1.5メートルぐらいの穴があいた。穴からは、プロペラか扇風機の羽根のようなものが回っているのが見えた。左側の前の方には海が見えた。飛行機の中はざわめき、酸素マスクが下がってきた。

読売新聞 1985年8月19日

 吉岡忍氏による「墜落の夏」によると生存者の一人のOさんからは「トイレの上の横長の壁が」外れており、「テント生地のようなものがひらひらしているのが見え」、「そこから機体の外が見えたとか、青空が覗いた、ということはありませんでした」ということだった。
 もう一人の生存者のKさんが高崎国立病院に入院中だった時の証言では「左後ろの壁、上の天井の方がバリっといって、それで穴が開いた」と述べており、付き添い関係者に対して「1.5メートル四方ぐらいの穴が開いて、プロペラの羽か扇風機の羽のようなものが舞い」と述べている。
 この「海が見えた」というのは窓からだろうか、穴があいた部分から海が見えていたのか。一体誰が見たのだろうか、この海は。

 「バンクそんなにとるな」というすでに明らかにされている高浜機長の言葉の後に、実際には「ばかやろう」と、機長の緊迫した口調の叱責が続いていたこともわかった。~また、CVRには「頭下げろ」「両手でやれ、両手で」「こっちは二人だ」などの言葉が頻繁に記録されていた。

読売新聞 1985年8月29日

 事故報告書の中には「バンクそんなにとるな(18:25:53)」「両手でやれ、両手で(18:38:29)」の記載は確認できるが、「こっちは二人だ」や「ばかやろう」などの記載はない。これに関してはさらに面白い記事がある。

 日航ジャンボ機墜落事故で運輸省航空事故調査委員会が27日公表した墜落機のボイスレコーダーは、乗員の私的な会話が削除してあった。これらの会話部分も、機長らの苦悩と恐怖を生々しく再現していることが29日、関係者の話で明らかになった。関係者によると、カットされた部分は全体の約10分の1。まず、離陸から14分30秒後の午後6時25分50秒「バンクそんなにとるな」という高浜雅己機長の声の後には「バカヤロー」というような、鋭い叱責が続いている。(中略)「お前、いい男だなあ」などと、時には軽口にも似た人間的な言葉で励ましている。

埼玉新聞 1985年8月30日

 そもそも事故報告書のボイスレコーダーの内容は最初からカットされている部分があったのだ。
 この記事からすると10分の1である3分弱は私的な会話のために削除されているとしても、残りの12分は一体何が話されていたのだろうか?
 事故報告書の中には私的内容はカットされていることは明記されていない。これでは、それ以外の全てが書かれていたとしても到底信用できる内容ではない。
 報告書の時点ですでにカットされいるのは私的な会話、操縦に関わる内容の削除、そしておそらく削除されている横田基地着陸に関する内容だと私は推察する。
 生のデータからテープ化し、分析するまでに削除がされたとするならば、かなりの権力を持つ人物でないと不可能だ。それが可能なのは回収後、最初にこの音声を聞いた者達だろう。


 なお、フライトデータレコーダーとボイスレコーダーについては、事故現場から回収され、分析された後は公式には以下のようになっている。

 現在フライトデータレコーダーとボイスレコーダーは羽田空港の日航オペレーションセンターに保管されている。

朝日新聞 1992年4月8日

 日航ジャンボ機墜落事故の捜査を終結した前橋地検は、27日までに、重要な証拠物だった「圧力隔壁」「ボイスレコーダー」など27点を来年、日航に還付すると通知した。

朝日新聞 1989年12月28日

 1985年に起きた日航ジャンボ機墜落事故の調査資料を、運輸省航空事故調査委員が破棄したことについて、事故調は14日、記者会見で「昨年11月に破棄した原本資料は、すべてマイクロフィルム化して保存している」と説明した。航空事故の資料は、事故調の文書管理規則で、航空事故調査報告書は永久に、調査資料は10年間保存しなければならないと定められている。

毎日新聞 2000年8月15日

 フライトデータレコーダーとボイスレコーダーの資料は10年の保存期間が過ぎたあとは運輸省航空事故調査委員によりいかにも役所の処分といった印象で速やかに破棄されている。
 現在、日航にしかその生のデータは残っていない。ボイスレコーダーの内容はそれまでは文字のみの公開であったが、この破棄のタイミングでマスメディアにテープが流出した。
 2000年8月11日のニュースステーションは日航機墜落事故の特集で、謎の爆発音から墜落に至るコクピット内の音声記録を公開している。
 どこからこのテープが出てきたかと言うと、運輸省は1999年11月に関係資料を廃棄処分しており非公開のボイスレコーダーも廃棄されたが、ある人物がそのコピーを取っており、「たまたま入手」(久米宏談)したらしい。

 他にも、2000年8月5日の「しんぶん赤旗」によるとボイスレコーダーの記録を8月4日までに入手したとのことである。

 航空関係者らの協力で分析した結果、会話の内容は、運輸省航空事故調査委員会が作成した事故調査報告書と、事故原因の究明にかかわる重要部分で食い違いが判明。聞き違いと思われる個所とともに、まったく違う時間帯の会話を入れ替え、作為的としか考えられない部分があるなどの問題点が明らかになりました。

しんぶん赤旗 2000年8月5日

 この表現は適切ではないと思われるのだが、まず違う時間帯の音声の入れ替えなどは行われていない。
 また、TBS「報道特集」のボイスレコーダー検証報道では、「87年にJNNが入手した」という東京管制部との交信記録について触れている。東京管制部の記録はCVRの流出テープよりもっと早い段階で入手できていたことがわかる。

 日光機墜落事故を原因改めて検証 フジ「ザ・ノンフィクション」で19日に放送。取材班は、飛行機のボイスレコーダーのテープを入手。関係者の話を聞くとともに、実験を行なって、この「急減圧」があったのかどうかを探っていく。

読売新聞 2000年11月1日

 資料が厳重に管理されていたのなら、破棄のタイミングそれを取得できたのは自然だが、ボイスレコーダーのデータをなぜわざわざ流出させたのかその意図が不明だ。事故後、高濱機長はかなりのバッシングに会っていたとされており、高濱機長の名誉を守るために義憤に駆られたのだろうか。それならば流出元は運輸省からではなく日航側からでないとおかしい。
 他に考えられる動機は、真実が語られてないことに対する不満により、廃棄のタイミングでリークしたかだ。他にもリークさせる理由はいくらでも考えつく。金銭の問題、あえてリークすることによる情報操作を狙っているのかもしれない。
 さらに、このテープについては「勝手に誰かが流出したもの」なので公式に運輸省並びに日航はこの流出テープについてはその存在を認めていない。

 やはり事故調査報告書に記載されなかった記録はあるのだろう。流出テープも故意に編集されている。何か不都合な事が削られたのは確かなのだが、それは事故原因もしくは機体の異常に関するものなのだろうか、それとも横田基地着陸に関わるやりとりなのだろうか。

 もう一つ余談なのだが、流出したボイスレコーダーでかねてから私が気になっていたのは、機長左側マイクに録音された18:24:47付近に記録されている「ガラガラガラガラ・・・」という引き戸のような音である。
 これって酸素マスクが落ちる音(酸素マスクが収納されているドアが開く音)なのでは?と妄想していた。

 これがマスクの落ちる音であるならば、18:24:35に聞こえた衝撃音から実に12秒も経過した後である。事故報告書によれば、

 後部圧力隔壁開口面積1.5平方メートルから3.5平方メートルの間に変化させた場合〜(中略)客室高度14000フィートに相当する圧力到達時間(酸素マスク落下、プリレコーデッド・アナウンス用検出器作動開始)3.37〜2.40秒
 与圧室減圧の遅い場合の可能性について〜(中略)客室高度14000フィートに相当する圧力到達時間(酸素マスク落下、プリレコーデッド・アナウンス用検出器作動開始)7.51秒

事故調査報告書 p74

 とある。つまり、どれだけ遅くても7.5秒かかるということなのだが、もしこれがマスクの落ちる音なら、減圧は緩やかであったということになるのだが。

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