では、真犯人は誰なのか 和歌山毒物カレー混入事件(13)
何かの方法で真犯人に近づくことができないものかと、砒素の小瓶について詳細な情報を得るため、和歌山地裁に出向いて事件記録を読もうとそのアクセス方法を調べた。
しかし、恐ろしく敷居が高いだけでなく、第三者にその記録が開示されるまで年単位の時間がかかるようで、さらに確定後3年経てばその記録へのアクセスはさらに制限されるようだ。
今となっては砒素の小瓶がどのように当時販売されていたのかは知る由もない。刑事訴訟法によると、刑事事件の記録は刑確定後誰もが閲覧ができるはずだが、現実はそうではないようだ。
この小瓶の手がかりとなるのは、T社元社員による1999年2月10日の検甲84「供述調書」、和歌山地方検察庁検察官検事による2015年1月30日の和歌山地方裁判所宛「意見書」、K薬品工業株式会社社長による1999年2月12日の検甲85「供述調書」であるが、おそらく他にも亜砒酸に関わる資料はいくつかあるはずだ。
私は砒素の小瓶を取り扱っていた「商店」がどこなのか知りたいのだ。この小瓶が何のために販売されていたものか気になって仕方ない。一つづつ和歌山市内に存在する「商店」に話を聞くしかない。今後も細々と小瓶については調べていきたい。
「園部14自治体の中で他にも砒素の存在があったことを確認できれば、林死刑囚だけが毒物を混入の可能性があったとは言えない」とし、根本から検察の主張が瓦解する。
もしくは、裁判記録には記載のない「例の紙コップ」と「その他の紙コップ」に指紋や掌紋の付着はなかったのかも知りたい。判決記録には指紋、掌紋分析に提出したと書かれているがその結果がどこにも書かれていないのだ。主婦は確実に素手で触っており、それぞれの主婦の指紋が残っているはずだ。それを調べることができれば、「消えた紙コップ」の行方もわかるはずだ。
妄想と考察
この事件、林死刑囚が犯人である可能性を排除すれば、再び疑われる者が次々と出てくる可能性を秘めている。
たかだか個人の妄想でこいつが怪しいと決めつけることは無用なバイアスを発生させるばかりでなく、個人の名誉を傷つけることにもなりかねないため、これまで明言を避けてきた。よく考えてみると、お前ほどの人間が何を言っても大したことはないとは思い、真犯人について想像してみることにした。
この事件は詳しく調べてみると、事実がかなり恣意的に歪められたことがわかり、林死刑囚の死刑は妥当とは言えなさそうな怪しげな証言や証拠が幾つも散りばめられている。
私は、可能な限りバイアスを排除して考えたいので、都道府県の記号がついた方々がどんな人間かは全く調べていないし、検討もしていない。また、何らかの利権に関わる問題や住民トラブルは全く考慮に入れていない。
私がいつも気になってしまうのは「場違いなもの」だ。例えば、働きアリの群れの中で全く違う行動をしている1匹のアリが気になる感覚に近い。そのため、青色の紙コップ(正確には会場に3つしか存在しなかった紙コップたち)と、行動が最も状況に矛盾していると考えられる人間が気になって仕方ないのだ。そのため、「犯人」というよりはあくまで私の中で「変な動きをしている人」を指摘しているということを断っておきたい。そしてこの「行動が状況に矛盾している」は、私のバイアスも大いに含む事をご了承頂きたい。
まず、小さなコミュニティの中で起こった事件のため、外部の者による犯行は考えにくい。内部のものによる犯行であれば次の理由が考えられる。つまりは動機だ。
・夏祭り自体をよく思っていないもの。夏祭りを中止をさせるためには食中毒の偽装が最もやりやすい。他にも「カレーが美味しくなかった」とかいう話になるとかだ。そうなれば以後夏祭りで何かを調理する必要がなくなる。
・鍋を持っていた店、もしくは店の家族への何らかの報復や嫌がらせ。鍋自体に問題があれば、鍋を貸した店にその管理責任が問える効果的な攻撃となるだろう。2つの鍋は同じ店からの貸し出しと記憶しているが、一つずつ違う店というソースもある。東鍋がどちらの店の鍋か把握していないが、東鍋だけに混入されていた。
・イタズラ感覚、面白半分程度だった。小さな自治体の中で毒物を混入するのだから、捜査が及んで当然であるが、そこまで思考が及ばなかった浅はかで幼稚なものの可能性がある。これはパニックを見ることで優越感が得られる人物で、かなり性格が歪んでいる可能性がある。ただ、この犯人であれば、証拠を現場に残さないと私は思う。
・特定の人物(もしくは家族)を狙うが、個人攻撃ができない臆病者。その人間が確実にカレーを食べることを予想できたならありうるが、そもそも食べるか食べないかわからないため、あまり効果的とは言えない。
以上の理由が考えられる。
まず、大量無差別殺人や無差別テロの様相を呈してない。ここまでのテロ行為を行っておきながら犯行声明や怪文書などもない。
そして、ここが犯人の精神性を最も物語っているのだが、砒素(毒物であることすら知らなかったかもしれない)がそれほど危険な毒物であることを知らなかった可能性が高い。だからこそ135g(紙コップ半分の粉末)もの量を入れることができた。致死量を知らないのだろう。
そしてもう一つ、コップを事件現場に捨てることができる安直で浅はかな人間だ。ここが大量テロ犯説よりは子供説が出る原因となっている部分だ。
ただ、何らかの薬品であれば小さな子供が手に取るのはかなり難しい上、さらに不可思議な紙コップを持って調理中の鍋に近づくのはもっと難しいだろう。思春期あたりの子供であれば可能かもしれないが、毒物を使おうとする考えがあるならその子はかなり変わった子供だろうし、普段から相当に目立っただろう。
さらに、例の紙コップは調理後の残飯の袋の中に入れられていた。この残飯袋がもう開かれることのないものと認識していないと、そこに入れないはずだ。持って帰って処分した方がはるかに疑われる可能性は激減するからだ。もう開かれることはないと思って捨てたのならば、それは調理に関わった主婦の中に真犯人がいるということになる。
砒素は例の小瓶からコップに移されていたと考えれば、同じ商店からの販売なため同一由来なのは当たり前ということになる。第6SPring8天魔王の結果は事実だが、由来が同じというだけで、当時和歌山に流通していた砒素の中の一つでなのだろう。
では調理中に投入するとして、皆が見ていても警戒されないものは「コーヒーフレッシュ」なのだが、コーヒーフレッシュの瓶に入っていた砒素を間違って投入したのではないかと妄想もしたが、それなら少なくともキッチンにはないはず。やはり何かと間違えたとは考えにくく、故意に入れられたものだ。
そして投入のタイミングのために最初から参加して入れる機会を伺うことができた者、そして最後までいた者が怪しい。なぜなら、警察や保健所、救急隊の動きを注視しておかないと自身への疑いに対応できないからだ。思った以上に騒ぎが大きくなったことで絶対に最後まで状況を注視していただろう。これからつく事になる自分の嘘の精度を上げるためにもだ。
さらに全く中毒症状を示さなかったものも疑いの対象者だ。自分で飲んで砒素中毒になり疑いを逸らす工作の可能性も否定はできないが、バタバタと倒れている人を見てから飲むことになったため、試さなかった可能性の方が高い。事後に飲むには相当な覚悟と勇気がいる上に、おそらく予想しなかった現状を見て自分もパニックになっていただろう。なぜなら、危険な毒物であることをその時に知ったからだ。
知らなかったが故に自分の罪がこれ以上重くならない様に被害の拡大を抑えようとしたかもしれない。大量殺戮など計画していなかったからだ。そういえば自ら進んで医師を叩き起こした者がいた。
おそらく、カレーは食べていない。そのため、血中の砒素濃度は低いだろう。しかし、味見をしたと嘘をついた可能性はある。
私はいつも「同じ状況なら自分がバレないようにどうするか」を妄想する。犯罪者が計画時と犯行後に最優先事項として行動の中核に置くのは「絶対に自分だとわからないこと」のはずだからだ。
そもそも無差別毒物事件のスタンダードとしては飲み物や食べ物に密かに投入して店や自動販売機などに放置するスタイルが圧倒的に多い。悪戯感覚の愉快犯だ。指紋や体液などの個人情報の残渣を気をつけて残さないようにすれば見つかる可能性が激減するため、後はその凶行に盛り上がっている事を新聞やテレビで確認しほくそ笑めばいい。無差別テロ行為は愉快犯的な側面が強いため、社会不安を与えることに快楽を見出すからだ。そんな計画ができる者なら、コップは現場に捨てないだろう。
小さなコミュニティで毒物を使えば犯人として特定されやすいため、絶対に避けるだろう。もっと不特定多数のものが関わる場所で行うケースが多いからだ。
犯罪者はそもそも思考が狂っているので何をするかわからない、というのは間違っている。もちろん、人間が時に想像を越えた行動に出ることはいくらでもある。精神病に罹患してない限り(それもなんらかの症状からの理由があるのだが)は、突拍子もない行動も利己的に行うという原則は逸脱しないと考える。それらは犯人の中では一貫性のある行動であり、理解しにくいだけだ。むしろ恐怖や焦り、不安から思慮が浅かったり、急ぎすぎた行動が「想像できない行動」に見えているだけのことも多い。
ともかく、犯罪者の犯行後の行動基本原則は「見つからない」「自分に疑いがかからない」であり、そこに最大限のエネルギーを裂くはずだ。それが成功するためにはいくらでも虚偽の報告を行うし、知らないふりをするだろう。もっと冷静で賢いものは欺瞞のためにフェイントをかけたり(自分も毒を飲むなど)捜査を攪乱する行動(犯行声明を送ったり)に出るだろう。
真犯人は毒の投入後、捜査が自分の元に届かないように擬態しないといけない。また、手が届いたとしても擬態は継続する必要がある。そのために必要とされるのが嘘だ。自身に関係がないことを証明するための嘘が必要なのだ。
嘘はつき続けるためにエネルギーを必要とするだけでなく、嘘によって生じる矛盾に対し、さらなる嘘が必要となる。それらの嘘は自分の発言に齟齬がないよう、一貫性を持たせるために常に、そして死ぬまで覚えておかないといけない。これだけ多くの人間が関わったことで、虚偽の矛盾に対する指摘をされ、擬態に失敗する可能性も非常に高い。そして、辻褄が合わないと虚偽のための虚偽を考えなければならない。これは認知的にかなりの負荷がかかるだろう。
私はそれをほぼ完全に防衛する方法が二つ存在すると考えている。
一つは、「完全黙秘」嘘は発生しなければ認知を割く必要がない。語らなければ齟齬を指摘されようがないからだ。
そしてもう一つの必殺技、全てを一蹴できる伝家の宝刀が存在する。
国宝・太刀「記憶にない」だ。
私が疑っているのは1人だけだ。記憶になければ、虚偽の創作も必要ない。精神的にはかなり楽だろう。明言は避けるが、ここまで読んで頂いた方はすぐにお分かりだろう。
後はその人物と砒素の繋がりが立証できればいいのだが。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?