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打ち捨てられた遺体

 奈良小1女児殺害事件。2004年(平成16年)11月17日に奈良県で発生した誘拐殺害事件である。
 加害者である小林薫元死刑囚(当時35歳)は幼女への強制わいせつを複数回起こし懲役刑を科された前科があった。帰宅途中の女児(7歳)を誘拐して自宅で撮影し、死体を損壊・遺棄した。さらに女児の携帯電話を使い、女児の家族に次は「妹だ」などと脅迫メールを送っていた。ペドフィリアである。
 小林は新聞の販売店を転々としつつ、生家のある大阪、滋賀、奈良と各地で幼女への強制わいせつや子供の下着の窃盗などを繰り返していた。
 仕事のストレスやパチンコに負けたことなどストレスから犯行を起こしてしまったと動機について訴えている。
 犯行を思いつき、大阪府八尾市や奈良県生駒市、奈良市などに女児の物色に行ったが、最終的には土地勘のある奈良市富雄地区で物色することに決め「独りで帰宅している女児」を探した。子供のいない者が女児を探すためには、土地勘が必要である。小学校や公園の周辺が物色の頼りになるとは思うが、車で徘徊するとなるとあまりに知らないところは自分にとっても危険だからだ。独りのものを優先して探し、顔や服装などはあまり選り好みしない傾向がある。
 犯行後「自分のものにした」満足感を伝え、「世間を騒がせてやりたい」気持ちから、遺体を撮影し母親へ写真を転送したり、勤務地近くのスナックでその写真を見せびらかしたりしていた。
 宮崎勤と共通点があり、満足したことを他人に伝えたい、自分が人とは違うことを自慢したいなどの全能感をアピールしているところだ。低俗であることには変わりないが、今田勇子のように何故か家族にその報告をしたがる。のちに母親に写真を送ったことに対して小林は「結果を知らせてやりたかった」などと言っており、理解に苦しむ。
 さらに、夜間は人目につきにくいが、昼間になれば容易に発見される場所に遺棄しようと22時ごろに奈良県生駒郡平群町の町内の道路脇側溝内に死体を遺棄した。
 逮捕後、「反省の気持ちも更生する自信もない。早く死刑判決を受け、第2の宮崎勤か宅間守として世間に名を残したい」「(満足したという気持ちに)変化はない」「(無期懲役で)服役することになっても、更生するつもりはないし、税金の無駄遣いになるだけだ。服役後、社会に出たら次こそ死刑になるよう、大勢の被害者を出す残虐な犯行を行う」などと主張していた。
 この時代に出現した日本のシリアルキラーは宅間守元死刑囚や加藤智大死刑囚など、死刑を予測しながらで犯行を犯すものが多く現れた。「どうせ死刑になるから、迷惑をかけられた社会に迷惑をかけて合法的に死ぬ」という自決すらする気概もない「最後は人任せ」という最高のヘタレが存在する。
 猟奇殺人者や連続殺人犯がアメリカのように一種のダークヒーローのように感じ崇拝する奴らが日本にも一定数いるということだ。
 それならむしろ死刑にせずに仮釈放も再教育もない無期刑とする方がよほど民意を反映している気はする。罰のために犯行を犯すのであればそもそも罰になっていない。
 もういっそのこと、ペドフィリアは一つの島に集めてしまえばいい。アメリカでは小児性犯罪犯はメーガン法により居住地をネットに公開しなければならない。江戸時代の幼女への強姦刑も遠島(おんとう)だったわけだし、GPSの装着にコストがかかるのなら軟禁しかない。海外で議論されているのは科学的去勢だが、なにせコストが高い。
 性犯罪自体が身体的性差を悪意を持って使った行為で、「魂の殺人」と呼ばれるのも頷ける。小児性犯罪はさらに反吐が出る。対象が社会的に最も弱い存在だからだ。

 遺棄現場は平和なところにある。近くには大きな公園があり、のどかなところで、夜になると人通りはおろか、車通りも少ない。
 新しい住宅地が近くに並ぶが、建っている家は全体の2/3ぐらいで、雑草が生い茂った空いた区画が目立つ。しばらくは事件を知る人はこの周辺の土地に新たに家を建てようと思う人はいないだろう。
 遺棄された場所は国道沿いから少し入ったところにあり、田園地帯の真ん中である。傾斜地となっているため、段々になった田園が続く。死角が多く、夜間の人通りが少ないため、人知れず何かを捨てるのには何の障害もない。
 目的地に向かうと、おそらく農用具を置いておく倉庫であろうか小さな小屋があり、その前の側溝に遺体は遺棄されていた。犯行の主張通り夜間の人通りは少ないため遺棄はしやすいが日中はすぐに見つかるところだ。11月の夜は一人で過ごすにはかなり寒かっただろう。

ここにも一種の悲しく暗い歪みの模倣子が残されている。

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