「まあ本人もそう言ってることですし...」今市事件(3)
冤罪が疑われる事件の詳細を読み進めると、犯人と認定するだけの論拠がものすごく曖昧で適当で、実はかなりこじつけなことに酷く驚かされる。今市事件は、遺体の状況と過去の事件との関連についての考察を行ったが、今記事は東京高裁における有罪とされるロジックについていちいち重箱の隅をつついてみたい。
引用は、「東京高等裁判所第5刑事部判決 平成28年(う)第983号」からの抜粋である。一審に引き続き、裁判所は自白と情況証拠から勝又受刑者が殺害犯であると判断している。
そして事実として認定され内容は以下のストーリーとなる。
さらに、殺人、死体遺棄は同一人物であり、その者は白いセダンに乗った男であると判断された。
そして、その行動が可能であったのは勝又受刑者しかいなかったと言いたいらしい。そして、今市事件において勝又受刑者が有罪とされたのは以下の理由による。
1、Nシステムによる通行記録に勝又受刑者(の車)が3地点を通行した記録が残されていた。そして、他の日には12月6日の深夜から朝にかけて通行した記録以外は存在しておらず、記録があった2地点は、当時の被告人方と遺体発見現場とを結ぶ経路上にあった。さらに平成11年頃から平成14年頃までの間、母とともに茨城県内で開催される骨董市に宇都宮市から月1回の頻度で通っており、その経路は遺体発見現場に近い場所を通過するものだった。当時、勝又受刑者が第三者に車両を貸したことはない。
2、遺体の右手親指には獣の毛の様なもの1本が付着していた。付着していた毛は猫の毛で、DNA型は勝又受刑者が飼っていた猫のミトコンドリアDNA型と同一のグループに入っている。
3、遺体の右頸部にあった傷は、勝又受刑者が当時所持していたスタンガンによって生じたものとして矛盾がない。
4、勝又受刑者は、平成4年式の白色4ドアセダン車に乗っており、拉致現場で目撃された古い白色セダン車と同色・同型であり、また勝又受刑者は被害者が拉致された時間帯にその現場まで自動車で行くことが可能な場所にいた。
5、勝又受刑者は、平成6年8月から平成9年4月までの間今市市内に住んでおり、被害女児が通っていた小学校と、近くに隣接する中学校に通学したことがあり、拉致現場付近の土地鑑があった。
6、事件当時、勝又受刑者は多数の児童ポルノ画像を収集しており、複数のナイフを所持していた。事件後も児童ポルノ画像や猟奇的殺人の動画、ナイフを収集していたことなどは、女児に対する性的興味や残虐行為、刃物に対する親和性を示すもので、今回の事件の様相から想定される犯人像に整合的である。
7、勝又受刑者は、本件殺人の取調べが開始された直後に、母に対し「事件」を起こしたことを謝罪する手紙を送っている。
こう言ったものの、これらの情況証拠は下手したら雑誌の付録のような扱いがなされている。今市事件において勝又受刑者が有罪の根拠として最も重要視されたのは「自白」だ。高裁でも自白の信用性についてかなり長い議論がなされている。
何なら、自白以外の情況証拠だけでは、勝又受刑者が殺害犯であることを認定できるほどのものではないとしている。
「客観的事実からは犯人性は認定できない」のに自白が合体すると急に勝又受刑者しかいなくなったようで、意味が不明だ。
これは、「八百屋でトマトを買った」「自販機の前で100円を拾った」「白い車に乗っている」だけではわからないが、「Aさんが自分でそう言った」だけで全ての辻褄が合うということだ。
これでは、「この3つの出来事が特定の時間に起こったのはAさん以外ありえない」となっていない。何なら、自白の強要に成功すればまあ結構誰でも有罪にできるという事になる。
兎にも角にも、この事件は自白を最も重要な証拠としているわけだが、その自白すらもかなり怪しい。まずは「犯人性の認定できない客観的事実」から考察していきたい。
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