引き摺られ続ける矛盾と疑問 和歌山毒物カレー事件(1)
和歌山毒物カレー事件は、1998年(平成10年)7月25日夕方に和歌山県和歌山市園部地区で発生した毒物を使った無差別大量殺傷事件である。薗部地区で行われた夏祭りにおいて配られたカレーライスの中にヒ素が混入され、カレーを食べた67人が急性ヒ素中毒になり、うち4人が死亡した。
この事件、様々な要因が重なったのかおかしなぐらい騒ぐだけの何かがあったらしく、連日メディアは容疑者となる家の周りに張り付き集団ストーカーのようなお祭り騒ぎ状態となった。後述するが、メディアにより仕組まれた冤罪の雰囲気すらある事件である。
新興住宅地にある自治会が開いた夏祭りで出されたカレーライスを食べた者が次々に腹痛や吐き気などを訴えて病院に搬送された。
中毒症状を起こした被害者67人のうち、自治会長男性(当時64歳)、副会長男性(当時53歳)、小学校4年生の男子児童(当時10歳)、高校1年の女子生徒(16歳)の計4人が死亡した。
和歌山県警並びに和歌山保健所は最初は集団食中毒を疑っていたが、和歌山県警科学捜査研究所が被害者の吐物や容器に残っていたカレーから青酸化合物の反応が検出され「何者かが毒物を混入した無差別殺人事件の疑いが強い」と断定し捜査本部を設置した。
事件発生直後の鑑定では、青酸化合物を使った農薬に含まれるような他の物質は検出されなかったため、混入された毒物を「純粋な青酸化合物」に絞り、県外も含めて盗難・紛失事件がなかったか捜査を開始した。まだこの時はヒ素など他の毒物の検査は行っていなかった。
その後自治会長以外の遺体からは青酸化合物は検出できず、胃の内容物や、吐瀉物、食べ残しカレーからそれぞれヒ素が検出された。
捜査本部から「死因はヒ素中毒だった疑いがある」と報告を受けた警察庁科学警察研究所が新たに鑑定を実施し、自治会長以外の3人の心臓から採取した血液からヒ素が検出された。これを受け捜査本部は4人の死因を「青酸中毒」から「ヒ素中毒」に変更した。
事件発生発生9日目に厚生省からの要請で毒物の専門家である聖マリアンナ医科助教授の山内博氏が和歌山市中央保健所へ向かい鑑定にあたった。患者の尿から急性ヒ素中毒であると正式に確定したのは中毒発生10日目で、原因解明までの10日間は被害者に対しては急性ヒ素中毒の治療薬の投与は行われなかった。
山内氏によると、急性ヒ素中毒の原因は、カレールーを作る鍋に混入された三酸化ヒ素(iAs)であった。三酸化ヒ素は無味無臭で刺激性がない毒物であり、鍋に投入された三酸化ヒ素の結晶は大部分が溶解しており、カレールーに含有していたヒ素は極めて高濃度だった。
三酸化ヒ素の致死量は成人でおよそ300 mgとされ、わずか50gのカレールーを口にしただけで致死量に達する量のヒ素が混入されていた。被害者のヒ素摂取量は、重症者では200mg以上のヒ素摂取者が確認され、軽症者でも20mgから30mgであった。
その後の捜査により知人男性に対する殺人未遂と保険金詐欺の容疑で、元保険外交員の主婦の林真須美(当時37歳)が逮捕される。その際、別の詐欺および同未遂容疑をかけられた元シロアリ駆除業者の夫も逮捕された。
2人とも和歌山地方検察庁から起訴され、妻が別の殺人未遂および詐欺容疑で、続いて夫婦共に詐欺容疑でそれぞれ再逮捕され追起訴された。
林容疑者は夫らに対する殺人未遂容疑などで、夫も詐欺容疑で再逮捕され夫婦でそれぞれ詐欺罪で起訴されたほか、殺人未遂罪でも追起訴された。
そして、カレーの鍋に亜ヒ酸を混入した殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕される。すぐに和歌山地検は、殺人と殺人未遂の罪でへ起訴した。
2002年(平成14年)12月に開かれた第一審判決公判で和歌山地裁は被告人の殺意とヒ素混入を認め、求刑通り被告人に死刑を言い渡した。
被告人は判決を不服として、同日中に大阪高等裁判所へ控訴。身柄は丸の内拘置支所から大阪拘置所へ移送された。
一方、保険金詐欺事件3件の共犯として、詐欺罪で起訴された夫は、2000年(平成12年)10月に和歌山地裁で懲役6年の実刑判決を言い渡されたが控訴せず、刑は確定した。その後、滋賀刑務所に服役し、2005年(平成17年)6月に刑期を満了し出所している。
控訴審初公判は2004年(平成16年)4月20日に開かれ、「カレー事件の犯人であることに疑いの余地はない」として、一審判決を支持し控訴を棄却した。被告人は判決を不服として同日付で最高裁判所へ上告した。
弁護側が「地域住民に対して無差別殺人を行う動機は全くない」と主張したのに対し、最高裁は2009年(平成21年)4月21日の判決で「動機が解明されていないことは、被告人が犯人であるとの認定を左右するものではない」と述べ、動機を解明することにこだわる必要がないという姿勢を示した上で「鑑定結果や状況証拠から、被告人が犯人であることは証明された」と述べ上告を棄却した。
被告人は、死刑判決の破棄を求めて最高裁に判決の訂正を申し立てたが、申し立ては棄却され死刑が確定し、死刑確定者処遇に切り替わった。林死刑囚は今も大阪拘置所に収監されている。
●まず、ヒ素とは
ヒ素は自然の地殻中に存在する。ヒ素は自然界で主に岩石や土壌中に無機ヒ素として存在しており、魚介類には主にアルセノベタインとして、海草類には主にヒ素糖と呼ばれる有機化合物として含まれている。
ヒ素需要のほとんどは三酸化二ヒ素(無水亜ヒ酸)を出発原料としており、国内では、住友金属鉱山により生産されているが、国内需要原料の三酸化二ヒ素の殆どは中国から輸入されている。
ヒ素の需要は、国際的には工業薬品(クロム銅ヒ素木材保存剤)、綿花栽培用農業薬品などであるが、ヒ素の拡散など環境上の問題からいずれも減少しつつある。
無機ヒ素はその強い毒性を利用してかつてはヒ酸鉛のような形で殺虫剤に、また、木材の腐食防止剤などとして大量に使われていた。事件に使われたヒ素はおそらく白アリの殺虫剤として流通してたものだと考えられている。
この事件でカレールーに含まれていたヒ素濃度はかなり高く、スプーンで数口摂取するだけで中毒を発症する濃度であったとされる。また、生存者の尿や髪のヒ素濃度が正常値範囲に回復するまでには2~3ヶ月を要している。
混入されたのは三酸化ヒ素(無機ヒ素に属す,iAs)で、無味無臭で刺激性がない物質であり、混入が容易である。
カレーライスを摂取した後、約5〜10分で全員に消化器症状を認めている。重症者では低血圧が数日続き、頻脈、虚脱、ショックもみられ、循環器障害が主な死因であると推測されている。重症者では発症10日目頃から、四肢末梢部に両側対称性末梢神経障害(感覚異常と運動麻痺)を認めており、皮膚障害として、紅疹が腹部と脇下、後頸部などに認められている。
この事件は冤罪ではないかと考える人が増えてきている。夫が出所しメディアに出て事件について話し始めたのと、長男も無実のための活動を始め、捜査の矛盾や新たな事実などが明らかになり始めたからだ。
当時メディアの報道を見てかなりの人間が「この人に違いない」と思ったことだろう。しかし、この事件は動機も証拠も明らかになっておらず、住民の証言から状況証拠のみでひとりの人間を死刑に処している珍しい事件とも言える。
状況証拠だけでカレー毒物混入事件の犯人と断定した理由は大きく3つある。
①カレーに混入されたものと組成上の特徴を同じくする亜ヒ酸が自宅から発見された。
②被疑者の頭髪から高濃度のヒ素が検出されその付着状況から亜ヒ酸を取り扱っていたと推認できる。
③夏祭り当日、カレー鍋に密かに入れる機会を有しておりその際に調理済みのカレーの鍋の蓋を開けるなどの不審な行動が目撃されている。
というなんとも忍びない3点の証拠たちだ。この忍びない証拠たちに先入観というバイアスを付加したのは、カレー毒物混入事件発生の約1年半前から保険金取得目的で合計4回にわたり食べ物にヒ素を混入し保険金を手に入れていたという余罪だ。
まず単純に、保険金詐欺の真骨頂は「見つからずに保険金を詐取すること」であり、1円の金にもならないカレーへの毒物混入など行うであろうか。
保険金をせしめるために計画的に詐欺を行っていた人物が激情に駆られて無差別テロを起こすとは思えない、という疑問も冤罪ではないかという主張の一つでもある。確かに保険金詐欺と大量無差別殺傷事件はかなり犯罪の方向性が違う。
しかし裁判官たちや検察は「カレー毒物混入事件に先立ち、長年にわたり保険金詐欺に係る殺人未遂等の各犯行にも及んでいたのであって、その犯罪性向は根深いものと断ぜざるを得ない」と考えた。つまり、いろんな人にヒ素を飲ませていたからこれぐらいやるでしょ、という何ともヘンテコ理論だ。
結局、和歌山県警は犯行を裏付ける直接証拠がない中、多数の間接証拠(目撃証言など)を集め事件当日の状況を分刻みで再現し、否認していた被疑者が犯人であることを立証するという捜査手法を取った。
主観や感情、誘導によりいくらでも書き換わることのある他人の記憶に賭けた訳で、当時は根拠のない密告などが溢れかえっていたと言われており、下手をすると中学校の給食費を盗んだ学級会での犯人探しのレベルだ。
つまり、上記3点に問題があれば死刑は成立しないはずだ。しかも、調べてみると、どうも真実でなさそうなことが山のように存在するのだ。