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「残された選択肢」大阪西成女医不審死事件
これは、2009年に大阪府大阪市で発生した女性医師の変死事件であり、現在もその全貌が判明していない。
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死亡した矢島祥子さん(34歳)は2007年(平成19年)4月1日から大阪府大阪市西成区鶴見橋の診療所で内科医として勤務しながら、生活困窮者の集まる西成で労働者支援、夜間パトロールなどボランティア活動を行っていた。2009年(平成21年)11月15日から行方がわからなくなり翌日の16日に診療所から3.5kmにある大阪市西成区の千本松渡船場にて遺体で発見された。
西成署は変死体として女性の遺体を検死し、死亡直前に知人に送った手紙や、手帳に書かれた文章を証拠として「過労による自殺」と判断した。しかし遺族は遺体の異常な状況に自殺とは考えられず、2010年(平成22年)9月14日に再捜査を要求し、さらに苦情申し立てが大阪府公安委員会に対して行われた。2012年(平成24年)8月22日に遺族が提出した殺人・死体遺棄事件としての刑事告訴状は受理され、再捜査が開始しているが、現在も大きな進展はない。
●矢島祥子医師の経歴
・1975年3月30日:群馬県高崎市に生まれる。
・1990年4月:群馬県立高崎女子高校入学。
・1993年4月:群馬大学医学部入学。
・1999年4月:沖縄県立中部病院勤務勤務。
・2001年4月:大阪淀川キリスト教病院内科勤務。
・2007年4月:くろかわ診療所勤務。
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矢島医師は群馬県高崎市の生まれであり、高校時代に開発途上国の難民キャンプで働く医師の姿をテレビで見て、医師になると決意した。自らの意思で1994年にクリスチャンとして洗礼を受けており、毎週日曜日には「ふるさとの里」のミサに通っていた。大阪淀川キリスト病院で入院患者を診ているうちに生活困窮者の手助けを志し、さらに地域に密着しようとくろかわ診療所に転職した。大阪に来てからは野宿者の支援団体、野宿者ネットワークにも参加していた。くろかわ診療所では外来診療だけでなく訪問診療も行っており、土曜日には夜回りも行い、野宿者や居住者の福祉レポートも作成していた。訪問診療の受け持ち患者は60名おり、忙しい時には帰宅が未明になることも度々あったようだ。
●事件の時系列について
2009年11月13日(金) 9:00〜13:00
午前外来診察。
14:00
訪問診療6件を回る。
17:00〜19:30
夕・夜間診療。
心療内科のカルテ作成。
22:00(気温17.9℃)
旧知の来客と、30分ほど雑談し別れ、残業を始める。
診療所に勤務する他の医師が勤務を確認している(20:00に看護師が目撃したという説も存在する)この時祥子さんはカルテの整理をしていたという話もある。
23:00ごろ
祥子さんのカードキーで診療所に30分ほどの外出していた記録がある。
11月14日(土) 0:00ごろ?
電子カルテのバックアップを行った形跡がある。
4:15(雨 降水量6mm 気温15.8℃この日は3時から7時まで雨)
祥子さんのカードキーで警備システムを作動させている。この時間に祥子さんは退勤したと考えられているが、診療所付近の8台の商店街のアーケードに設置している防犯カメラには祥子さんの姿は映っていなかった。なお、この時は強い雨が降っていた。(この時にもカルテのバックアップをとっていたとする情報もある)
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4:16
診療所の警備システムの警報が作動した。
4:44
4:45
PHSからメールを送信している。
4時44分と4時45分にPHSから2通のメールを送っている。1通は63歳の男性患者Aさんに向けてであり「14日に会う予定だったが、急用が入ったため会えなくなった」という内容のものだった。もう1つは友人の弁護士に向けてであり「16日に約束していた会合に参加できなくなった」という内容であったとされる。
4:48
警備会社の警備員が診療所に到着したが無人であった。警備員は異常なしとして帰っている。
時刻不明
自宅近くの郵便ポストにAさん(男性、63歳、元患者、祥子さんの死後に自らを元交際相手と称する。PHSからメールした人と同一人物)宛に絵はがきを投函している。絵はがきの内容は「出会えたことを心から感謝しています。釜のおっちゃん達のために元気で長生きして下さい」という内容だった。
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8:30ごろ
後に祥子さんの部屋から男女の話し声が聞こえたと隣人からの情報提供があった。
くろかわ診療所では朝礼を行っており、祥子さんが出勤していないことが判明する。外来診察はなかったが、企業検診のために出勤予定であった。
10:00ごろ
祥子さんが出勤してこないので診療所の看護師がマンションを訪れ、いないことを確認する。自宅に鍵はかかっていなかった。
14:54
祥子さんのPHSに電話をするが、呼び出し音のみだった。
時間不明
所長と看護師が自宅を訪問する。祥子さんの部屋の冷蔵庫の上に普段使う鍵の束(自宅鍵・ロッカー・机・診療所の鍵)があった(10時ごろには看護師は鍵を見かけていない)
20:00ごろ
所長が救急センター・西成署に事故発生連絡がなかったか確認をしている。
21:57
所長が西成署に再度事故発生の確認をしている。
11月15日 朝(9:30〜10:00)
祥子さんが出勤してこないので、スタッフが西成署に捜索願いを出そうとするが家族でなければ無理と言われ、所長は家族に電話し「祥子さんが行方不明です。高崎警察署に捜索願いを出してください」と連絡している。
10:26
所長より父親宛にFAXを送信している(これまでの連絡や行動を書き込んだもの)
11:30
所長より父親宛に修正したFAXを送信している。
12:30
両親から知らせを受け次兄が高崎を出発、弟と東京駅で合流する。兄は茅ヶ崎から高崎へ向かう。
14:30
家族が西成署に到着。祥子さんの自宅へ向かい、部屋の鍵が開いていることを確認する。普段使うバッグは部屋に置いたままであった。
11月16日 1:20
千本松渡船場に夜釣りに来ていた釣り人2人が、着衣の状態で立位のまま死後硬直した状態の遺体を発見する。保険証を所持しており、矢島祥子さんであることが疑われ通報する。
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10:40
西成署で両親と長兄が祥子さんの遺体を確認する。この際に頭部の血腫と頚部の帯状の痕を確認する。
司法解剖が行われる。
13:00
次兄の立会いで遺体発見現場の現場検証が行われる。
11月17日
火葬前にする前に群馬大学の恩師(父親も母親も群馬大学医学部卒業の医師)に再解剖を依頼し、CT撮影も行っている。
11月18日
告別式が行われ、この際に彼氏と自称するAさんが家族と会う。
12月
警察は祥子さんの自転車を市営団地(遺体発見場所の千本松渡船場から2.5 km)の駐輪場で発見する。なお、自転車から指紋は検出されなかった。
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2010年3月
西成警察署は「死体頭部の傷は生存中のもの」と発表する。
9月14日
遺族は大阪府公安委員会に対して再捜査要求と苦情申し立てを行う。
10月14日
一周忌追悼会を行う。
2011年2月3日
西成警察署は、死因は自殺と遺族に説明する。
2011年2月25日
事件が衆議院予算委員会で取り上げられ、警察庁刑事局長は事件・事故両面で捜査中であると答弁している。
2012年8月22日
遺族が提出した刑事告訴状が受理される。
2012年11月16日
死体遺棄罪での公訴時効が成立する。
2021年3月
府議会での「女性医師変死事案」を巡る捜査状況の質問に対し、大阪府警は「『犯罪の疑いあり』と考え、捜査しているが、『犯罪である』と明確に断定できる状況に至っておらず、事件と事故の両方から捜査している」と答弁している。
現在も真犯人は見つかっていない。
●死体の状況について
・首の両側(左耳から首のあたりにかけて)に紫色の圧迫痕があった。これらは頸動脈洞を中心に両側頚部に痕であった。
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・後頭部に高さ3cmほどの腫瘤があった。後頭部には複数の表皮剥離もあった。
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・これら上記の外傷は西成署による死亡診断によると「水死体引き上げ時に遺体を地面に置く際にできた」と説明しており、それに対し遺族は「血流がある生存状態でのみ、こぶは出来るはずだ」と反論した。その後再検証され、2010年3月に「死体頭部の傷は生存中のもの」と認定された。
・右顔面・右手・右脹脛に擦過傷があった。
・眼瞼・口腔内に溢血点があった。肺には膨隆、うっ血水腫の所見が認められた。
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・死亡推定時刻は警察作成の死体検案書では2009年11月14日午前とされており、当初死因は溺死とされた。
・後頭部の血腫は、解剖医より「生前にできたもので、平たい鈍器で打たれ、このために脳震盪を起こし、気を失った可能性がある」と診断している。外傷の状態から脳震盪のレベルはⅢ(重度)であり、2分以上の失神を起こしていた可能性が高い。
・遺体発見時は遺体は木津川の水中に着衣のまま立位で浮いており、頭頂部を浮かべていた。両腕を直角に曲げ、手指は開き上下肢に死後硬直を認めた。背中には死斑もあり、着衣には血液の付着もあった。
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・遺体の着衣に乱れはなく、性被害の痕跡もなかった。
・財布、PHS、保険証は所持したまま(ポケットに入っていた)であった。
・遺体の近くには茶色のスニーカーが片方だけ浮いていた。
・遺体は薄いストライプのボーダーシャツ一枚とズボンで、上着は診療所にあった。
・遺体が発見された木津川は水深8メートルで、川床にヘドロが堆積している。
●その他の情報
・11月14日から15日14時30分まで、遺族はPHS(非防水性)に頻回に祥子さんに電話にかけ続け、呼び出し音を確認している。
・警備システムの誤作動をこれまでに祥子さんは何度か起こしたことがある。その際は警備会社に連絡すれば警備員は状態確認しに来ないことを知っている。
・自宅(診療所から自転車で5分の距離)の鍵は開いていた。
・郵便ポストが破壊されていた(これはテレビ特番からの情報)
・部屋の中(テレビの裏、本棚の天板、ドア敷居の上、書籍等)に埃が無く、現場検証では室内からは指紋非検出であった。
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・アパートの部屋には、布団が敷かれたままで、洗濯機の中には衣服が入っていた。机の上には書類などの作業をしていた形跡があったが、11月の日付のメモはなかった。
・発見された自転車にも指紋がなかった。
・遺書として採用された絵葉書は14日の消印で(自宅住所・署名の記入なし)送られていた。
・11月14日は外来担当日ではなかった。
・11月14日に看護師が部屋を見に行った時には部屋には鍵がかかっておらず、祥子さんが常に持ち歩いていた鍵も発見されなかったが、翌15日に再び看護師が訪れた時には鍵が冷蔵庫の上に置いてあった。
・診療所は、ほぼ毎日未明に電子カルテを立ち上げてデータ保存のバックアップをしていたことを認めている。電子カルテで深夜にどんな操作をしていたのか詳細な情報は開示されていない。民事裁判では診療所側は「夜間の滞在は休養や居眠りをしていた」と主張している。
・自宅内で職場などの鍵束が発見されたが、自宅に出入りした隣接防犯カメラの映像は残されていない。カバンも自宅にあった。アパート付近にある防犯カメラは警察の話では「人為的ミスで録画されていなかった」と言っているがカメラの管理人は「カメラが止まっていた事実はない」と言っている。
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・診療所のセキュリティ記録によると、2009年11月14日の失踪日から日曜日を除く直近6日間の平均滞在時間は1日20時間以上、日祝も出勤しており、同年8月以降このような勤務が繰り返されていた。黒川所長の説明では、祥子さんは2時や4時、5時に帰宅することも多かったという。
・診療所の警備セキュリティはセット後30秒以内に施錠しないと作動。誤報であれば警備会社に連絡すれば警報は解除され警備員も来ない。
・10時26分にA4で2枚、11時38分にA4で1枚のFAXを所長から家族に送っている。11月14未明から翌15日朝までの間に、対応した経過と判断が書かれていたようだ。行方不明の連絡の9分後にFAXが送られた。行方を知るために誰とどういう行動を取ったかが時系列とともに事細かに書いてあり、最悪のことが起こった際の対処法まで書いてあった。
・「PHSは復元し、全て分析中」と西成署のH巡査が証言しているがその内容は公開されていない。
・浮いていた靴は「付着した土の成分をする」と切り刻まれたが、結局微量で分析不能であった。
・自転車は自宅から600m、渡船場はさらにそこから2.5km(自宅からは3.5km)離れており、警報作動時間から歩くと渡船場に5時45分(渡船場の開門時間)には間に合わない。
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・遺体は渡船場の門扉の先にあった。
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・家には新鮮な花が飾られていた
・14日の時点で、仕事関係の者が集まり、便宜上自殺とする対策会議が行われていたとのこと。殺されたというのは周りに影響が大きすぎるためとされた。
・祥子さんの手帳には9月から11月にかけて貧困ビジネスで困る方々の話が綴られていた。
・捜査機関が遺書とみなしていたのは、手帳の裏表紙に書かれていたリビングウィル(生前の死後の意思表示)であった。
・千本松渡船場より上流からダミー人形を流した実験では、2〜3時間で大阪湾河口まで流れた。
●謎の恋人
事件の後に祥子さんの恋人と名乗る人物が出現する。それは絵葉書を受け取った元患者の63歳の男性であり、白髪に白髭で元極左(共産主義者同盟赤軍と言っているらしい)の出身と自己の素性を明かしており、釜ヶ崎日雇労働組合の副委員長でもある。この男性は送られた絵葉書を見て消印と死のタイミング、文章の内容からこの葉書を遺書と判断したそうだ。
祥子さんの母親がお別れ会でこの男性に会い、話をしている。
なお、男性に送られたメールの内容であるが、「祥子さんと交際していた。祥子さんと会うために難波のホテルを予約していたが、祥子さんから急用で行けなくなったとメールを受けてキャンセルした」と主張した。警察が確認するとホテルに予約は入っていなかった。なお、このホテルは「モントレ大阪」だそうだ。
なお「祥子さんの部屋をクリーニングした」と話すのもこの男性である。
私はこの男性は全く事件には関与していないと考えている。一応調べてみたが、難波のモントレというならばグラスミア大阪を指している、このホテル、朝食付きで1泊4万円はくだらない高級ホテルだ。ちなみに矢島さんの住んでいたアパートは築40年、家賃6万円ほどだ。
●妄想と考察
以下は私個人の妄想であり、私が考えられることを述べたに過ぎない。個人や特定の組織などを批判したり攻撃する意図は全くない。独り言の垂れ流しだと考えていただければ幸いである。
まずは半ば都市伝説のように語られている貧困ビジネス組織の刺客による犯行を否定したい。
貧困ビジネスとのトラブルが原因とされる要因は、過去に事件となった安田病院や大阪円生病院、山本病院、大和川病院などのイメージから由来していると推察される。これらの病院たちは、医師やスタッフの数を水増しし、いない元職員らを幽霊職員として高いランクの看護料を得ていた。さらに入院していても医師の診察はなく、病室にはナースコールもないところもあった。スタッフを水増ししているため、業務は忙しく、点滴は打たれずにトイレに流されたり、看護師が処方箋を書いたり、挙げ句の果てには配膳や掃除は患者にやらせていたところも存在する。
例えば安田病院は不正取得していた期間のうち2年の返還額を計上しただけでも24億円にものぼった。これらの病院は、やってもない治療や検査を行ったことにして診療報酬の不正請求を繰り返していた。この不正請求は身寄りのない者であったり、生活困窮者で生活保護を受けた人をターゲットにしていた。医療と貧困ビジネス(生活困窮者)のイメージが結びつきやすいのはこのような事件が由来だと考えられる。しかし、医療を使った貧困ビジネスで利益を得ているのは闇の組織ではなく、病院や診療所だ。
もちろん、日頃からこのようなことが起こらないようにチェックは行われている。著しく怪しい病院や医師には、医療監査により事実関係が調査される。例えば2022年度に監査を受けた保険医療機関は52件で、保険指定取り消しとなった医療関係機関は6件、処分が決定する前に自ら保険指定を辞退したのは12件、保険指定の資格喪失件数は18件となっていた。これらは返還請求がなされ、2022年の総額は19億7261万円であった(厚労省サイトより)やはり、損をするのは闇の組織ではなく、不正を行った医療機関だ。
さらに、そもそも貧困ビジネスで稼ぐということはどういうことなのだろうか。貧困ビジネスとは別名「生活保護ビジネス」とも呼ばれ、ホームレスに対して「個室寮完備」「3食付き」「日払い相談」などの募集広告を出し、集まった困窮者へ生活保護を斡旋する。そして無料低額宿泊所などに住まわせ、生活保護で受け取った保護費を過剰に徴収することで金銭を搾取するビジネスである。これらは悪徳NPO団体や不動産関係者で構成される。大元が暴力団の場合もあり、関西では「囲い屋」とも呼ばれている。
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生活保護は、不動産、自動車、預貯金などで直ちに現金化できる資産がなく、働くことができない、または働いていても必要な生活費を得られないなど日本国民として最低限度の生活が維持できない場合に申請し、援助をもらうものだ。病気により働くことができない場合には診断書を提出する必要もあることからも、診療所が関わることもあるかもしれない。しかし、基本的には当事者が福祉事務所に相談し、調査員(ケースワーカー)が資産の有無を調べた上で生活状況を調査し、その判断がなされる。生活保護になると医療費は全て医療扶助となり無料となる。受診にはチケット(医療券)を受け取り、それが保険証の代わりとなる。薬は金銭給付ではなく現物支給である。貰った薬を違法に売買するためではという話もあるが、たかが知れている。睡眠薬などのの違法売買などは1シートせいぜい1000円から2000円程度で、ビジネスというほどたいした金にはならない。
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このような仕組みを悪用して受診した病院が過剰な請求をしても当事者は気付きにくく、見つかりにくい。だが診療報酬を使って得をするのは祥子さんではなく、くろかわ診療所だ。となると、この事件において「貧困ビジネス悪の組織」の動機となるものを考えると、例えば「生活保護の申請のための診断書を矢島医師は書かなかった」ことや「何人もの人を囲い屋から救い出した」ということになる。こんなことで損をしたと感じ、果たして「悪の組織」は暗殺のために動き出すだろうか?調べても「圧力や脅しを受けていた」などの悪徳業者や暴力団がまずは使いそうな常套手段を祥子さんが受けていたという話すら聞かない。貧困ビジネスを邪魔した医師が簡単に殺害される世の中なら、医師が安易にターゲットになり、おそらく医師は死にまくり脅されまくりだろう。法に訴えられると大きなリスクを背負うのは医師ではなく悪徳業者の方としか思えない。
闇の組織が手を下すというなら、まずは悪質な嫌がらせや脅しをかけるはずだ。それこそが彼らの特殊能力だからだ。そう考えると、指紋がないことだけでプロの犯行とする見方もかなり怪しい。プロなら指紋の拭き取りだけでなく、絶対に死体が発見されないようにするだろう。海や川に遺棄するならドラム缶に入れたりさらにコンクリートを流し込むとか、山深い人がこない場所にきちんと埋めるとか、焼却場などで焼くなどの工夫を凝らすはずだ。さらに、捜査の撹乱のため身元がわかるものは絶対に持たせないだろうし、自転車をその辺に置き去りにしないだろう。彼女の足取りを悟らせないようにするだろうし、失踪したと見せかけるなら鍵も閉めるだろうし、警報を鳴らす危険性のある警備システムのセットなどは決して行わないはずだ。「貧困ビジネス悪の組織」による犯行と考えると、あまりに手法が杜撰すぎるのだ。
死体の状況についても考えたい。すでに、何をどのように考えても自殺ではないことは明白だ。反証として、自殺でこれらの身体所見が起こるかどうか考察しようと思ったが、あまりに時間の無駄すぎてやめた。自殺でないということは事故か他殺ということになる。ただ、状況からどうも事故にも見えない。
他殺である根拠として理由は幾つかあるが、まずは死斑が背中にあること。死斑は循環が止まった血液成分が重力によって血管から下方に染み出して赤い斑点となる現象だ。
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水死であっても死斑の形成は一定の確率で起こるとされているが、立位で浮いていた死体であるはずなのにこの遺体は腰から下に死斑がなく、背部にある。
死斑は一般に死後30分〜1時間程度で小斑紋状のごく弱いものとして観察され始め、1〜2時間で斑紋は互いに融合し、4〜5時間では軽度〜中等度の死斑と認識できるようになり、12〜15時間で最強となる。(中略)一般に、完全な死斑の移動が比較的容易なのは死後6〜8時間程度まで、両側性死斑が観察されうるのは死後8〜10時間程度までとされる。
これは、遺体が川に遺棄されるまで仰向けで置かれていたことを意味する。さらに死後6時間から8時間以内の体勢の変化により起こる死斑の移動も起きていない。これは、少なくとも遺棄直前までは仰向けであったということだ。
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次に、死後硬直があること。不思議な姿勢で水面下で立位をとっていたが、全身で死後硬直が観察されている。これは、少なくとも死後6時間以上が経過していることを意味する。
6〜8時間で概ね全身の関節で観察されるようになり、趾関節の明らかな可動性制限があれば、通常は死後12時間程度が経過している。(中略)死後硬直は死後12〜15時間で最高となり、その状態が1日程度持続した後(死後経過時間で1.5〜2日程度から)関節の可動性制限が弱くなっていく
また、この事件の一部の資料では、溺死(水中死)の場合は水中にいることで体が常に動いているため、死後硬直が起こらないことを他殺の根拠としているものもあるが、調べてみるとそうでもないようだ。
硬直は死因不詳の事例では5%に認められた程度であったが、溺死・溺水で 62%、その他の死因で 73%に認められている。また漂母皮形成は、溺死・溺水例の 54%に、その他や死因不詳の事例の 30%程度に認められた。溺死・溺水例にはあまり認められないとされる眼球結膜の溢血点は、死因不詳では3%であったが、溺死・溺水例やその他の死亡例では 35%程度認められた。さらに生前の損傷は溺死・溺水例の43%、その他の死因の 62%、死因不詳の13%に認められている。
ただし、溺死時は頭や手足が垂れ下がった何かに覆い被さるような姿勢が最も典型的とされる。
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水中での姿勢は肺や胃の中の空気量によって変わってくるが、肺に空気が残っていればいるほど直立に近い体勢となる。溺死は水分を肺や胃に吸い込みやすいため、浮き輪の代わりとなる空気が肺にないことでうつ伏せに近い姿勢となることが多い。少量の水分で溺死すれば直立に近い体勢ともなるようだが、木津川は川幅も広く、水量も多い。ここで溺れれば大量の水分を吸引しそうだ。当初は溺死とされていたが、果たして河川の水は肺の中に確認されたのであろうか。
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さらに、死体検案書には死後硬直は「緩解期に入っていた」とある。発見時に緩解期に入っていたということは、教科書通りに考えればすでに1.5日は経過していたことになる。11月16日1時から1.5日前ということは、死亡推定時刻は11月14日の昼より前ということになる。
そして、死斑の移動の形跡がないことからも11月14日中は、ずっと仰向けであった可能性が高い。千本松渡船場の営業時間は6:00〜21:30であり、開門するのは5時45分だ。14日や15日に遺棄されていれば日中の営業時間内に発見されていただろう。とすれば、遺棄されたのは15日の夜間の可能性しか考えられない。その証拠に15日の昼頃まではPHSの呼び出し音が鳴っていた。ただし、死体を運ぶにしてはあの厳重な門を越えて船着場で遺棄するのはかなり手間がかかる。門の前で遺棄してどこかに引っかかったのだろうか。それとも、さらに上流で置かれた自転車に近い落合上渡船場から飛び込んだことにするはずだったのだろうか。
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頭部の血腫には生活反応があり、何か平たいもので殴られた形跡がある。そして両側頚部にも首を絞められた痕がある。これらは、11月14日の未明から朝にかけて殺害され、どこかで仰向けのまま保管されたと考えられる。やはり、これで自殺を考える方がかなり馬鹿げている。矢島さんは、殺されたのだ。
気になるのは、遺体発見時の体勢だ。なぜ、小さく前へならえのような体勢だったのだろうか。これが気になって仕方ない。
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一般的に死後硬直は死後3時間から始まり、およそ6時間で全身に至る。つまり、少なくとも死後3時間経過から、あの不思議な体勢でいたということだ。あの体勢、何だか大きな柱にでも捕まっているような姿勢だ。
おそらく後から頭を殴られ、首を絞められたのだろう。頚部の痕からは、紐のようなもので首を絞めたように見える。しかし、甲状腺のあたりには痕がないことから、前で交差して絞殺したようにも見える。下写真のようにリクライニングした状態で死後硬直が始まれば、あのような体勢となるのだろうか。
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もしくは下写真のaの図のような体勢のまま死後硬直が始まれば、手を開いた状態になるのだろうか。
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そして、警報についてである。殺害のプロ集団ならおそらくセキュリティは決して鳴らさないだろうし、必ず事前にセキュリティの詳細を調べてから犯行に挑むだろう。もし情報が少なく、調べられてないのであれば、セキュリティをかけずに出るほうが懸命だ。わざわざリスクを冒してまで鳴らす必要性がそもそもないし、セキュリティをかけなくても、自殺に見せかけることは十分に可能だ。
わざわざセキュリティをかける理由は、祥子さん自身が閉めたことにしたいからだ。つまりは、診療所を自分の意思で出て、自殺あるいは失踪に思わせる。これは、診療所では何もトラブルが起こってないことにしたいという意思とも取れる。セキュリティを鳴らしても祥子さんは誤報である電話をしておらず、真犯人が電話をすれば矢島さんでないことがバレてしまう。そう考えれば、これはくろかわ診療所のセキュリティを知っているものの行動とも言える。
なお、私が確認しただけでもくろかわ診療所の周辺には10箇所の監視カメラを確認することができた。ただし、くろかわ診療所の右手にある建物はずいぶん新しいもので、当時はここにはカメラがなかったと考えられる。ここに車をつけて裏口から直接遺体を運べばおそらくカメラに映らずに移動できるだろう。
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これは、殺害は診療所内である可能性もある。室内なら、拉致、移動の手間はない。
診療所内で第三者が犯行を行なったと仮定してその全体をよく見ると、この犯人、なんだかドタバタだ。部屋を掃除し指紋を消し、水死に見せかけるというセミプロ並みの動きを見せつつも、なぜか警備セキュリティを発報し、鍵は見るたびにあったりなかったり、鍵を慌てて返しに行った行動にも見える。バッグは置きっぱなしにしており、自殺か失踪かも当初定まってなかったかのように見える。
自殺の場所とされる死体発見現場よりかなり遠くに自転車は置くし、監視カメラには最新の注意を払いつつも遺体は見つかってしまうし、16日の予定をキャンセルするメールを送りながらも16日には死体が発見されている。杜撰なようにも見えて、他の部分では細心の注意を払っているところもある。動きがまるでちぐはぐだ。
ちぐはぐ?
…もしかして、犯人は二人いるのだろうか。
そう考えれば、なんだかすんなり納得できるところが沢山ある。自転車も、遺体発見現場よりさらに上流に二つの渡船場がある。その一つの渡船場の近くにあの団地の駐輪場があるのだ。自殺に見せかけるために飛び込んだ渡船場まで自転車に乗って行ったようにしようとしたが、
自転車を捨てに行ったものが渡船場を間違えていたとしたら?
誰かが家族や警察を引きつけている間に、鍵を冷蔵庫の上に置いたとしたら?
死体を運んでいる間に部屋を清掃したとしたら?
一人は入念で指紋をきっちり拭き取り、一人は杜撰でうっかりセキュリティを鳴らしたとしたら?
二人いれば素早く裏口から遺体を車に乗せることも可能だ。
そして何より、あの不思議な体勢だ。深いリクライニングチェアにでも寝そべっていたかのようだ。診療台もありうる。
祥子さんの残業が酷くなったのは8月からのようだ。これは偶然だろうか、監査は9月から調査の対象となっている。
2009年11月生活保護の医療費請求が適正に行われているかを調査する「大阪市生活保護行政特別調査プロジェクトチーム」が発足し、9月にさかのぼって調査が始まった。祥子の外来を受診していたAさんは、弁済金27万円支払いの行政処分を受けた。彼の処方歴を見ると、H21年4月〜祥子が処方していた薬は7種類。祥子の死後、追加処方された薬は6種類。計13種類になっている。Aさんは不正請求と診断されたくろかわ診療所の受診記録について、「自分は2回/月しか受診していないが、役所から9月は7回受診したことになっている。5回分多くもらった薬はどうしたのかとしつこく聞かれた。警察でもこの件についてしつこくきかれた。」と言っていた。そして、弁護士に相談したら「自分が祥子先生に頼んで処方箋を書いてもらい、もらった薬は釜の街で売りさばいたと答えるように」と言われ、そのように言ってしまったそうだ。
そう言えば祥子さんの民事裁判では、事務長は「残業は全くなかった」と言っていた。
以前、大阪府保険医協会の関係者の方から聞いた話がある。「ふだん冷静な黒川医師が、矢島祥子さんの件が話題になると、突然手も身体もガタガタ震えだして、止まらなくなる」「度を失って、顔をまっ赤にして、話題を出した人を大声で面罵する」と、訝っておられた。
やはり、死斑も、死後硬直も、監視カメラに映っていないことも、部屋に鍵もバッグもあったことも、診療所で殺害されたと考えれば全く不自然さが消えるのだ。犯人が闇の組織である可能性が消えれば、残る選択肢は一つしかない。